津田沼教会 牧師のメッセージ
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「新しく創られる私たち」(ヨハネ2:1~12)
ヨハネ2:1-11、2006・01・01、降誕後主日
イザヤ62:1-5、コロサイの信徒への手紙1:15-20

ヨハネによる福音書2:1~11
三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに、「ぶどう酒がなくなりました」と言った。イエスは母に言われた。「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」しかし、母は召し使いたちに、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言った。そこには、ユダヤ人が清めに用いる石の水がめが六つ置いてあった。いずれも二ないし三メトレテス入りのものである。イエスが、「水がめに水をいっぱい入れなさい」と言われると、召し使いたちは、かめの縁まで水を満たした。イエスは、「さあ、それをくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい」と言われた。召し使いたちは運んで行った。世話役はぶどう酒に変った水の味見をした。このぶどう酒がどこから来たのか、水をくんだ召し使いたちは知っていたが、世話役は知らなかったので、花婿を呼んで、言った。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわったころに劣ったものを出すものですが、あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました。」イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。

「新しく創られる私たち」(ヨハネ2:1~11)

 皆さん、新年明けましておめでとうございます。今日は2006年の初めての主日であり、聖書日課をみますと、文字通り「新年礼拝」としての聖書の個所、次に、主の命名日としての個所、そして、降誕後主日の聖書個所の3つの選択肢が与えられています。私は、本日の個所として、降誕後主日のテキストを選ばせていただきました。私たちは、教会暦では、昨年の11月27日のアドベント、待降節から、新年を祝ってきました。そして、現在は、来週の顕現主日の1月8日まで、クリスマスが続いているのであります。
 では、どうして、「降誕後主日」すなわちクリスマスの個所として、ヨハネ福音書の2:1~12が与えられているのでしょうか。そのことについて、しばらく、ご一緒に考えてみたいと思います。
 本日の記事は、非常に簡略に、出来事が展開していきます。それは、三日目のことでありました。その翌日、その翌日という言葉が、本日の記事の前に何度も出てくるので、それらをあわすと1週間になり、天地創造に対応させる意味で、この三日目が出てくるのではないかと考えた人もいるようです。しかし、十分にそれに対応しているとは必ずしもいえない本日の記事の内容ですので、むしろ、三日目というのは、完全数に過ぎず、特に隠された意味はないとも考えられます。そして本日の出来事は、不必要なことは、書かれておらず、非常に簡単明瞭な物語となっています。ヨハネは、伝えられていた伝承を受け継ぎ、最後の2:11節くらいだけが、ヨハネが書き加えた総括のようなものであるようであります。
 三日目に、主イエスの母のマリアが、ガリラヤのカナにいて、結婚式があった。そして、主イエスと彼の弟子たちもその結婚式に呼ばれていました。ところが、披露宴でぶどう酒がたりなくなったとき、母のマリアは、主イエスに言うのであります。「彼らはもうぶどう酒を持っていません。」さて、当時の結婚式とその披露宴は1週間、場合によれば2週間も祝われたといわれています。また、当時の結婚式に呼ばれた者たちは、プレゼントをするのが慣わしであったともいわれています。
 さて、しかし、このとき、主イエスはなんと答えたでしょうか。直訳すると「女の人よ、あなたと私とは、何なのか。私の時はまだなのです。」一見、母に対して非常に冷たい返事のように思われます。
けれどもそれは、神のみが「その時」を決めうるお方なのだと伝えた言葉なのであります。十字架にあげられた時、主イエスは、母に「女の人よ、ここにあなたの息子がいるよ]といって、弟子のヨハネにその後の母の世話をさせられました。
 また、母のマリアは、主イエスの言葉に従順に従って、召使たち、食事の世話をしている者たちに、「この人の言うことは何でもその通りにしてください」と頼んでいます。同じガリラヤのナザレから、大工であった主イエスは、知り合いの結婚式に、北西にあったこのカナまで、招かれてきていたのでしょう。主イエスは、自分を遣わした神なる父のみが、イエスの栄光を表すときを知っておられることを、母に諭したのであります。そして、そこに、6つの、2ないし3メトレスはいる石製の水がめが、ユダヤ人の清めの慣習に従って置かれていました。1メトレスは、39.39リットルなので、少なくとも500リットル以上もの水が蓄えられることになります。そして主は、召使たちにその6つの水がめに上まで水で満たすように命じたのであります。そしてその水を汲んで、料理頭あるいは、世話役とも訳せる人のところに持っていくようにいうと、彼らは運びました。料理頭は、その水を味見すると、それは、ぶどう酒に変わっていたのであります。しかし、彼はそれがどこから来たものなのか知りませんでした。一方、運んだ召使たちは知っていました。料理頭は、それで、花婿を呼んで言います。「誰でも、まず、良質のぶどう酒を出して、人々が酔いが回ったときには、劣ったものを出すものだ。しかしあなたは、良いぶどう酒を、今までとっておかれた」と花婿を賞賛したのであります。こうして、すべてのうちの最初のしるしを、主はなさり、主イエスの栄光を現されたのであります。「そして、弟子たちは、それを見て、主イエスを信じた」と、本日の出来事は結ばれています。
 この出来事は、主イエスこそが、豊かな、良いぶどう酒であることを示しています。旧約の律法の清めの水にはるかにまさってすぐれた、救いのメシアがおいでになられているのであります。そして、私たちも、主イエスこそが、旧約によって約束され、更にそれ以上に恵みと真理にあふれた救い主として来られた方であることを、信仰の目をもって知っているのであります。今日から始まります2006年のこの一年、どのような困難や試練がありましても、イエス・キリストという私たちを新しい人間として創り替えてくださるお方につながりながら、その喜びを周りの人々にも告げ知らせる一年としたいものであります。日ごとに聖書に親しみ、礼拝につながり、それぞれの持ち場、あるいは与えられた場所でみ言葉につながって、一年を過ごしていきたいものであります。
天の父なる神様。
私たちは、罪にまみれた、また、おのおの弱さを持った罪人でありますが、よきぶどう酒であるみ子、主イエスを知っており、また、信じているものであります。この一年を聖書によって、良き実を結ぶものとならせてください。キリストのみ名によって、アーメン。




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2006/01/01(日) 10:30:01| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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