津田沼教会 牧師のメッセージ
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「まことの光」(ヨハネ1:1~14)
ヨハネ1:1-14、2005・12・25、降誕祭(典礼色―白―)
イザヤ書52:7-10、ヘブライ人への手紙1:1-9

ヨハネによる福音書1:1~14
 初めに言があった。言葉は神と共にあった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。
 神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。彼は証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。彼は光ではなく、光について証しをするために来た。その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は、血によってではなく、肉の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。
 言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。


説教「まことの光」(ヨハネ1:1~14)渡辺賢次牧師

皆さん、本日は、クリスマスおめでとうございます。わたしたちは、4週間ほどの間、アドベントの時を過ごして、主イエス・キリストのご降誕に備えてきました。そして、昨日のクリスマスイブから、本日の降誕祭と順序正しく、今年は、主のご降誕を祝うことができます幸いを感謝したいと思います。
 さて、この降誕祭に与えられている福音書の箇所は、ヨハネ1:1~14であります。聖卓やストールに用いられる色は、紫から変わって昨晩から白い色であります。これは、神さまを表す色であります。クリスマスを迎え、改めて神がいかなる方であるかを、ヨハネの本日の箇所からご一緒にしばらく考えてみたいと思います。今日の箇所は、次のようなものであります。初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。彼は、まことの光であった。そして、この世界にやってきてすべての人間を照らすのであるというのであります。さらに、彼は、ご自分の民のもとに来たが、その民は彼を理解しなかった。光は闇において輝いている。闇は、言葉であるこの光に打ち克つことはできなかった。そして、言葉は、やって来て、この世界に宿られた。この言葉は、肉の欲から生まれたものではなく、男の欲にも寄らず、神によって、受肉したのである。その栄光をわたしたちは見た、そしてその神の栄光は、恵みと真理、真実に満ち溢れていた。そのように書かれているのであります。 さらに、このすぐ後の部分では、神を見たものはいない。神の独り子であるこの言葉、神なる主イエス・キリストだけが、神を啓示したのであるというふうに、ヨハネ福音書記者は、その福音書のはじめに要約して記しているのであります。そして、この栄光とは、主イエスが十字架にあげられることであり、また、復活して父なる神の右の座に座すことであります。これらの表現は、主イエス・キリストの生涯を短く要約したものであります。全聖書を通して、また、福音書を通して、主イエス・キリストがアダムの堕罪に対して、一方的な神の愛によって、この地上のわたしたちのもとに、一時的ではありますが、恵みとして、また、真理として、見えない神を、み子という見える形として現されたのであります。それは無条件の神の愛の表現であります。そして、それを受け入れ、彼の名において神を信じるものたちに、神の子供たちとなる資格、力、権威をお与えになるというのであります。
創世記では、「初めに、神は天と地とを創られた」と出てきますが、主イエスは、被造物の創造よりも前に、神とともに、神に向かって存在しておられたことを、この福音書記者は、教えるのであります。そしてさらに、旧約聖書に約束されていたことが、それをさらに凌駕する形で、主イエスのご到来において、新約として成就されるのであります。その神を、私たちは、聖餐式のたびごとに、「光よりの光」として、ニケヤ信条を通して、唱え信じているのであります。 混沌としていた創世記のはじめのときに、神は光あれと言葉によって、この世界を造られました。そして、罪に陥った人類に対して、主イエスが、創造の初めよりも先におられた独り子なるお方でありましたが、私たちと同じ肉体を持って、地に人となり、宿られたのであります。それは、その十字架による罪の赦しを与えてくださり、私たちをまことの光の中を歩むことが再びできるように私たちを再創造されたのであります。その喜びを、わたしたちは、このクリスマスのときにもう一度喜び合いたいものであります。人知ではとうてい測り知ることのできない、神の平安が、キリスト・イエスにあってあなたがたを守るように。アーメン。





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2005/12/25(日) 10:30:01| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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