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津田沼教会 牧師のメッセージ
「神の恵み深い訪れ」(ルカ1:17~79)
ルカ1:67―79、2005・12・18、待降節第4主日
ゼファニア書3:14-17、フィリピの信徒への手紙4:2-7

ルカによる福音書1:67~79
父ザカリアは聖霊に満たされ、こう預言した。
「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。
 主はその民を訪れて解放し、
 我らのために救いの角を、
 僕ダビデの家から起こされた。
 昔から聖なる預言者たちの口を通して
     語られたとおりに。
 それは、我らの敵、
 すべて我らを憎む者の手からの救い。
 主は我らの先祖を憐れみ、
 その聖なる契約を覚えていてくださる。
 これは我らの父アブラハムに立てられた誓い。
 こうして我らは、
 敵の手から救われ、
 恐れなく主に仕える、
 生涯、主の御前に清く正しく。
 幼子よ、お前はいと高き方の預言者と呼ばれる。
 主に先立って行き、その道を整え、
 主の民に罪の赦しによる救いを
     知らせるからである。
 これは我らの神の憐れみの心による。
 この憐れみによって、
 高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、
 暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、
 我らの歩みを平和の道に導く。」


説教「神の恵み深い訪れ」(ルカ1:67-79)

 本日の待降節第4主日に与えられました福音はルカ1:67-79であります。これまで、待降節、教会暦の上での新しい年に与えられました箇所は、エルサレム入城から始まり、そのあとは、マルコ福音書の初めの個所「主が来られるのに、備えをなせ」というものであり、そのために第三の待降節主日はヨハネによる福音書の、悔い改め、罪を懺悔するために、現れた洗礼者ヨハネに関する記事でありました。
 そして、本日待降節第4主日は、そのヨハネが奇跡的に生まれ、それに対して、その父、祭司ザカリアが最初は疑ったのでありますが、ついに主をほめたたえる記事であります。本日は、ルカ福音書から与えられ、24日のイブ礼拝のときに読まれる、主イエスお誕生の箇所ルカ2:1-20とともに、マルコ福音書からは離れて、特別の個所として、本日の個所が選ばれているのであります。
 これもまた、主イエスがお出でになられるのを、先週の内海先生の説教から表現を借りるならば、ザカリアもまた救い主誕生を告げる「脇役としての地位」に、喜んで従うのであります。ルカ福音書は、神殿でのザカリアの不信仰からおこった出来事ではじまり、最後もはやり、弟子たちが、エルサレム神殿に戻ってきて、今度は主をほめたたえるという出来事で終わっている福音書であります。痛感させられていることは、私たちも、罪を犯すことから、そう簡単に抜け出せないで、礼拝と通常の1週間の生活との間を、ひょっとしたら、一生涯、繰り返すのかもしません。しかし、ルターが言ったように、私たちは、「罪人にして同時に義人」とされる洗礼を、この場の殆どの方々が受け入れ、そして、信じて、聖餐を受け続ける者であります。激しい罪との戦いに敗れることもたびたびあるでしょう。しかし、私たちは、本日のザカリアの歌、ベネディクツスと言われる祭司の歌を、あるいは、堂々としたマリアの賛歌を、それぞれ歌い続けることが出来るのであります。ザカリアの歌は、これらの言葉を、旧約聖書の中から選び取って作られています。詩編や、イザヤ書やミカ書やマラキ書、あるいは、創世紀や出エジプト記などから、救い主が来るとの約束の言葉を引き出しているのであります。暗闇に、また、死の陰に座している人間に朝日が昇るように、主がお出でになられるのであります。ザカリアは、洗礼者ヨハネが自分たち夫婦が老いて後に、奇跡的に生まれたときに、救い主がそのすぐあとにお出でになることを、今や信じ、確信をもって歌っているのであります。私たちは、暗闇と死の陰に座りこんでいる、そういう存在ではないでしょうか。私自らも振り返りまして、闇の中に座し、伏して、罪を繰り返す弱い、愚かな存在であることをしばしば痛感させられますが、この罪、闇、死を打ち破ってくださるのは、神からのメシア、主イエス・キリストをおいて、他には何もないし、また誰もいないのです。しかし、そのような私どものところにも、主は、闇から上ってくる太陽のように光をもたらすお方であります。そして、洗礼者ヨハネのように私たちもまた、「清く正しく」歩むことができる存在へと変えられるのであります。それは、神の一方的なみ恵みによるのであり、私たち自身の内側から救われる可能性はゼロであります。自分の罪を繰り返す悲しい現実の中に主が入ってきて、生活を支配してくださることを、心から待ち望み、また願う者であります。
天の父なる神さま。
あなたが、独り子イエスを、私たちに与えてくださる時を私たちは迎えようとしています。しかし、み心に適った生活がなかなかできません。あなたとあなたがくださった独り子の十字架と復活の力によって、どうぞ、私たちの罪を取り除き、あなたとみ子の約束を心から信じる者となさせてください。キリストのみ名によって祈ります。アーメン。





 

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2005/12/18(日) 10:30:01| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)