津田沼教会 牧師のメッセージ
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「主イエスのみが見出される」(ルカ9:28-36)
ルカ福音書第9章28節-36節、2016年2月7日、変容主日聖餐礼拝(典礼色―白―)、申命記第34章1節-12節、コリントの信徒への手紙二第4章1節-6節、讃美唱99(詩編第99編1節-7節)

ルカによる福音書第9章28節-36節

 この話をしてから八日ほどたったとき、イエスは、ペトロ、ヨハネ、およびヤコブを連れて、祈るために山に登られた。祈っておられるうちに、イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いた。見ると、二人の人がイエスと語り合っていた。モーセとエリヤである。
二人は栄光に包まれて現れ、イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について話していた。ペトロと仲間は、ひどく眠かったが、じっとこらえていると、栄光に輝くイエスと、そばに立っている二人の人が見えた。その二人がイエスから離れようとしたとき、ペトロがイエスに言った。「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」ペトロは、自分でも何を言っているのか、分からなかったのである。ペトロがこう言っていると、雲が現れて彼らを覆った。彼らが雲の中に包まれていくので、弟子たちは恐れた。すると、「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」と言う声が雲の中から聞こえた。その声がしたとき、そこにはイエスだけがおられた。弟子たちは沈黙を守り、見たことを当時だれにも話さなかった。
 

説教「主イエスのみが見出される」(ルカ9:28-36)

 今日は、変容主日であり、白い色を聖卓にも、用いていますが、顕現節、エピファニーの最終主日でもあります。主イエスのまことの姿が現される、特別の日曜日であります。

 今日の福音、ルカ9:28-36から、しばらくご一緒に考えてみたいと思います。それは、「これらの言葉の後、約8日目に成ったことであるが」と今日の記事は始まっています。

 いつから、8日目だったのでしょうか。すぐ前の主イエスのなさった、第一回目の受難予告からとも取れましょうし、ペトロが「あなたこそ、神からのメシアです」と信仰告白をしたときから、約一週間たったときのことであるというのかもしれません。

 主イエスは、祈るために、ペトロ、ヨハネ、ヤコブだけを連れて、山に登られます。特にルカ福音書では、大切なときに、主イエスは祈ることをなさいます。ここも、そうであります。私たちも、本当に大切なとき、試練のときには、真剣に祈らざるを得ない。主イエスは、この時に、どうしても祈らざるを得なくなり、モーセがシナイ山でアロンなど3人を連れて、主なる神と、言葉を交わすために、登って行ったように、3人の内弟子を伴っていかれます。

どこの山であったのかは、記されておらず、フィリポ・カイザリアでペトロが、「あなたは、神からのメシアです」と言ったようにも書かれていません。ともかく、人気のない、神と向かい合う祈りの山に向かわれるということが、起こったとしか、ルカは書きません。

そして、祈っているときに、主イエスの顔の様子、外観が、違ったものとなり、その衣服は、白く、稲妻のごとくきらめいたというのであります。方々を歩き回られて黄ばんだ衣服や、埃にもまみれていたであろう主イエスの顔が、別の形を取り、着ていた服も真っ白に輝きます。

そして、栄光のうちに、二人の人物が現れます。おそらく夜のことであったでしょう。彼ら三人は、話し合っていたのであります。やがて、主イエスが成就しようとしていた、エルサレムでの最期のことについてであります。この「最期」と訳されています言葉は、もとの文では「エクソドス」という言葉で、これは、出エジプト記のことでもあります。「道の外へ」あるいは、出口といった意味ですが、ここでは、主イエスの死のみならず、復活から、昇天、天への出発・旅立ちを含んだ意味合いで使われています。

ルカによる福音書は、9:51から、主イエスはエルサレムに向かい始める転換点となっていますが、天から来られた主イエスが、9:51からいよいよエルサレムへの旅空を歩む構成となっており、そのエルサレムで、十字架の死と復活があり、エルサレムから天へと、エクソドス、旅立たれる、筋書きとなっています。

今日の記事は、その主イエスの「エクソドス」について、モーセとエリヤが現れて、栄光のうちに、主イエスと、論じ合っている光景が記されているのであります。

非日常的な光景であり、私たちの現実世界とは一見無縁の出来事のようにも思われます。しかし、ペトロが、8日ほど前に、告白した「あなたは、神からのメシアです」と告白したことが、ここ、山の上で、主イエスの変貌となって、現されており、そこに、律法と預言者を表すモーセとエリヤが、天からの訪問者として、主イエスと彼の「エクソドス」「出発」について話し合っているのであります。

この出来事は、昔から、主イエスの復活の出来事を、この時点にまで、遡らせて記述したものではないかとも論じられてきました。しかし、マルコも、マタイも、この同じ出来事を記しており、しかし、ルカは、このときの出来事を、ペトロたち、3人は、十分には理解できず、秘密に保ったまま、十字架と復活の出来事の後になるまで、その意味が隠されていたというふうに記しています。

さて、栄光に包まれた主イエスと二人が立っているのを、眠気でまぶたが重くなっていたペトロたちが、何とか、寝ないで見ていたとき、モーセとエリヤが、彼らから離れて行きつつありました。ペトロは、そのとき、私たちがここにいることは、すばらしいことです、ですから、仮小屋を、イエス様あなたと、モーセと、エリヤに一つずつ建てましょうと言いますが、彼は何を言っているのか分からないままにそう言ったとあります。

仮小屋の祭り、スコトの祭り、仮庵祭は三大祭の一つですが、秋の収穫感謝の祭りでしたが、やがて出エジプトの出来事を記念する祭りにもなりました。そこにブースをこしらえて、しのぎ場として、3人に少しでも長くそのままいてほしいと、ペトロは考えたのでしょうか。

しかし、雲が起こり、彼らを覆い始めます。そして、彼らは恐れますが、雲の中から、声が成ります。「これは、私の子、選ばれた者、彼に聞け」と。そして、その声が成った後には、主イエスだけが見出されるのであります。

主イエスとは、神の子であり、また、主の僕であり、「人の子」として、終わりの日には、雲に乗って、栄光のうちにお出でになられる方でもあります。そして、その彼に聞けとは、すぐ前にありますように、十字架におかかりになり、復活されることになっているとの主イエスの言葉を受け入れ、また、主イエスに従う者として、私どもも自分の十字架をになって、歩むようにとの主イエスのみ言葉に聞き従っていくことであります。

そして、それは、私たちのこの地上での日々の戦いであり、なすべき働きにおいて、主イエスの十字架の死と復活、昇天によって実現する救いの道に生きるようにとの、主イエスの言葉に従うようにとの天の父なる神のご意志が示されたのであります。

地上での主イエスとエルサレムへと歩んでいくペトロたちにとって、この日の出来事の意味は隠されたままでしたが、その旅路の目指すところを知っている私たちは、日々の仕事と戦いの中に、今あって、主イエスの十字架の死と復活、昇天、さらには、再臨の約束を知らされております。

ですから、今からは、もう一度目覚めて、罪と死から解き放たれて、闇から光へと主イエスの切り開かれた道、十字架と復活による新しい命の道を歩んでいきましょう。

一言祈ります。

父なる神さま。
新しい、この一年をみ子イエスによって示された、おのおのの十字架を、日々、担って歩む者とならせてください。キリストのみ名によって。アーメン。


2月生まれの方々のために。
父なる神さま。
この月に生まれた兄弟姉妹を感謝します。主の十字架と復活によって、与えられている、まことの歩みをまっとうすることができますように。家族や友人たちを慰め、キリストの光をそれぞれに与えられた生活を通して、指し示す、あなたの子らとして、強め、励ましてください。どうぞ、この方々の健康を守り、また、何よりも、み言葉から離れずに、健やかな霊を育んでくださいますように。キリストによって祈ります。アーメン。
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2016/02/07(日) 10:30:00| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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