津田沼教会 牧師のメッセージ
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「主イエスが慰められるあなた」(ルカ6:17-26)
ルカ福音書第6章17節-26節、2016年1月31日、顕現節第5主日礼拝、(典礼色―緑―)、エレミヤ書第17章5節-8節、コリントの信徒への手紙一12:27-13:13、讃美唱1(詩編第1編1節-6節)

ルカによる福音書第6章17節-26節

  イエスは彼らと一緒に山から下りて、平らな所にお立ちになった。大勢の弟子とおびただしい民衆が、ユダヤ全土とエルサレムから、また、ティルスやシドンの海岸地方から、イエスの教えを聞くため、また病気をいやしていただくために来ていた。汚れた霊に悩まされていた人々もいやしていただいた。群衆は皆、何とかしてイエスに触れようとした。イエスから力が出て、すべての人の病気をいやしていたからである。

 さて、イエスは目を上げ弟子たちを見て言われた。
 「貧しい人々は、幸いである、
 神の国はあなたがたのものである。
 今飢えている人々は、幸いである、
 あなたがたは満たされる。
 今泣いている人々は、幸いである、
 あなたがたは笑うようになる。
 人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである。その日には、喜び踊りなさい。天には大きな報いがある。この人々の先祖も、預言者たちに同じことをしたのである。 
 しかし、富んでいるあなたがたは、不幸である、
 あなたがたはもう慰めを受けている。
 今笑っている人々は、不幸である、
 あなたがたは悲しみ泣くようになる。
 すべての人にほめられるとき、あなたがたは不幸である。この人々の先祖も、偽預言者たちに同じことをしたのである。







 
説教「主イエスが慰められるあなた」(ルカ6:17-26)

 今日は、この礼拝の後、津田沼教会総会が開かれます。この、教会の大事な節目となる主の日に、与えられた、それぞれのみ言葉は、まことにふさわしいものではないかと思うのであります。

 まず、最初に読まれましたエレミヤの言葉は、祝福と呪いの言葉でありました。主に従って歩む者は、どんなときにも、豊かに実を結ぶが、自分の力におごって歩む者は、そうではない。神でないものを神として、この世の力やはかないものを、頼りに、迷いに迷って、それに気づかない。まだ、礼拝で朗読はされませんが、讃美唱の詩編の第1編も、ほぼ同じような内容であります。み言葉につながって生きる者は、川のほとりに植えた木のように、どんなに厳しい環境に襲われても、実を付け続けると言うのであります。

使徒書の日課の第1コリント書も、教会は、私たちの体と同じで、いろいろな者たちがおり、預言者や教師、今で言えば、牧師、役員、また、そのほかの奉仕をするものがおり、各人にいろいろな賜物が与えられている。そのような、教会において、信仰、希望、愛がなくてはならないが、最後まで残る、もっとも大いなる賜物とは愛という賜物であると、分裂気味であった、コリントの教会の人たちに向けて説いているのであります。

 そして、顕現節第5主日の福音として、今日は、ルカ6:17-26が与えられております。これは、教会の一年間を振り返り、また、これからの一年の歩みを話し合う、今日の総会の日に、期せずして摂理のように与えられたとも言える、まことに適切な福音の記事だと思うのであります。

それは、まず、こういうものでありました。主イエスは、山に登り、祈られて、ペトロと呼ばれるシモンなど、12使徒をお選びになります。そして、彼らと共に山を下り、平地へと、お立ちになられます。これは、そこで、あえて足を止めるというようなニュアンスであります。そこに、大勢の弟子たちや、おびただしい民衆が、ユダヤから、エルサレムから、シドンやティロスからもやってまいります。それは、何のためであったかと言いますと、彼に聞くため、あるいは、癒されるためであり、そこで人々は彼に触ろうとしていたのであります。そして、力が彼から出て行き、汚れた霊によって悩まされている者たちを癒していたのであります。

 私たちをみ言葉によって、癒し、また、私たちを悩ます悪霊を追い出して、罪と死の力から解き放つために、主イエスはお出でになられ、12使徒たちと共に、私たちの悩み多き平地に、足をとどめてくださる、そのためにこそお出でになられたお方として、私たちの生活の只中にお立ちになってくださるのであります。

さて、そこで、主は、弟子たちに向かって目を上げて、「幸いなるかな」と語り始められるのであります。マタイでは、山上で、むしろ、選ばれた弟子たちに向かって語られるのでありますが、ルカでは、どうでしょうか。ここで、語りかけられている弟子たちとは、主イエスに耳を傾けむけようと従ってくるすべての者であります。

幸いだよ、貧しい人たち、なぜなら、あなた方にこそ、神の国はかかっている、存在しているからだと言われます。ルカは、既に、マリア賛歌においても、マリアに主は、王座についている者をあざわらい、その座からひきづりおろし、空手でお返しになると語らせ、低い者、貧しい者を、引き上げ、よいもので満たされると歌わせていました。

主イエスは続けて、幸いなのは、今飢えているものたちだよ、なぜなら、あなた方は満腹するだろうから、と言われ、さらに、今、泣いている者たちは幸いだ、あなた方は笑うようになるから、と言われます。

貧しい人たち、飢えている人たち、泣いている人たちとは、バビロン捕囚を経験した、イスラエルの国の人たちにとっては、自分たちのことであるとすぐに分かったと思います。主なる神は、しかし、そのような窮境の中で、やもめとみなしごを助け、憐れまれると約束しておられました。主イエスは、メシアとして、お出でになられ、そのような貧しい者こそが、福音を聞かされるというイザヤの預言の言葉が、ご自分において、あなたがたが耳にした今日実現していると、語られていました。

そして、4番目の幸いとして、人々が、人の子のために、すなわち私のために、あなた方を追い出し、ののしり、あなたがたの名を悪いものとして追い払うとき、あなた方は幸いである。その日には、喜び踊れ。天におけるあなた方の報いは大きいからといわれました。神さまが、共におられ、知っていてくださると言うのであります。彼らの父祖たちも、真の預言者たちに対してそのようなやり方で行ってきたのであると言われます。

エレミヤも、エゼキエルも、イザヤも、真の預言をした者たちは皆、迫害されました。主イエスも同じであります。そして、私たちが、主イエスに従うゆえに、迫害を受けるときには喜び踊れと言われるのであります。使徒たち、ペトロも、パウロも、同じように、このあと、キリストの名のゆえに、辱められるのを誇りとし、喜びとしていったのであります。

それに対して、しかし、災いなるかな、富んでいる者たち、あなた方は既に慰めを受けてしまっているからと言われます。この「受けてしまっている」というのは、もうもらうべきものが、何も残っていないという意味の言葉であります。主イエスは、祈るときには、人々に知られないように、納屋に入って祈れ。断食するときには、頭に油を塗ってしなさい。ファリサイ派のように、これみよがしにし、あるいは、見苦しくするな。なぜなら、それでは、天にもう報いが残っていなくなるからと言われました。


さらに、幸いの4つと対応して、今、満腹している者は、災いだ。あなた方は飢えるようになるから。今、笑っている者は、災いだよ、なぜなら、あなた方は泣き悲しむようになるからであると言われます。そして、すべての人たちがあなた方をよく言うとき、あなた方は災いだ、なぜなら、偽預言者たちに対して、彼らの父祖たちも、同じやり方をしたからだと言われるのです。今までどおりの、自分たちの生き方、神から離れているままの歩みを認めてくれる預言者を、昔のイスラエル人たちも、むしろ歓迎したのであります。

この4つの幸いな人たちと、災いなる人たちとは、しかし、弱い私たちの両面ではないでしょうか。私たちも、何とかして、富んだ者になろうとし、笑って過ごし、食に満ち足りて人並みの、いや、そこから抜きん出た生活を求めている者ではないでしょうか。

しかし、神により頼むしかない貧しい者、ほかによるべきもののない者を、神は満ちたらせて、慰めをお与えになられます。主イエスと共に、この神の支配は既にやって来ているのです。

神の恵みのみに信頼し、お金の力や、自分の力に頼ることなく、主イエスに信頼し、そのみ言葉にのみ従う者を、主イエスは、平地の説教での締めくくりとして、岩の上に建てた家に譬えられます。主よ、主よと唱えるだけでなく、主のみ言葉に従っていく者は、川のほとりに植えられた木と同じく、どんな旱魃のときにも、実を生み続けます。主イエスの、み言葉によって、癒され、実を結んでいく。無償で与えられる恵みによってのみ、歩んでいく。そのような神の前に貧しい者、み言葉に飢え渇く者として、この一年を歩んでいきましょう。

お祈りをいたします。

天の父なる神さま。私たちは、弱く、み言葉からすぐに離れ易い者です。しかし、あなたは、あなたに信頼する者、また、み子の福音に従おうとする者を、見放すことはなさいません。水辺に植えられた木のように、どんな試練に悩まされるときにも、命の水につながって、実を結んでいく者とならせてください。今日持たれます津田沼教会の総会の上に、あなたの豊かな祝福をお与えください。キリストのみなによって祈ります。アーメン。







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2016/01/31(日) 10:30:00| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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