津田沼教会 牧師のメッセージ
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「キリストに仕えて」(コリントの信徒への手紙二11:23-27)轟勇一先生への告別説教
Ⅱコリント11:23-27、2016・01・25、午後1時、轟勇一先生の告別式

コリントの信徒への手紙二11:23-27

 キリストに仕える者なのか。気が変になったように言いますが、わたしは彼ら以上にそうなのです。苦労したことはずっと多く、鞭打たれたことは比較できないほど多く、死ぬような目に逢ったことも度々でした。ユダヤ人からは四十に一つ足りない鞭を受けたことが五度。鞭で打たれたことが三度、石を投げつけられたことが一度、難船したことが三度。一昼夜海上に漂ったこともありました。しばしば旅をし、川の難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、海上の難、偽の兄弟からの難に遭い、苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました。







説教「キリストに仕えて」(コリントの信徒への手紙11:23-27)


 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなた方にあるように。 


今ほど、お読みしましたのは、地中海の都市に、今のギリシャやヨーロッパに、キリスト教、イエス・キリストの福音をのべつたえた使徒パウロの言葉であります。

コリントと呼ばれる都市の、パウロが土台をすえた教会に当てた手紙のごく一部であります。必ずしも、立派な教会ができていたわけではありません。その教会の人々に涙と激しい思いを持って書いたコリントの信徒への手紙二というものの一節であります。

私は12年、この津田沼教会に赴任してたとうとしています。12年前に赴任しましたときに、轟先生と、石田さんという日本ルーテル教団に属します役員さんが来られて、NRK、すなわち、日本ルーテル教団の船橋教会で持たれる礼拝と集会に招かれまして、幾度となく出席させていただきました。

初対面のころであったと思いますが、どんなことに関心があるのか、卒論は神学校で何をやったのかと、轟先生から聞かれまして、私は賀川豊彦を、テーマに選び「愛の実現の神学」という賀川の神学をやりましたというと、先生は、ではいつか、―神戸のスラムで神学生であった賀川が、当時の貧民くつ、今ではスラム街と呼ぶようになりましたが、―そういうところで伝道するつもりはあるのかと、訊かれました。日本福音ルーテル教会には、釜が崎に、今も「喜望の家」というのがあるのですが、当面はそういう覚悟はできていませんとお答えしたのを覚えています。

轟先生は、NRKの伝道師として、「ルーテルアワー」や伝道パンフレットの「百の質問」や「百のクイズ」も著作したり、熱心な伝道者でありました。今日のこの手紙を書いたパウロは、この人がなければ、今のキリスト教の教会はなかったとも言いうる伝道者でありますが、夜は天幕作りをし、働きながら、異邦人の世界にキリストを、紹介し、教会を立てていった使徒であります。
轟先生の働きも、このパウロに従ったものであると言うことができましょう。

さて、今日のパウロはこう言っています。だれが、キリストに仕えるものなのか。これは、ディアコニアということばにつながる言葉で、奉仕すると言う意味であります。多くの偽使徒や妨害するユダヤ人に対して、自分こそは、キリストに仕える者、ディアコノスというのであります。

そして、この「キリストに仕える者」と言う以上に、私たち、キリスト者にとりまして、栄誉である称号はないのであります。

パウロは、わたしは、12使徒以上に、それに劣らない使徒であるといいました。最初は、キリスト者たちを迫害していたのでありますが、天から、主イエスの声を聞き、落馬して、何日も、目がみえなくなっていたのですが、コルネリオという信者が聖霊の導きで、パウロを訪ね、目からうろこが落ちまして、異邦人世界への、キリストの福音をのべつたえる伝道者に変えられた、否、生まれる前から、そうなるように決められていたと申します。

その伝道の中で、苦労や徹夜や、同胞からの危険や、川での危険、強盗の危険、飢え渇きの危険、死にそうになった、幾つもの危険、40に1つ足りない鞭打ちや死んだと思われた石打ちの危険にもあいました。

しかし、パウロは、自分に与えられた恵みを決して無駄にすることはなかったのであります。はだかのときも、寒さに震えるときも、恥にも堪えて、戦ったのであります。

パウロは弱いところもありました。手紙は立派だが、会って話してみると、力もなく貧しいしゃべり方だったとも書いてあります。
 
しかし、主イエスは、パウロに、天から、あなたには抜き取れないとげが、心に、あるいは体に与えられているが、弱さの中でこそ、力は発揮されると示され、恵みはそのような中でこそ発揮されると告げられて、どの使徒たちよりも、多くの働きができる結果となったのであります。

轟先生のご生涯も、パウロと同じように、キリストに仕える生涯であられました。働きながら伝道を精一杯なさったのであります。略歴に書きましたように、24歳のときにリチャード・マイヤー先生から洗礼を受けておられます。65年もの信仰生活を送られたわけであります。ご苦労も大きかったと思います。先生のお父様は、医師であったと窺っております。官立の前橋医科大、今の群馬大の医学部に入りましたが、肺結核のため中退されています。

しかし、長い間の伝道師としての働きをなさることとなり、奥様の順さまの内助の功も大きかったと思います。そして、娘さん、息子さん、また、立派なお孫さんが育っておられます。先生の働き、その恵みは決して無駄になることなく、先生の労苦は主イエスがだれよりも、ご存知です。

残されました、順奥様を始め、孝信さん、高木恵子さんのご家族が、これからもますます轟先生の遺志をついで、実り豊かなご家庭を築き、神の栄光がさらに与えられますように。


人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安があなた方の心と思いとを、キリストイエスにあって守るように。





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2016/01/25(月) 13:00:00| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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