津田沼教会 牧師のメッセージ
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--/--/--(--) --:--:--| スポンサー広告| トラックバック(-) コメント(-)
「すべてを神に献げる生活」(マルコ12:41-44)
マルコ福音書第12章41節-44節、2015年11月15日、聖霊降臨後第25主日聖餐礼拝、(典礼色―緑―)、列王記上第17章8節-16節、ヘブライ人への手紙第9章24節-28節、讃美唱146(詩編第146編1節-10節)

マルコによる福音書第12章41節-44節

 イエスは賽銭箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。大勢の金持ちがたくさん入れていた。ところが、一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランスを入れた。イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。



説教「すべてを神に献げる生活」(マルコ12:41-44)

マルコ福音書と共に歩んできたB年も残すところ、今日と次週の主日2回のみとなりました。マルコの、福音書としては一番古いという福音書が伝える、生き生きとした主イエスのお姿をこれまで見てきました。
そして、今日のマルコの記事は、エルサレム神殿の境内での一幕であります。婦人の庭といわれる所に、13のラッパの形をした容器が置いてあって、それにささげものをしていた。その自由にささげられるうちの1つにこの貧しいやもめは、やって来て2レプタ、当時の最初の貨幣2つを入れたのであります。
Ⅰデナリオンが当時の一日の労賃、その64/1と言いますから、2レプタで300円ほどであったでしょうか。それを、宝物殿という場合に使われる言葉であるこのもの、賽銭箱と新共同訳では訳されていますが、この訳は誤解を生むのではないかと思いますが、とにかく、そのなかへと投げ入れたのであります。賽銭箱とありますが、日本の神社のそれとは、違ったものであります。
ユダヤ人たちは、初物の10/1をささげていた。そして、それは、レビ人ややもめや孤児を助けるために本来用いられたのであります。ところが、この時代には、律法学者がやもめの家を食い荒らし、贅沢な祭儀のために余分な、有り余った中から献金をし、神の喜ばれぬ捧げ物や祭儀が、平然と行われていたのであります。
今日の列王記上の記事では、やもめがひでりと飢饉の中、一握りの小麦粉の身で餓死し王になったとき、エリヤの求めで、パンを作り差し出して、息子もエリヤも、雨が降るまで、尽きざる壺の粉、尽きざる甕の油で養われるという奇跡が記されています。
しかし、主イエスの目にしたやもめの献金は、律法学者や不正な金持ちによって、歪められた神礼拝に陥っている中での嘆きのささげものとも言えるのであります。しかしまた、それは、すべてを神に明け渡し、神に全信頼をおいたささげものであります。
主イエスは、この一人の貧しいやもめに目を留めるようにと弟子たちを、自分の側へと召集し、集中させるのであります。自分の持っているものすべてを、窮乏の中から、全生活費を、これはすべての命、ビオスという言葉ですが、生きざまを、生活を彼女はささげるのであります。
主イエスによって、今日の記事のすぐ前で、「律法学者たちに気をつけなさい」と、言われた、その者たちは、高ぶりと有り余る中から、神の喜ばれないささげものをし、神の喜ばれない贅沢な祭儀に明け暮れていました。
そこで、主は、この後すぐに、あなた方の見ている神殿はあとかたもなく崩壊すると、預言されるのです。
私たちの礼拝、私たちの信仰生活は、どうでしょうか。主が気をつけなさいと言われた律法学者の生活ぶりを、他人事といって笑うことは出来ません。
この教会暦の終わりを前にして、私たちは、自己を捨てて、自分の十字架を負って、私に従って来なさいと言われる主イエスの後に従わないわけにはいきません。
今日の記事で記されているこの一人の貧しいやもめは、この後まもなく、私たちの罪のために十字架にお付きになる、私たちのためにすべての命を差し出される主イエスご自身をも、指し示す姿なのです。
私たちの礼拝が、神に喜ばれるくずおれた魂のものとなり、焼き尽くすささげものや、有り余った中から差し出すささげものの礼拝ではなく、すべてを神に差し出し、自分をすべて神に明け渡す礼拝となりますように。
新しい教会暦の一年に向かって、罪から解き放たれ、やがて迎える一年も喜びの礼拝を過ごす一年となりますように。祈ります。

天の父なる神さま。この過ぎました一年、多くの罪を犯しましたが、にもかかわらず、あなたのみ子、主イエスの十字架によって、罪赦され、ここまで恵みのうちに歩めましたことを感謝します。キリストによって、アーメン。
















スポンサーサイト
2015/11/15(日) 10:30:00| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。