津田沼教会 牧師のメッセージ
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「国は戦うことをしなくなる」(ミカ書4:1-5)
ミカ書4章1節-5節、2015年8月2日、平和の主日聖餐礼拝(典礼色―赤―)、エフェソの信徒への手紙4章1節-5節、ヨハネ福音書15章9節-12節、讃美唱201(イザヤ書2章2節-5節)

ミカ書4章1節-5節
 
 終わりの日に
主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち
どの峰よりも高くそびえる。
もろもろの民は大河のようにそこに向かい
多くの国々が来て言う。
「主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。
主はわたしたちに道を示される。
わたしたちはその道を歩もう」と。
主の教えはシオンから
御言葉はエルサレムから出る。
主は多くの民の争いを裁き
はるか遠くまでも、強い国々を戒められる。
彼らは剣を打ち直して鋤とし
槍を打ち直して鎌とする。
国は国に向かって剣を上げず
もはや戦うことを学ばない。

人はそれぞれ自分のぶどうの木の下
いちじくの木の下に座り
脅かすものは何もないと
万軍の主の口が語られた。
どの民もおのおの、自分の神の名によって歩む。
我々は、とこしえに
我らの神、主の御名によって歩む。






説教「国は戦うことをしなくなる」(ミカ4:1-5)

 今年は、終戦というよりも、第二次世界大戦の日本敗戦から70年目の節目を迎えています。日本福音ルーテル教会では、毎年この8月の第1日曜日を、「平和の主日」として礼拝を守ります。

そして、この日には、飽くこともなく、同じ日課が与えられ、そこから説教されます。第1の朗読は、ミカ書4:1-5であります。そして、今日の讃美唱は、イザヤ書2:2-5が挙げられています。使徒書は、エフェソの信徒への手紙2章から、読まれました。イエス・キリストの十字架の死を通して、異邦人とユダヤ人との間の垣根は取り払われ、また、私たちの間の敵意という隔ての壁もなくなったとパウロは言います。もはや、天と地との隔たりも、主イエスの贖いの死によってなくなったのだから、キリストにおいて一つとなり、平和を実現されたお方のもとで、一つの霊となって御父に近づこうではないかというのです。

 さらに、今日の福音は、ヨハネ福音書15章からのみ言葉です。主イエスというぶどうの木につながって、互いに愛し合うという実を結びなさいという告別説教の中にある主イエスのお言葉であります。

さて、今年もまた、ミカ書の預言、ミカの見た、あるいは聞いた、万国平和の幻のみ言葉であります。この個所は、今日の讃美唱であるイザヤ書2:2-5と非常によく似ています。それで、昔から、どちらがより古いのか、どちらが他方から借りて来たのか、それとも、両者が拠り所とした共通の伝承があったのかなどを巡って、諸説があります。それを確実に決定することは、不可能でしょう。

しかし、両者は微妙に違っております。イザヤ書では、すぐ前に預言者イザヤが見た幻と表題が書かれているのに、ミカ書ではそれがなく、逆にイザヤ書にない文章がミカ書では巧みに織りなされています。ミカ書の方がより詳しく、世界平和のこの預言が記されており、平和主日に、ミカ書が第1朗読として読まれるのは、より鮮やかにこの終わりの日の預言、約束が記されているためとも考えられます。

従って、ミカ書の方がより後で、進化して記されているのではないかと、私は思います。イザヤ書と非常に似た預言であり、また、文脈的にも似通った特徴がありますが、ミカ書の方がより鮮明に、万国平和の使信を伝えているように思うのであります。

 ミカ書の今日の記事のすぐ前には、腐敗したエルサレム神殿の有様、賄賂を使う祭司や民のことなど眼中になく、神殿を汚す指導者たちの実態をミカは非難しています。そして、神殿は耕された畑のようになると、アッシリアに攻め滅ぼされる前のひどい実態を、預言者は非難し、エルサレム神殿への呪いを預言しているのです。

 それにもかかわらず、今日のミカ書の預言は、一変して、こう始まります。日々の終わりには、すべての山々が、シオンの山、ヤコブの家の丘に向かって流れ来たる。そして、この山は、すべての峰よりも高くそびえたち、堅く据えられるというのです。向かいのオリーブ山よりも低いシオンの丘がまわりのすべての峰峰よりも高くそびえたつ日が来るというのです。

そして、諸々の民は言うのです。我々は、シオンの山に向かって歩もう。なぜなら、ヤハウェがその道から、教えるので、彼の教えるその旅路を我々は歩もう。なぜなら、教え、これは、モーセ五書を言う場合のトーラーという言葉ですが、ここではもっと広い意味でヤハウェの教えは、シオンから出るからだ、そして、ヤハウェの言葉はエルサレムから出るからだと、異邦人たちは、ヤハウェのもとに巡礼するために、川のように流れ来たるというのであります。

そして、この終わりの日に、人々は、彼らの剣を打ち直して鋤とし、その槍を打ち直して鎌とするというのです。アッシリア帝国に攻め滅ぼされることになるエルサレムに、諸国民がヤハウェの教えのもとに巡礼をしに来る、しかも、世界の諸々の民は、戦争の武器を打ちたたいて、農作業の用具に作り変えるというのです。鋤や鎌を、戦争のために、剣や槍の刃に作り変えるというのが、それまでの人類の歴史でありました。ところが、ミカは、逆のことが、終わりの日に起こると約束するのです。


そして、ミカは、農業に勤しむ民の平和な生活を記しています。人は、彼のぶどうの木の下に座り、あるいは、もはや何をも恐れることなく、そのいちじくの木の下に座るというのです。何ものをも恐れることなく、人々が平和を楽しむ日が来るというのです。

そして、国民が別の国民に向かって剣をあげることはもはやなくなり、国は戦うために訓練することはなくなるというのであります。

そして、最後に、あらゆる民、異邦人は、彼の神、あるいは神々の名によって歩む。しかし、我々は、我らの主なる神の名において、永遠から永遠にどこまでも歩むと誓うのであります。

イザヤ書の並行記事では、ヤコブの家よ、主の光の中を歩もうと、微妙に違う表現となっています。イザヤ書では、ヤコブの家、イスラエルの民に向かって、招きの言葉で終わっています。

それに対して、ミカ書では、異邦人たちは、依然として、ヤハウェの名において歩まず、自分たちのそれまでの神、あるいは神々、あるいは、自分たちの力で歩んでいるのであります。

けれども、我々は、終わりの日には、我々の主なる神の名において、それからは永遠に歩むであろうとの決意表明となっているのであります。そして、この終わりの日とは、いつでありましょうか。それは、地球の運命の最後の日というようなことでしょうか。

そうではなく、これは、神が定められた約束の日という意味であります。すなわち、神が定められた救いの日、つまり、主イエスをこの世に送り、十字架にかけて、私たちの罪のために殺させ、復活させられた日のことであります。

私たち、教会が、今から後は永遠に、この復活の主の名において、堅く歩むとの誓いの言葉で、今日の万国平和の幻は結ばれているのであります。

聖書の他の個所では、詩編などに、神御自身が人々の剣や槍を打ち砕くといったみ言葉が記されています。しかし、ミカ書では、私たち、主の民が、今後は主のみ名において、ただ平和を享受し、満ち足りて座っているのではなくて、現状に甘んじて、ただ神にゆだねていくというのではなくて、自ら立ち上がって歩み続けるというのであります。

十字架の死から復活し、弟子たちに現れた主イエスは、全世界に出て行って、洗礼を施し、主の教えたことをすべて教えるようにと、弟子たちを送り出されました。

ミカ書も、そのことを預言していると言っても過言ではないでしょう。それは、軍事力による、大国の力による平和ではなく、キリストの十字架と復活を通して与えられるまことの平和であり、み子誕生の時に天使たちが歌った「いと高き所では、神に栄光が、地では、ご好意の人間に平和があるように」との、キリストによる平和であります。

国が国に向かって剣をあげず、もはや、戦うことをしなくなるとのミカ書の預言は、神の約束であります。神が終わりの日に実現なさるとの約束であります。

けれども、私たち、主イエスにより贖い出された民、教会につなげられた一人一人は、巣イエスのみ名によって、とこしえに歩き続けるとの決意と誓いを、この日新たにさせられるのであります。そして、それは、今日のヨハネ福音書にありますように、身近なものを互いに自分自身のように愛し合うことから始まるのであります。

アメリカ合衆国では、結婚するカップルの半数が離婚するとも言われています。日本での離婚率はそんなに高くはありませんが、いわゆる家庭内離婚といった状況は深刻になっていると指摘する精神科医もいます。

私たちの身近なところから、敵意の隔てを打ち破り、愛し合い、赦し合う家庭、また教会を打ち立てて行くところから、国が国に向かって剣を上げず、もはや戦うことをしなくなるとの今日の聖書の預言が実現されていくのであります。


一言祈ります。

天の父なる神さま。戦後70年のこの節目の平和について思い巡らす時を、目を覚まして歩んでいくことができますように。私たちが、ごく身近なところで、愛し合い、赦し合う生活を築いて行けますように、憐れみ励まして下さい。私たち、信仰者の一人一人が世の動きに目を凝らし、しっかりと自分の言葉で平和のために意見を述べていくことができますように、み言葉によって力づけて下さい。イエス・キリストのみ名によってお祈りいたします。アーメン。
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2015/08/02(日) 10:30:00| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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