津田沼教会 牧師のメッセージ
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「信仰に生きた人々」(Ⅰコリント15:50-58)
コリントの信徒への手紙一15章50節―58節、2015年5月17日(日)召天者記念聖餐礼拝(典礼色―白―)


コリントの信徒への手紙一15章50節-58節

 兄弟たち、わたしはこう言いたいのです。肉と血は神の国を受け継ぐことはできず、朽ちるものが朽ちないものを受け継ぐことはできません。わたしはあなたがたに神秘を告げます。わたしたちは皆、眠りにつくわけではありません。わたしたちは皆、今とは異なる状態に変えられます。最後のラッパが鳴るとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は復活して朽ちない者とされ、わたしたちは変えられます。この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを必ず着ることになります。この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを着るとき、次のように書かれている言葉が実現するのです。
 「死は勝利にのみ込まれた。
 死よ、お前の勝利はどこにあるのか。
 死よ、お前のとげはどこにあるのか。」
 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。わたしたちの主イエス・キリストによってわたしたちに勝利を賜る神に、感謝しよう。わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたたちは知っているはずです。




説教「信仰に生きた人々」(Ⅰコリント15:50-58)

今日は、津田沼教会につながる先に天に召された方々を覚えて、私たちはここに集まっています。そして、与えられました聖書の個所は、今読んでいただきましたように、コリントの信徒への手紙一の15章50節から58節までです。
これは、使徒パウロが、コリントの教会の信徒たちに向けて、復活について語った一節です。
天に先立たれた方々を思い起こします時、共通して言えることは、自分は、自分の力では到底やっていけないと、いつしか、知らされて、それぞれ、キリストにつながって生きるようにされたということであります。そういう意味では、この津田沼教会につながる信徒ならびにご家族で、信者にはついにならなかった方でも、信者の息子を、あるいはその伴侶を、心から応援してくれて、今日お読みしました聖パウロの「復活」を通しての生き方をし、あるいは、そのような生き方を喜んで応援してくれたということであります。
聖パウロは、このように、言いました。
血と肉は、神の国を受け継ぐことはできないし、滅び易いもの、朽ちるものは、死なないもの、朽ちないものを受け継ぐことは決してないと。
私たちのこの肉体は、はかなく、死すべきものであり、これに望みを託することはできません。
パウロは、自分たちの死ぬ前に、主イエス・キリストがまたお出でになられるとの再臨が近いという考えを持っていました。
 ですから、私たちのすべての者が眠らされる、すなわち、死ぬるわけではないが、私たちすべての者は、一瞬のうちに、終わりのラッパの音と共に、変えられるであろうというのです。
そして、朽ちるものが、朽ちないものを着、死すべきものが死なないものを着ることに決まっている。
 そのときには、次の書かれている聖書の言葉が、その通りに成るであろうと言います。すなわち、死よ、お前は、勝利にのみ込まれた。
死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか、という旧約聖書の言葉のとおりに成るというのです。
 キリストの十字架の死によって、死は永遠になくなったというのです。死のとげ、死の痛みは、キリストによって、全滅させられました。
 そして、パウロは、死のとげは、罪であり、罪の力は律法であるといいます。罪から、死がもたらされました。罪の結果として死があるのです。そして、罪の力は、律法によってあらわになるのです。
 罪の力から、解き放たれてこそ、死から命へ移ることができます。そして、神の国、神の支配を受け継ぐことができます。
 そして、パウロは、私たちに、こう奨めるのです。それゆえ、兄弟たち、愛する者たちよ、しっかり立つ者、動かされない者となるように、主の働きにおいて、豊かな者になりつつ、主において、あなた方の苦労は空しくないことを知りながら、と。
 私たちは、偽りの教えや、誤った力によって、絶えず挑戦されています。
しかし、パウロは、復活があるということを通して、朽ちるもの、死すべきものから、永遠に滅びないもの、変わらないものへと、私たちが一瞬にして変えられることを、教え、私たちが主の御業において豊かな者となりつつ、また、主にあって、私たちの労苦が決して空しくならないことを、知りつつ、しっかり立つ者、動かされない者と成るように、励ますのです。
 私たちも、先人の信仰にならって、今しているわざ、宣教の働きや、毎日の地味な一つ一つのふるまいも、主にあるなら決して空しくないことを信じて、また、この肉体が、さらに、朽ちることのない復活の体を着ることが約束されていることに励まされ、天からの兄弟姉妹の声援にも答えるような力強い信仰の歩みをここからまた、新たに始めようではありませんか。祈ります。

天の父なる神さま。
今日ここに、先に召された兄弟姉妹の信仰に思いを馳せ、自分たちのたつべき信仰を、確認することができました。残されました御家族、御遺族の一人一人が、ここからさらにしっかりと立って、それぞれの人生を歩んでいけますように。この感謝と願いを、キリストのみ名によって、お献げいたします。アーメン。






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2015/05/17(日) 10:30:00| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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