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津田沼教会 牧師のメッセージ
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「あなたは、後でついて来ることになる」(ヨハネ21:15-19)
ヨハネ福音書21章15節-19節、2015年4月26日、復活後第3主日礼拝(典礼色―白―)、使徒言行録4章23節-33節、ヨハネの手紙一3章1節-2節、讃美唱23(詩編23編1節-6節)

ヨハネによる福音書21章15節-19節
 
 食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた。二度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの羊の世話をしなさい」と言われた。三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現わすようになるかを示そうとして、イエスはこう言われたのである。このように話してから、ペトロに、「わたしに従いなさい」と言われた。




説教「あなたは、後でついて来ることになる」(ヨハネ21:15-19)

私たちは今、復活節を祝っています。今日の最初の朗読は、釈放されたペトロとヨハネを仲間たちが、迎え、神が復活の証言をする者たちへのご加護を、たもうことを願うのではなく、今後も、弟子たちが復活の主を大胆に証しできるようにとの願い、祈りを記し、彼らは、持ち物も出し合って、一つ心となって生活していたというものです。
それは、主イエス復活後の生き方の転換を指し示しています。
第2の朗読、一ヨハネは、私たちは既に神の子たちであり、主イエスが終わりの日に来られる時には、私たちは神に似た者とされるという信仰でした。
今日の讃美唱は、詩編23編で、神はわが牧者であり、死へと向かう荒れ野という人生を、神は羊飼いのように、導き、死の陰の谷を行くときも、終わりの日まで、主の慈しみと恵みがあとを追うという詩人の信仰、主なる神への信頼であります。
そして、今日の福音は、ヨハネ21:15-19の短い件です。復活の主は、パウロによれば、三日目によみがえり、ペトロや使徒たちに、また、500人以上に、そして、月足らずで生まれたような自分にも、死人からの復活のその体をもって、現わされました。その主イエスとのガリラヤでの顕現を記しています。
主は、あなたは、今は自分の行く所について行けないが、後に私の後について来ることになると既に告別講話の部分で、ペトロに言われていました。
自分は命を捨ててでも、あなたに従いますと誓ったペトロは、主の受難の時、三度も主を知らないと否認してしまいましたが、その主が、ガリラヤ湖畔での奇跡の大漁の後の食事を終えた時、語ります。
ヨハネの子シモン、これらのもの以上に私を愛するか。ペトロは、主よ、あなたを私が愛していることは、あなたがよくご承知ですと、三度も質問と答えがなされます。主は、私の羊、私の小さな羊たちを飼いなさい、養い、世話しなさいと、教会の群れの魂の養いをペトロに委託し、お命じになります。
もはや、ペトロの人間としての人格や無謬性の上に、この務めをゆだねるのではなく、主イエスの復活の上に、この使命が託されます。
これは、教会を牧する者に与えられるのみならず、すべてのキリストの信仰者に託された務めでもあります。魂のさ迷いから、復活の主の恵みと慈しみへと導く使命が私たち一人一人に、今日、託されているのです。
聖書の神の民は、一人で歩むのではなく、神の民として、支え合って、守り合って、人生の荒れ野の死に終わるまでの旅路を、主に感謝しながら歩む礼拝の民です。
主のご復活とは、死と闇と罪を打ち砕き、勝利した喜びの訪れです。「私の羊を飼いなさい」これが、復活の主のご命令であり、私たちに課せられる光栄な職務であり、召命であります。
そして、主は、ペトロに自分の後をあなたは、これから付いて来ることになると預言なさいます。若いときには、自分で帯を締めて自由に動き回っていた。しかし、年老いてからは、あなたは両手を差し出し、他人が帯をして、あなたが行きたくないところへ連れて行く。
ペトロは、ローマから逃げ出したとき、途上で、主に出会い、どこへ行かれますかと聞くと、ローマへと言われ、自分も帰って行き、そこで、逆し十字架刑にあって殉教したと伝えられます。
復活の主に従って、生きるにも死ぬにも、主の栄光、主が尊ばれるような生と死を歩むべく、私たちは招かれています。
十字架の主と復活の主によって、私たちは新しい生涯へと招き入れられ、本当の明るさ、喜びに生きることができます。主に愛された弟子がこの後に出て来ますが、ペトロのその弟子を通して、ヨハネ福音書の意図、キリストに従う人生を私たちは知ることが出来ます。
                                   アーメン


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2015/04/26(日) 10:30:00| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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