津田沼教会 牧師のメッセージ
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「サタンに打ち克ちながら」(マルコ1:12-13)
マルコ福音書1章12節-13節、2015年2月22日、四旬節第1主日礼拝(典礼色―紫―)、創世記9章8節-17節、ペトロの手紙一3章18節-22節、讃美唱25(詩編25編1節-9節)

マルコによる福音書1章12節-13節
 
 それから、“霊”はイエスを荒れ野に送り出した。イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。


説教「サタンに打ち克ちながら」(マルコ1:12-13)

 今日は第1の朗読は、箱舟を出たノアに示された啓示で、もう二度と地と被造物を滅ぼすことはしないとの、虹で表わされた契約の記事でありました。
 ノアの洪水も、また、四十日でありました。
 そして、第2の朗読のペトロの手紙第1では、私たちの罪のために、罪なき方が、一度だけ死なれ、その霊は、ノアの洪水のときに信じなかった、8人以外の霊の所に行って、主イエスは宣教なさったが、その水の中とは、洗礼を示しており、それによって私たちは、救われるとありました。
 さて、私たちは今日、マルコの、荒れ野でのサタンによる誘惑、試みの記事を与えられています。それは、主イエスの洗礼に続くものであります。「神の子」と天から声がし、聖霊がくだった直後のことです。
 栄光のもとに、神は、み子を置き続けないで、その霊が彼を荒れ野へと駆り立てるというのです。
 荒れ野は、悪の住む所と考えられていました。そこで、主イエスは、サタンによって誘惑され、試みられながら、40日間、戦い続けておられたのであります。
 サタンは、ヨブ記の書かれた頃には、天上での集会の一員であり、いわば、告発する検察官のような者でありました。
 しかし、やがて、人間と、また、神とも敵対する者となり、イエスの時代には、悪の力の代表のようになっていました。
 私たちを、十字架の道を歩み始めたみ子イエスから、引き離そうとする存在であり、それとの戦いに、40日間、主イエスは荒れ野で対抗しておられたのであります。
 マルコには、その間、サタンによって、試みられていたとあるだけで、何も詳しい内容は、記されていません。
 私たちが生涯戦うサタンとの戦いを、神の子が、洗礼の時の栄光の直後に、荒れ野に追いやられて、私たちのために戦っていて下さる。
 そして、私たちは、その主イエスが共にいて下さって、私たちの洗礼を通して、共に闘っていて下さることを、思い起こすことができるのです。
 主は野獣たちと共におられたとあります。野獣たちは、アダムの堕罪によって、私どもと敵対関係、恐れの関係に陥っていたが、み子イエスによって、み子イエスは、神に従順であり続け、パラダイスをここに回復したとも、考えられます。
 野獣たちと平和な、新しい時代が、ここに回復されたとも言えます。
 そしてまた、天使たちが仕えていたとあり、主の霊と天使たちが、このサタンとの戦いを支え、導くのであります。
 これは、十字架の死に至るまで、主イエスが始められたサタンとの戦いが、ここに始まったことを、記しているのであります。
 私たちにも、それぞれの荒れ野での煩悶と恐れを通してのサタンとの戦いがあります。そして、私たちもまた、洗礼を通しての直後に、荒れ野に送り込まれた主イエスと同じように、主イエスの洗礼に導かれながら、サタンとの戦いに打ち克ちながら、歩むことができると、今日の記事は私たちに約束しています。
 神の霊と天使たちの給仕、必要な支えによって、導かれながら、み子の十字架の後を歩んでいきたい、レントの40日間であります。アーメン。






















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2015/02/22(日) 10:30:00| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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