津田沼教会 牧師のメッセージ
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「まず異邦人に知らされたみ子の誕生」(マタイ2:1-12)
マタイ2章1節-12節、2015年1月4日、顕現主日(典礼色―白―)、イザヤ書60章1節-6節、エフェソの信徒への手紙3章1節-12節、讃美唱72(詩編72編1節-15節)

マタイによる福音書2章1節-12節
 
 イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。
 『ユダの地、ベツレヘムよ、
 お前はユダの指導者たちの中で
 決していちばん小さいものではない。
 お前から指導者たちが現れ、
 わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」
 そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上で止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。


説教「まず異邦人に知らされたみ子の誕生」(マタイ2:1-12)

 今日は、顕現主日、エピファニーという祝日で、カトリック教会では公現日とも言います。古代の教会では、特に西方教会では、今のクリスマスが祝われるようになる前から大切にされて来た特別の日曜日であります。
そして、それは今年、2015年の最初の主日にも当たっております。皆さま、年末年始如何お過ごしであったでしょうか。私も、新年礼拝の後、とんぼ返りで四国の松山の母のもとに帰ってきました。妹たちの家族や、兄もかけつけまして、楽しいひと時を過ごしたのでありますが、聖書の神、キリスト教を伝えることの難しさも、一方では痛感させられるときでありました。
また、皆さんから、年賀状やクリスマス・カードなどをいただく時期でありますが、宇和島の高校時代の同級生から、年賀をいただきました。関東で数年に一回、同窓会をして15人とか20人ほど集まることがありますが、何年か前にご一緒して、私が牧師であることを知って、興味深く話したことがありました。彼は、私たちはもう還暦の年を迎える年代ですから、銀行でしたか会社も一区切りついて、また別の会社で働いているという知らせを受けましたが、今は世田谷のほうに住んで暮らしているようです。同窓会では、当時は尖閣諸島の領土問題などが噴出しておりましたが、彼はクリスチャンの人々はそういう問題にどう対処するのだろうかと、少し疑問も隠せないようでありました。
しかし、彼は、私が牧師であることを心に留めて、一人の友として年賀状をくれたのだと思います。イエスこそ、私たちの救い主であるということを、私たちはどのようにして伝えることができるのでしょうか。今日の福音から聞いてみたいと思います。
さて、今日の記事は、原文では「そのイエスは、ヘロデ王の日々において、ユダヤのベツレヘムでお生まれになった」と始まっています。「そのイエス」というのは、すぐ前の1章に出て来る夢でヨセフに天使が知らせた、マリアから生まれる子は、その民を罪から救う者になり、インマヌエル、「神が我々と共におられる」と呼ばれることになる。その子の名は、イエスと呼ばれるであろうと預言されていた、そのイエスであります。
その時、見よ、東方から、マギたちが到来し、こう告げるのであります。「ユダヤ人たちの王としてお生まれになった方はどこにいますか。私たちはその方の星が昇るのを見たので、拝みに来たのです」と。
この知らせに、ヘロデは、心騒いだ、悩まされたと言い、また、全エルサレムも同様だったと言います。決して彼らは喜ばないどころは、いやだなあと思ったというのです。ヘロデは、ユダヤ人の王でありました。エルサレム神殿の建設など、政治家としての辣腕をふるっていたと言われています。エルサレムのユダヤの国の首都として、ローマ帝国の圧政に苦しみながらも、それなりに政治経済、また宗教の中心地として栄えていました。その彼らは、決してマギたちによって知らされた「ユダヤ人の王」メシアの誕生を喜ばなかったのであります。
それどころか、ヘロデは、民の祭司長たちや律法学者を呼び寄せて、メシアはどこに生まれるのか、確かめようとするのであります。彼らは、はっきりと答えました。それは、ユダヤのベツレヘムです。預言者を通してこう書かれています。ユダのベツレヘムよ、お前は、決してユダの君たちの中で、いと小さき者ではない。なぜなら、お前から、指導者が現れ、彼はその民イスラエルを牧するであろうからとあるからですと。
しかし、彼らもまた、聖書からメシアの現れる場所を示しただけで、その方を捜し求め、拝みに行こうなどとはしないのです。
さて、今度は、ヘロデは、マギたちを呼び出し、その星の現れた時期を正確に確かめようとしていました。それから、彼らを送り出し、あなた方は進んで行って、その子のことを詳しく調べて報告してくれと頼み、なぜなら、そうすれば、私も行って、彼を拝もうと言うのです。彼らは、それを聞き流しながら、出て行くと、彼の星、メシアの星が、彼らを先導し、ついにその子のいる真上まで行って止まります。彼らはそれを見て、非常に大きい喜びを喜んだと記されています。メシアを知ることはそれほど大きな喜びなのです。彼らがその家に入ると、その子はその母と共にいるのを彼らは見出し、跪いてひれ伏し拝みます。聖書の民、神の民イスラエルの者によってではなく、異邦人、異教徒によって、まず最初にメシアは礼拝されたのであります。
そして、彼らは、金、乳香、没薬を宝箱から出して、彼に贈り物としてささげます。後になって、このマギたちは、王であったと考えられるようになり、ユダヤ人の王が、異邦人の王たちによって礼拝され、臣従されるようになったと信じられるようになりましたが、あるいは、マギたちはバビロンでは星を占いながらの魔術師のような者たちだったのかも知れません。その場合には、彼らは没薬などそれを用いて生活を立てていたものを、贈り物とし、まったく新しい生き方に変えられて、帰って行ったとも、考えられます。ヘロデのもとには帰らないように夢で示され、彼らは来たときとは別の道を通って立ち去りました。それまでとは全く別の道、いのちの道を見出してそこを歩む者として帰って行ったのであります。 
私たちをその罪から救うまことの王を受け入れるのか、それとも拒むのか、その二つに一つであります。この一年、私たちはどのように歩むのでしょうか。今日の聖書の記事は、私たちのその決断を、改めて迫って来るものであります。この一年が皆さんそれぞれにとって、祝福と平安に満ちたものとなりますように。アーメン。


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2015/01/04(日) 10:30:00| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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