津田沼教会 牧師のメッセージ
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「神の訪れ」(ルカ1:67-79)
ルカによる福音書1:67-79、2014年12月21日、待降節第4主日(典礼色―紫―聖餐式)、ゼファニア書3:14-17、フィリピの信徒への手紙4:2-7、讃美唱118/1(詩編118編14-24節)

ルカによる福音書1:67-79
 
父ザカリアは聖霊に満たされ、こう預言した。
「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。
主はその民を訪れて解放し、
我らのために救いの角を、
僕ダビデの家から起こされた。
昔から聖なる預言者たちの口を通して
 語られた通りに。
それは、我らの敵、
すべて我らを憎む者の手からの救い。
主は我らの先祖を憐れみ、
その聖なる契約を覚えていてくださる。
これは我らの父アブラハムに立てられた誓い。
こうして我らは、
敵の手から救われ、
恐れなく主に仕える、
生涯、主の御前に清く正しく。
幼子よ、お前はいと高き方の預言者と呼ばれる。
主に先立って行き、その道を整え、
主の民に罪の赦しによる救いを
 知らせるからである。
これは我らの神の憐れみの心による。
この憐れみによって、
 高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、
暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、
我らの歩みを平和の道に導く。」
 




説教「神の訪れ」(ルカ1:67-79)

今日は、待降節第4主日兼クリスマス主日として、礼拝を祝っています。今年の教会暦は、B年となり、マルコ福音書を主たる福音として、読み始めていますが、御存じのとおり、マルコ福音書には、み子の誕生の記事がありません。そのこともあるのか、アドベント、クリスマスの福音としては、ルカ福音書が多く用いられます。
さて、待降節の最後の福音として、今日は、ルカ福音書1章67節から79節が与えられています。これは、み子の誕生、すなわち、クリスマスを迎えるアドベントの最後には最も相応しい聖書の個所であります。なぜなら、このザカリア賛歌の記事の後は、そのまま、クリスマスイブに読まれるベツレヘムでのみ子イエスの誕生の記事、ルカ福音書2章1節から20節へとつながっているからであります。
今日は、クリスマスを祝うために、津田沼教会でも、少なからぬ高齢の方が礼拝に出席されています。年老いた方の信仰は我々の大きな励みを与えてくれます。津田沼教会では、週日の聖書を学び祈る会などでも、高齢の方が、自分はみ言葉の説き明かしなしには、信仰を守ることができない、聖書なしには、自分は弱い者で、礼拝とそのような聖書の学びと祈りの会なしには生きていけないと祈られます。そのような姿を見て、私たちは大きな力と慰めを与えられます。
今日のザカリアも、そのような老人でありました。彼は祭司であり、ルカ福音書の幕開けは、彼が神殿で仕えているとき、あなた方に、メシアの先を行く者、その道を整える者、すなわち、洗礼者ヨハネが生まれると天使よりお告げがあったとき、信じることができず、恐れに包まれて、口がきけなくされた者であり、その意味では、すぐにみ子があなたから生まれると、同じ天使により告げられて、すぐに信じたおとめマリアとは違って、失敗し、挫折を経験した人でありました。
その父ザカリアが、とうとう最後には、洗礼者ヨハネが生まれた時、この歌を歌ったのであります。彼は、聖霊に満たされて、こう語りつつ預言します。
イスラエルの神である主は、ほめたたえられよと。そして、その後の長い預言の賛歌は、何と、なぜならばとその理由についてわずかに二つの文章、切れ目から成っているのです。すなわち、前段の文章は、イスラエルに対して、神がなさった憐れみ、誓いの成就に関して、過去形で書かれてあり、後段は、それに対して、自分の息子ヨハネについて、将来起こることを、未来形で書かれています。前段では、神がその民イスラエルを忘れず、訪れてくださった、その民の罪を贖って下さった、父アブラハムへの誓いを忘れず、その僕ダビデに対しての契約を守り、あらゆる敵、私たちを憎む者の手からの救いを与えられた。それは、私たちが、これからのすべての日々を彼に仕えるために、敬虔と義において歩むためであると、歌っています。
そして、後段は、これからまさに起ころうとしている出来事について、高らかに預言しています。息子ヨハネよ、お前は、主、メシアの前に先立って進み、主の道を整え、主に先立って、いと高き方の預言者として罪の赦しによる救いを宣べ伝える者となる。そして、神の憐れみの心、はらわたのねじれる断腸の思いにおいて、私たちを、あけぼのの光がいと高きところから、訪れる。そして、それは、闇と死の陰に座り込んでいる私たちを照らし、私たちの足を平和の道へとまっすぐにすると預言しています。
この平和とは、まさに今生まれようとしているキリストを意味しています。私たち罪によって絶望と闇に包まれている全人類のために、まことの平和が訪れようとしている、これが、待降節すなわちアドベントに与えられるメッセージであります。私たちの罪を贖うために十字架にお付きになるみ子が、今目前に生まれようとしている。その喜びを、老人ザカリアが今日の参加を通して預言しているのであります。アーメン。








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2014/12/21(日) 10:30:00| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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