津田沼教会 牧師のメッセージ
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「用意のできていた五人のおとめ」(マタイ25:1-13)
マタイ25章1-13節、2014年11月16日、聖霊降臨後第23主日(典礼色―緑―聖餐式)
ホセア書11章1-9節、テサロニケの信徒への手紙一3章7-13節、讃美唱90/2(詩編90編13-17節)

マタイによる福音書25章1節-13節
 「そこで、天の国は次のようにたとえられる。十人のおとめがそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出て行く。そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。愚かなおとめたちは、ともし火は持っていたが、油の用意をしていなかった。賢いおとめたちは、それぞれのともし火と一緒に、壺に油を入れて持っていた。ところが、花婿の来るのが遅れたので、皆眠気がさして眠り込んでしまった。真夜中に『花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がした。そこで、おとめたちは皆起きて、それぞれのともし火を整えた。愚かなおとめたちは、賢いおとめたちに言った。『油を分けてください。わたしたちのともし火は消えそうです。』賢いおとめたちは答えた。『分けてあげるほどはありません。それより、店に行って、自分の分を買って来なさい。』愚かなおとめたちが買いに行っている間に、花婿が到着して、用意のできている五人は、花婿と一緒に婚宴の席に入り、戸が閉められた。その後で、ほかのおとめたちも来て、『御主人様、御主人様、開けてください』と言った。しかし主人は、『はっきり言っておく。わたしはお前たちを知らない』と答えた。だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」


説教「用意のできていた五人のおとめ」(マタイ25:1-13)

マタイ福音書と共に歩んできたこの一年、A年の教会暦も残すところ、今日を含めて、2回だけとなりました。すぐれた文体、覚えやすい、美しい表現で、印象深い、天の国の譬えなどを、豊かに与えられてきましたが、今日の10人のおとめの譬えも、イエスさまらしい譬えであり、また、マタイらしい印象的な物語となっています。
一年の教会暦の終わりを迎えており、第1朗読のホセア書も、私はお前、イスラエルの民を見捨て得ないと、神の私どもに対する愛を語っており、神はどこまでも赦される方であり、私たちがそれに答えて、神に立ち帰ることを、神は求めておられることが示されています。
また、第2朗読も、私たちが、主の再臨に備えて、主にしっかりと結ばれているように、パウロは勧めています。特に初期のパウロは、主の再臨が自分の生きている間に実現すると信じていました。
さて、今日の福音の譬えも、主イエスは、既にエルサレムに入られて、御自身の十字架と復活を前にオリーブ山に座って語られた物語であります。
天の国は、以下の花婿を迎えに出て行った10人のおとめの事情に、譬えられると言われます。そのうちの5人は愚かで、5人は賢かった。愚かなおとめたちは、ともし火と共に、油を取って行かなかった。賢いおともたちは、ともし火、ランプと共に、容器に油を取っていったというのです。
具体的な情景は定かではありません。当時の婚宴の事情を、主イエスは用いられていることでしょう。
ところが、花婿が来るのが、遅れて、皆眠気を催します、そして、10人とも、眠りこんでいたのであります。そして、夜中に、叫ぶ声が起こり、花婿だ、あなた方は迎えに出ていきなさいと、呼び起こされ、おとめたちは、ともし火の用意、手入れをします。
しかし、愚かなおとめたちのともし火は、消えかかっていました。彼女たちは、賢いおとめたちに、油を譲ってくださいと言いますが、賢いおとめたちは、あなた方と私たち両方に十分はないでしょう。それより、村に出て行って、売る者たちから、自分の分を買い求めなさいと言います。
これは、愚かなおとめたちは、信仰を持っていなかったことが譬えられています。一方、賢い者たちは、信仰を持っていたことを表わしているでしょう。そして、信仰は与えることも貸すこともできないものです。私たちは、そのことをよく知っています。
さて、5人が出て行ったときに、入れ替わりに花婿はやって来て、賢い5人と宴席に入り、戸が閉められます。
後に、油を買い求めた残りの5人も戻って来て、主よ、主よ、私たちも入れてくださいと、頼みますが、花婿は、はっきり言っておくがお前たちを知らないと言われるのです。主イエスは、この譬えを、以上のように言って、それゆえ、あなた方は、目覚めておれ、その日、その時がいつなのかあなた方は知らないのだからと言われるのです。
私たちは、目覚めた歩みを、今も、主によって求められています。弟子たちは、主の再臨のときは近いと信じていました。しかし、それが今もおくれていますが、私たちは、いつ死ぬか、また、いつ主が再び来られるか、知り得ません。今できるかぎりの備えをして、あとは、今日のおとめたちのように眠るときは眠るしかないのです。
教会暦の一年の終わりのこの季節ですが、改めて、一人一人、救いと信仰を求めて励み出すときとしましょう。
アーメン。








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2014/11/16(日) 10:30:00| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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