津田沼教会 牧師のメッセージ
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「み国にふさわしい実を結ぶ新しい民」(マタイ21:33-44)
マタイ21章33-44節、2014年10月19日、聖霊降臨後第19主日(典礼色―緑―聖餐式)、イザヤ書5章1-7節、フィリピの信徒への手紙2章12-18節、讃美唱80(詩編80編8-16節)
 
マタイによる福音書21章33-44節
 「もう一つのたとえを聞きなさい。ある家の主人がぶどう園を作り、垣を巡らし、その中に搾り場を掘り、見張りのやぐらを立て、これを農夫たちに貸して旅に出た。さて、収穫の時が近づいたとき、収穫を受け取るために、僕たちを農夫たちのところへ送った。だが、農夫たちはこの僕たちを捕まえ、一人を袋だたきにし、一人を殺し、一人を石で打ち殺した。また、他の僕たちを前よりも多く送ったが、農夫たちは同じ目に遭わせた。そこで最後に、『わたしの息子なら敬ってくれるだろう』と言って、主人は自分の息子を送った。農夫たちは、その息子を見て話し合った。『これは跡取りだ。さあ、殺して、彼の相続財産を我々のものとしよう。』そして、息子を捕まえ、ぶどう園の外にほうり出して殺してしまった。さて、ぶどう園の主人が帰って来たら、この農夫たちをどうするだろうか。」彼らは言った。「その悪人どもをひどい目に遭わせて殺し、ぶどう園は、季節ごとに収穫を納めるほかの農夫たちに貸すにちがいない。」イエスは言われた。「聖書にはこう書いてあるのを、まだ読んだことがないのか。
 『家を建てる者の捨てた石、
  これが隅の親石となった。
  これは、主がなさったことで、
  わたしたちの目には不思議に見える。』
 だから、言っておくが、神の国はあなたたちから取り上げられ、それにふさわしい実を結ぶ民族に与えられる。この石の上に落ちる者は打ち砕かれ、この石がだれかの上に落ちれば、その人は押しつぶされてしまう。」




説教「み国にふさわしい実を結ぶ新しい民」(マタイ21:33-44)
  
マタイ福音書と共に歩んで来た3年サイクルのA年の教会暦も、あと1カ月ほどとなりました。今日の福音書の譬え話は、既に主イエスがエルサレムに入城なさってからのものであります。
 さて、今日の第1の朗読、イザヤ書5:1-7は、今日の主イエスのなさった譬えのもとになっている、神の民イスラエルをぶどう畑に譬えたイザヤの預言であります。神は、このぶどう畑を手をかけて世話したのに、実ったのは酸いぶどうの実であったと言われます。そして、神は、このぶどう畑のために、私がしなかったことがあるかと言われ、このぶどう畑を荒らされるのにまかせる、すなわち、私の民イスラエルを見捨てると預言されているのであります。
 第2の朗読、フィリピ書2:12-18では、使徒パウロが、自分の立てたフィリピの教会の人々に、いつも従順でいて、恐れおののきつつ自分の救いを達成するように努めなさいと励ましています。そして、何事も、不平や理屈を言わずに行いなさい、そうすれば、よこしまな曲がった時代の中で、神の子として、命の言葉をしっかり保てるでしょうと述べて、自分の労苦も無駄でなかったとキリストの日に誇れるでしょうとフィリピの人々に信仰に固く立ち、礼拝に集い、たとえパウロの血が注がれるとしても、パウロと共に喜ぶように勧めています。
 それに続く今日の福音は、マタイ21:28-22:14の3つの譬えの2番目のものであり、ここでは、一家の主人のその息子が送られ、殺される点が際立っています。主イエスは、ここで、以下のように譬えを語られました。
 ある一家の主人が、ぶどう園を作り、垣でおおい、ぶどう酒の搾り桶を掘り、真ん中に見張り櫓を建て、農夫たちに貸して、旅に出た。そして、その収穫の季節が近づいた時、その収穫、果実を受け取ろうと、僕たちを送ったのであります。
 しかし、その小作人たちは、ある者を袋だたきにし、ある者を殺し、ある者を石打ちにして殺した。さらに、主人は、より多くの僕たちを送ったが、小作人たちは同様にふるまった。それで、主人は、自分の息子なら、敬ってくれると確信し、送るのですが、小作人たちは、これを見て、これは、跡取りだ、これを殺して相続財産を我々が持とうと言って、ぶどう園の外に追い出して、殺した。それでは、ぶどう園の主人は、僕たちをどうするだろうかと、主イエスは語られたのであります。
 これは、主イエスが語ったのではなくて、後の教会がそう言わせたのだろうと考える人もいます。しかし、主イエスは、御自分の受難と死について、これまでにも、何度もはっきりと予告し、自分がどのような死を遂げるか知っておられました。今日のこの譬えを、生前の主イエスがこのように語ったということは、十分考えられるのであります。
 彼らは彼に語ります。主人は、悪い小作人どもをひどい目にあわし、殺すだろう、そして季節ごとに果実を治める他の小作人たちに貸すだろうと。
 すると、主イエスは彼らに語ります。あなた方は、まだ、この聖書の言葉を呼んだことがないのか、すなわち、家を建てる者たちの捨てた石、それが、隅の親石になった、それは、主から成ったことで、我々の目には不思議に見えるとの詩編118編の言葉を引用するのであります。
 そして、だから、言っておくが、神の国は、あなた方から取り去られ、それにふさわしい実を結ぶ新しい民に与えられようと断言します。そして、その石に向かって落ちる者は、こなごなになり、その石がだれかに向かって落ちれば、それは、その人を打ち砕くであると言われるのであります。
 この息子は、救われる者にとっては救いの石であり、ユダヤ人の指導者たちにとっては、躓きの石なのであります。
 ユダヤ教の指導者たちは、神の遣わした息子イエスを、山師、偽医者としか見ませんでした。主イエスは、イスラエルのもとに遣わされましたが、イスラエルは、彼を拒みました。それで、新しい実を結ぶ民、すなわち教会に神の国は与えられると言われるのです。それは、ユダヤ人と異邦人からなる、神の国と神の義を求め、義という実を結ぶ新たな神の民であります。
 その、主イエスが預言されている新たな民とは、私たち教会の一人一人であります。ファリサイ派にまさる義のふるまいが、私たち一人一人に求められているのであります。私たち、一人一人の信仰は、まことに弱いものでありますが、尊い神の独り子の十字架の死を通して、私たちは、この新しい民の一員へ招き入れられているのであります。救いを、この世界へ宣べ伝える器として、よき実を結ぶ者とされたいものです。アーメン。

 







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2014/10/19(日) 10:30:00| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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