津田沼教会 牧師のメッセージ
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「変えられた弟子たち」(使徒言行録2:1-21)
ヨエル書3:1-5、使徒言行録2:1-21、ヨハネ福音書7:37-39、2014年6月8日、聖霊降臨祭(典礼色―赤―聖餐式)
 
使徒言行録2:1-21

 五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。
 さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。人々は驚き怪しんで言った。「話ををしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、フィリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」人々は皆驚き、とまどい、「いったい、これはどういうことなのか」と互いに言った。しかし、「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、あざける者たちもいた。

 すると、ペトロは十一人と共に立って、声を張り上げ、話し始めた。「ユダヤの方々、またエルサレムに住むすべての人たち、知っていただきたいことがあります。わたしの言葉に耳を傾けてください。今は朝の九時ですから、この人たちは、あなたがたが考えているように、酒に酔っているのではありません。そうではなく、これこそ預言者ヨエルを通して言われていたことなのです。
『神は言われる。
 終わりの時に、
 わたしの霊をすべての人に注ぐ。
 すると、あなたたちの息子と娘は預言し、
 若者は幻を見、老人は夢を見る。
 わたしの僕やはしためにも、
 そのときには、わたしの霊を注ぐ。
 すると、彼らは預言する。
 上では、天に不思議な業を、
  下では、地に徴を示そう。
  血と火と立ちこめる煙が、それだ。
  主の偉大な輝かしい日が来る前に、
  太陽は暗くなり、受世の
  月は血のように赤くなる。
  主の名を呼び求める者は皆、救われる。』」




説教「変えられた弟子たち」(使徒言行録2:1-21)

皆さん、今日は、聖霊降臨祭、ペンテコステ、おめでとうございます。約束されていた復活の主イエスの聖霊降臨を、弟子たちは従順に信じて、エルサレムの都の一角でひとつどころにとどまっていたのであります。彼らはもはや、主イエスとの離別を悲しむことなく、喜びに満ちて、エルサレムの神殿の境内で、神をほめたたえ、約束されたものの来る時を信じて、一つ所に、心を合わせて祈りながら、待っていたのであります。
時は、過ぎ越しの祭りから、数えて50日目(ペンテコステ)、五旬祭、あるいは七週の祭りとも言われていた時で、大麦の初穂をささげる収穫感謝の祭りであると共に、この祭りは、出エジプトの民が、シナイ山で律法を授与されたことを想起するものでもあり、この時、ユダヤ人たちにとっては、出エジプト記の19章と20章が朗読され、十戒がモーセを通して、神から与えられる一連の記事が読まれる時でもありました。ユダヤ人たちにとっては、自分たちが、神の民であり、イスラエルの民であることを確認する大事な時でもありました。
そして、地中海近辺の離散のユダヤ人たちだけではなく、はるかのユーフラテスの東、メディアや、アラムからも、また、カスピ海や黒海近辺からも、また、エジプトや主イエスの十字架を担わされたキレネ人シモンのように、キレネ近辺からも、また、広い意味でのユダヤ、すなわちシリアをも含む場所からも、あるいは、クレタ島やアラビアの内陸からも、ユダヤ人のみならず、ユダヤ教への改宗者たちも、後に十に使徒たちが目指したローマからの滞在者なども既に来ていて、都エルサレムに溢れていたのであります。
その時に、約束されていた聖霊が弟子たちの上についにくだったのです。天から、暴力的な風がもたらすような音が成り、弟子たちのいた家中を満たしたのであります。
ここでの家とは、エルサレムの神殿の境内を表わしているのかもしれません。この祭りのため都に滞在していた大勢がその音に驚いて、やって来ますと、弟子たち、120人であったでしょうか、それ以上のガリラヤからの主イエスに従って過ぎ越しの祭り以来、都にとどまっていた大勢であったでしょうか。彼らは、炎のような舌の形をした聖霊が一人一人の頭の上にとどまり、現地に集まっていた、その異国の地から来た人々に分かる、それぞれの母国語で、神の大いなるみわざ、素晴らしさを、み霊が語らせるままに語っていたのであります。こういうことは、実際に起こり得ることなのでしょうか。
この記事、使徒言行録の2章1節から21節までは、他には見られないほど、異なる写本、これを異読と言いますが、それが多いのです。ルカが苦心して、この出来事を、私たちに何とかして、残したいという願望の結果でもあるでしょう。
集まって来た人々は、正気を失い、これはいったい何なのかと言って、困惑してしまいます。ある者たちは、甘い新酒に酔っているだけだとあざ笑いました。
そのとき、ペトロが11人と共に立って、声を張り上げ、聞いてもらいたいことがある、どうか、私の言葉に耳を貸して頂きたいと声を張り上げます。
今は、朝の9時だから、彼らは酒に酔っているのではない。これは預言者ヨエルによって預言されていたことなのだと、本日の第1朗読を取り上げます。しかし、それとは多少の食い違いがあります。
終わりの日々に、神は言われる、こうなるだろうと、ルカは、改め、あるいは付け加えています。終わりの日が、この聖霊降臨の出来事を通して、既に始まったと、ルカは言いたいのであります。
そして、わたしの霊から、すべての肉、すべての人に向かって私は注ごう。そして、あなた方の息子、娘は預言し、あなた方の若者は幻を見、老人たちは夢を見るであろう。さらに、私の僕や、はしためもさえに向かっても、それらの日々に私の霊から、私は注ごう、すると、彼らも預言するであろうと。
そして、上では異変が起こり、地でも、しるしが見られる。太陽は闇に変えられ、月は血のようになり、地では血と火と煙の蒸気を私は見させよう。主の日、大いなる、注目すべき日が来る前に。しかし、私を呼び求める者は皆、救われるであろうと、あのペトロは、カモの裁きではなく、神の約束、救いが、この日成就したと大胆に宣言する者へと変えられているのであります。ヨエルの預言は、十字架の主イエスの死によって、実現され、あのとき、太陽は隠れ、満月も色を変えたでありましょう。そして、主の約束通り、この日聖霊はくだり、ガリラヤから来た弟子たちは、神の約束、十字架につき、復活し、昇天した主イエスに対して、聖霊をこの日、神が弟子たちに注がれたことを、大胆に証しし、聖霊に満たされて、主イエスこそキリストだと説教する者へと変えられているのであります。
神を畏れ敬い、礼拝する新しいイスラエルの民、すなわち、教会がここに誕生したのであります。あの主イエスの十字架につかられるとき、おじ惑い、逃げ回っていた弟子たちが、ついに新しい人間として創り変えられ、キリストの平和を伝える器へと、この日を境に変えられたのであります。
そして、主イエスの十字架と復活と昇天によって、人類に与えられた救い、この不義の時代から救われ、新しい命を主によって与えられたことを、それぞれの国から来たユダヤ人たちに、また、ユダヤ教への改宗者たちにその生まれ故郷の母国語で大胆に証言するのです。
そして、彼らはここから、この後の記事ではパン裂き、聖餐(感謝)を守り、愛餐を分かち合い、交わりと奉仕に生きるキリスト教共同体へとつながっているのであります。私たちは、今日の記事に見る2000年前の弟子たちと同じく、聖霊に導かれて礼拝をしています。そして、これから同じ聖餐に与り、主の体とその尊い血のもとに一つとされて、ここから新しい1週間の命へともう一度押し出され、生かされていきましょう。アーメン。
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2014/06/08(日) 10:30:02| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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