津田沼教会 牧師のメッセージ
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「罪赦された者として」(ヨハネ20:19-23)
ヨハネ20:19-23、2014年4月27日、復活後第1主日(典礼色―白―)、使徒言行録2:22-32、ペトロの手紙一1:3-9
 
ヨハネによる福音書20:19-23
 その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」


説教「罪赦された者として」(ヨハネ20:19-23)

今日は、第1の朗読では、五旬祭、ペンテコステの時に、約束の聖霊の降臨を受けた12弟子たちを代表して、ペトロが大胆に主イエスの復活を、「私の体も生きるであろう」とイエスについて、ダビデが預言していた旧約聖書の実現として証言しています。
 また、第2の朗読では、ペトロが、神は、私たちを新たに生まれさせ、死者の中からの復活によって、生き生きとした希望を与えておられ、あなた方は、今しばらく、いろいろな試練に悩まなければならないかもしれませんが、あなた方の信仰はその試練によって本物と証明され、イエス・キリストが現れるとき、称賛と光栄と誉れをもたらすと、信仰を鼓舞し、あなた方は喜びに満ちあふれている、それは、あなた方が信仰の実りとして魂の救いを受けているからだと励ましています。
 さて、先週は、マタイによる福音書を通して、主イエスの復活の出来事を知らされましたが、今日の福音書は、ヨハネ福音書の20:19-23の短い個所です。そして、今日からは、しばらく、残された復活節の間、ヨハネ福音書を通して、主の復活の喜びを、共にするように聖書日課が与えられています。ある牧師仲間の一人は、復活節に長くヨハネ福音書が読まれるのは疑問だと言われていましたが、そして、過ぎました四旬節にも、ヨハネ福音書がしばらく読まれましたが、そうでもしないと、3年サイクルで共観福音書が順番に読まれる以上、ヨハネ福音書の宝が持ち腐れになるでしょう。
 現在、津田沼教会では水曜日の聖書を学び祈る会でも、ヨハネの黙示録まで、一通り終わって、通読することのなかったヨハネ福音書を初めから学び始めていますので、時間のある方は是非、ご出席ください。
 さて、今日のヨハネ福音書は、イースターの夜に、多分エルサレムの町のどこかで、隠れ家に弟子たちがかたまって、潜んでいたときの出来事です。
 三日前には、主イエスが十字架の処刑を受けるという生々しい記憶で、弟子たちは恐れと絶望にうちひしがれていたことでしょう。彼らは、ユダヤ人たちを恐れて、鍵をいくつもかけて、恐らく、彼らの心の鍵もかけて、縮かむように時を過ごしていたのでしょう。ところが、そこに、あの主イエスがやって来られ、弟子たちの真ん中に立って、「平和が、あなた方にあるように」と声を掛けられたのです。イエスは、ヘブライ語で「シャローム」と語りかけたことでしょう。そして、釘跡の残る手とわき腹をお示しになると、弟子たちは、それを見て喜こぶということが起こったのです。受難前に主イエスが言われていたとおり、あなた方は悲しむが、それは喜びに変えられるということが起こったのです。
 そして、主イエスは、彼らに息を吹きかけて、言われました、「聖霊を受けなさい」と。アダムが、神によってその鼻に息を吹き込まれて、最初の人になったように、弟子たちもこの聖霊によって、新しく創造され、新しく豊かな命に入れられ、罪を清められ、赦されて、また、預言者のような霊が与えられました。そして、再び、「平和があなた方に」と語られた後、「父が私を遣わしたように、私もあなた方を派遣する」と言われた後、弟子たちに不思議な約束の言葉を語られます。「あなた方がある者たちの罪(複数形)を赦したならば、それらは赦されている。あなた方が彼らの罪を赦さないならば、捕まえているならば、それらの罪は赦されないまま、すなわち捕まえられたまま残る」と言い残されたのであります。
 生前の主イエスも、ペトロに対しても、私はあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたが地上で解くことは、天上でも解かれると宣言されたことがあります。
 私たち、復活の主を信じる弟子は、復活の主によって、罪赦された者として、罪の赦しを宣言するように、復活の主イエスによって、遣わされ、その委託を受けています。また、一方では、私たちが赦さない、掴んでいる罪は、赦されないまま残る、掴まれたままであるとも主イエスは言われています。しかし、もちろん、中心は罪の赦しを宣言する方にあるでしょう。復活のキリストの共同体である教会のメンバーは、その死と罪を克服された主によって、互いに赦し合い、和解するようにと、今も復活の主によって、主の日ごとに、洗礼と聖餐の礼拝へと招かれている幸いを、思い起こさせられます。
 そして、その友のために命を与える以上に大きな愛はないと言われ、その通り、十字架への道を歩まれた主イエスの言葉と行いに従って、復活の主を証しする、すなわち、むしろ苦難の道を私たちも、従って歩んでいきたいと思います。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。

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2014/04/27(日) 21:24:05| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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