津田沼教会 牧師のメッセージ
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「キリストにある平和~罪と死からの自由」(マタイ28:1-10)内海望牧師
マタイ28:1-10、2014年4月20日、復活祭(典礼色―白―)、使徒言行録10:39-43、コロサイの信徒への手紙3:1-4
 
マタイによる福音書28:1-10
 さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった。番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。天使は婦人たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』確かに、あなたがたに伝えました。」婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。すると、イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。イエスは言われた。「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」


説教「キリストにある平安~罪と死からの解放~」(マタイ28:1-10)内海望牧師

 燦々と降り注ぐ春の陽光の下、木々は新芽を吹き出し、花々は色とりどりに咲き誇り、復活のいのちの息吹を私たちに感じさせてくれています。このような季節に、私たちは、イエス・キリストの復活の喜びを分かち合うために、今ここに集まっています。
 しかし、今日の聖書によると、最初のイースターの朝は暗い闇に包まれていました。マグダラのマリアともう一人のマリアは、「墓の方を向いて座っていた。」(27:61)と記されています。「墓を見つめていた」ということは「死」を見つめていたということです。イエスさまと出会って、「今度こそ真実の救い主に会えた!」と信じていたのに、結局、罪と死がすべてを無にしてしまった、という事実が二人のマリアの心を深い絶望に陥れたのです。イースターの朝、彼女たちは「墓を見に行った。」と記されています。復活どころか、重い足取りで、死を見つめるために墓に行ったのです。
 「罪と死」、これは人間が最も恐れる事柄です。人は必ず死ぬ。人は傷つけ、傷つけられる人生。それは、私たちを脅かし、不安にさせます。出来れば、見たくない事柄です。そこで、私たちは、嫌なものは、見えない所に隠し、快適な生活のみを追い求めます。罪とか死について深刻に考える必要はない、楽しく過ごそうと逃げるのです。
 しかし、聖金曜日の出来事は、マリアたち、弟子たち全員を自分たちの罪と死に直面させたのです。イエスさまが捕われると、「弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった。」と聖書は報告します。「皆」という言葉が胸に突き刺さります。一人残らず全員です!更に、イエスさまから、「共に祈ってくれ」と頼まれながら、血の汗を流してゲッセマネで祈るイエスさまを見捨て眠りこけてしまったのが弟子たちです。「たとえ、ご一緒に死ななければならなくなってもあなたのことを知らないなど決して申しません。」と勇ましく言い放ったのに、「そんな人は知らない」と三度まで否定してしまった罪の深さにペトロは泣き伏していました。「私たちが、イエスさまを死に追いやってしまったのだ」という痛みが、否応なしに弟子たちを「罪と死の恐ろしさ」に直面させたのです。今や弟子たちに逃げ場はありません。ローマ6章は「罪が支払う報酬は死である」と語っていますが、弟子たちは皆、「自分が死すべき罪人」であると悟らされたのです。疑いもなく、私たち自身も、弟子たちと同じように、自分の身が危ういとなると、自分の利益、命を優先し、イエスさまを捨てて逃げてしまう罪人です。漱石が「いざという時には親友さえも裏切るのが人間だ」と書いたのは人間の心の真実の姿です。
 この経験は、弟子たちにとって「聖金曜日の雷鳴」とも言うべき出来事でした。弟子たちは皆、罪に死んでしまったと言えましょう。これが、最初のイースターの朝の闇です。
 しかし、この「しかし」を大文字で頭に描いて下さい。しかし、この罪と死の闇を打ち破って、輝かしい光に変える出来事が、墓を見つめて絶望していたマリアたちの眼前で起こったのです。大きな地震が起こり、雪のように白い衣を着た主の天使が稲妻のように輝きの中で、生と死を絶対的に隔てる、あの墓をふさいでいた石を、苦も無く、わきへ転がし、二人のマリアの前に現れたのです。天使は、「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方はここにはおられない。」とマリアに宣言されます。復活されたイエスさまもまた、「恐れるな」とマリアに呼びかけられます。
 そうです。イースター、復活日の挨拶は、「恐れることはない。」という言葉です。この瞬間、暗い闇を破って、復活の光がこの世界全体に射し込んで来たのです。「十字架で苦しみ悶え、罪と死の力に圧倒されていたあの方は、最早ここ墓(死の世界)にはおられない。イエスさまは罪と死の力に勝利し、復活されたのだ。もう君たちは罪と死の力を恐れる必要はない。」と天使は告げるのです。
 このイースターの喜びは、罪の赦しと共に与えられるものであることを心に留めましょう。ルカ24章、ヨハネ20章には、復活のイエスさまが弟子たちの真ん中に立って、「あなたがたに平安があるように」とおっしゃっています。そして、ご自分の手と足をお見せになったのです。イエスさまが差し出されたその御手、御足には傷跡があったのです。イエスさまは、罪で膨れ上がり、憎み、争いの絶えないこの世界の罪を担って、苦しまれ、血を流し、贖いとなり、私たちに罪の赦しを与えて下さったのです。その傷跡は、私たちを救うための痛みであったのです。
 イエスさまは、罪に死すべき私たちの罪を担い、それ故に傷つけられ、嘲られ、十字架の死にまで歩んで下さったのです。まことに尊い、高価な恵みです。この十字架の血の贖いによる罪の赦しを与えられる時、マリアも弟子たちも、死より復活し、罪赦された罪人として、新しい命に生きる真の平和を得ることが出来たのです。
 この平安が今日、私たちにも与えられます。注意したいのは、これは死からの復活であって、延命術ではありません。イエスさまは、「成し遂げられた」と言って十字架上で息を引き取られた、とヨハネ福音書は語ります。イエスさまの死の苦しみを通して「救いの業」を成し遂げて下さったのです。「もはや、恐れることはない」のです。
 今、ご一緒に歌いました讃美歌97番は、ルターが1542年に作ったコラールです。全体を分かりやすくするため、東京バッハ合唱団の大村恵美子さんの抄訳を少し長いですが、引用します。(7節あります)
 「人間の中には、死に打ち勝てる者はひとりもいない。すべては罪に服しており、死はわれらを打ちのめし、罪と死の領域にとりことする。そのような我らのもとに神の子イエスは身代わりとして来られた。そこで死の権利と力は取り払われ、形骸を残すのみとなった。それはまことに不思議な戦いであった。死と生が格闘し、生が勝利して、死を呑み尽したのである。ここにあるのはまことの『過ぎ越し』の小羊である。それゆえ、罪の夜は消え去り、我らはこの太陽なる主を祝って喜び歌う。イエスこそ生命の糧、その復活をわれらは感謝して祝う。ハレルヤ!」という内容です。各節の終わりに「ハレルヤ」が付きます。
 ルターは、「天使の『恐れることはない。十字架につけられたイエスさまは復活なさったのだ。』という言葉に、「死の死」を見たのです。「死の縄目」はもはや死の残骸にすぎない、罪の夜は過ぎゆき、太陽である復活のイエス・キリストと共にいる喜び、罪赦され、死の棘から解放された喜びを歌おうと私たちを励ますのです。
 私たちは、パウロと共に、「死は勝利に呑み込まれた。死よ、お前の棘はどこにあるのか。」、と、今や力をなくした罪と死に向かって「ハレルヤ!」と勝利の声をあげたいと思います。
 もちろん、今日、私たちがこうしてイースターを祝っても、私たちの世界から問題がな
くなるわけではありません。相変わらず、私たちは生活の様々な思い煩い、子どもの進学、介護のこと、放射能の恐怖、悲しみ、国家間の紛争、政治の愚かさなど、世界は依然として罪と死の暗闇に満ちています。これからも、私たちは信仰弱い信徒にすぎないでしょう。神さまが、私たちの目から涙を拭い取って下さるあの偉大な完成の日、終わりの日まで、私たちの苦しみ、罪と死との戦いは続きます。しかし、私たちには既にイエスさまから、「見よ、私は世の終わりまで、あなた方と共にいる。」という約束が与えられています。復活されたイエスさまが共に歩いて下さるという大きな希望において、私たちは生きて行く勇気を与えられるのです。
 ですから、パウロのように、「私は確信します。死も、命も、天使も、支配する者も、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、私たちの主イエス・キリストによって示された神の愛から、私たちを引き離すことは出来ないのです。ハレルヤ!」と罪と死への勝利を高らかに歌おうではありませんか。
 イースターおめでとう!

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2014/04/20(日) 10:30:01| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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