津田沼教会 牧師のメッセージ
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--/--/--(--) --:--:--| スポンサー広告| トラックバック(-) コメント(-)
「煩悶は、神にゆだねて」(マタイ6:24-34)
マタイ6:24-34、2014年2月23日、顕現節第8主日(典礼色―緑―)、イザヤ書49:13-18、コリントの信徒への手紙一4:1-13
 
マタイ6:24-34
「だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」

「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物より大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」



説教「煩悶を、神にゆだねて」(マタイ6:24-34)

今日の山上の説教の1節は、多くの人々が愛唱個所として、あげる主イエスらしい言葉が続いているテキストであります。
マタイ福音書を書いたマタイという人は、徴税人でありましたが、その名前の意味は、「神の賜物」という意味だと言います。マタイ福音書は、非常に整えられた美しい文章から、成っており、今日の文章もそうであります。
思い悩むなという6:25-34の教えが中心をなしています。けれども、私たちの日課は6:24から始まっています。だれも二人の主人に奴隷となることはできない。一人を愛し、一人を憎み、一人にしがみつき、一人を低く見るからである。あなた方は神とマモン、一見神のような錯覚を与えるこの世の支配力とに兼ね仕えることはできないというのであります。まっすぐに、一心になって神に没頭することが要求されるのであります。
そこから、思い悩むな、食べ物や、飲み物や、衣服について、煩悶するな、という今日の主イエスの言葉が出て来るのであります。思い煩い、煩悶するときというのは、どういうときでありましょうか。そのときは、私の経験では、孤独を思い知らされる時、追い詰められたときでもあるように思われます。
主イエスは言われます。だから、あなた方は、何を食べ、何を飲もうかと、何を着ようかと思い煩うな。空の鳥どもを見よ、彼らは蒔かず、刈り入れもせず、倉に集めもしない。しかし、あなた方の天の父は彼らを養っていて下さる。あなた方は、彼らよりも勝った者ではないか。創世記で人は神にかたどって造られ、空の鳥らをおさめる者として造られました。その鳥どもは、思い煩うことはなく、神がえさを与えておられる。あなた方は、思い煩ったからといって、寿命をわずかでも延ばすことが出来ようか。これは、思い煩ったからといって、あなた方は身の丈を1ペキス、すなわち、45センチほども伸ばすことができようかとも訳せます。ユーモアを好んだ主イエスがそう言われた可能性はあります。
「信仰のわずかしかない者たちよ」「信仰の殆どない者たちよ」、と主は弟子たちに向かって、また、集まっていた群衆に向かって、そして、現在の2000年を隔てた私たちに向かっても励まされています。また、そこには、少なからぬ女の人たちもいたのでしょう。
あなた方は野の花をよく観察してみなさい。それらは、懸命に働きもせず、紡ぎもしない。それは、家庭内で働き、紡ぐ女性たちに向けて語られたのかもしれません。
主イエスは言われるのです。しかし、私はあなた方に言っておくが、あの全栄光におけるソロモンでさえ、この花の一つほどにも、着てはいなかった。今日はえていて、明日、炉に投げ込まれる野の草をさえ、あなた方の父はこのように装われるのであれば、まして、あなた方はなおさらではないか。信仰のわずかしかない者たちよ。それゆえ、何を食べ、何を飲み、何を着ようかと煩悶するな。それは、信仰に縁のない者たちのしていることだ。あなた方の天の父はそれらが、あなたがたに必要であることをご存じである。
で、まず、あなた方は神の国と神の義を求めなさいと言われるのです。神の主権が、主イエスと共に現在しているのだから、煩悶しないで、私たちの父である神に、その配慮にゆだねよというのです。
だから、明日のことは思い煩うな。明日は明日自ら思い悩むであろう。一日の苦労は一日で十分であるというのです。自分のありのままのすがたで、神にすべてを委ねて生きる。それは、分かっていてもなかなかできないことですが、神は、その支配とその義を求める者に、よき道を必ず備えてくださいます。それを信じて、この一年も歩んで行きましょう。
アーメン。





スポンサーサイト
2014/02/23(日) 10:30:01| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。