津田沼教会 牧師のメッセージ
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「マギたちの到来」(マタイ2:1-12)
マタイ2:1-12、イザヤ書60:1-6、エフェソの信徒への手紙3:1-12、2014・01・05、顕現主日(典礼色―白―聖餐式)
 
マタイ2:1-12
イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。
『ユダの地、ベツレヘムよ、
 お前はユダの指導者たちの中で
 決していちばん小さいものではない。
 お前から指導者が現れ、
 わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」
 そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。

説教「マギたちの到来」(マタイ2:1-12)

今日の福音は、かのイエスは、ヘロデ大王のみ代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったと始まっています。そのイエスと定冠詞がついているのであります。
それは、なぜかというと、1章にありましたように、罪から救うインマヌエル、神が共におられるとも呼ばれることになるキリスト、メシアであるそのイエスを指しているのであります。
そして、そのとき、東方から、マギたち、原文はマゴス、複数形マゴイという言葉ですが、新共同訳では占星術の学者たちと訳されています。古来、3人の博士たちとも言われて来ました。そのマギたち、あるいは、魔術師たちと訳されることもある言葉ですが、彼らが、エルサレムに到来して言うのであります。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにいますか。私たちは、その方の星の昇るのを見たので、拝みに来た、ひれ伏しに来た。あるいは、敬意を表しに来たのですと。
「ヘロデ大王はそれを聞いてうろたえた、おびえた、そして、全エルサレムと共に」と記されています。彼らは、その当時の繁栄に安んじている政治家や宗教的指導者たちを中心とする人々でした。
占星術、あるいは、星占い、あるいは天文学は、その時代、地中海世界や中近東、メソポタミアで盛んでありました。皇帝アウグスツスの生まれる時に、星の異変、出現があったことなどが歴史書に記録されています。
しかし、博士たち、ないしはマギたちが東方からはるばる来たのは、民数記に書かれていますように、「ヤコブの星が輝き昇る」とバラムによって預言されている。その星に導かれてきたのであります。そのみ言葉は、メシアがやがてイスラエルの中から現れることを預言したものだと考えられています。そのメシアの預言に従ってやって来たと考えられるのであります。
さて、この世の王であるヘロデは、まず、律法学者などを集めて、どこにメシアが生まれることになっているのか、知ろうとします。彼らは、ミカ書、サムエル記などを引いて、ユダヤのベツレヘムで、メシアは生まれ、それは、ユダの君たちの中でいと小さき者ではなく、そこから指導者が出て来て、彼が私の民イスラエルを牧する者となろうとあるからと答えます。しかし、彼らは、それを知識として教えるだけで、自ら動き出そうとはしません。
そして、今度はヘロデ大王は、ひそかに、マギたちを呼びだし、その方の星、主の星がが昇った時を確かめようとします。そして、それを確かめたうえで、マギたちを送り出し、正確に捜しあてて、見つかったら、私に報告してくれ、私もやって行ってひれ伏す、すなわち、拝もうと言います。
彼らは、それを聞き流して出ていくと、不思議なことに、それまで見えなくなっていたその星、その方の星が前を行き、その子の家の真上で止まります。彼らは非常に大きな喜びを喜んだとあります。
その星は、救い主の家の真上まで導いてくれた、すなわち、彼らは、救い主にたどりついたので、大いなる喜びにあふれたのであります。
彼らは家に入ると、その子とその子の母マリアを見いだし、ひざまずいて、触れ伏し拝みます。そして、彼らの宝箱から、金、乳香、没薬を贈り物としてささげます。これは、魔術師の呪文を書くのに用いた没薬など、その商売のためのものであったとも言われます。 もし、そうだとすると、彼らは、それらいわば、商売道具を放棄し、神の支配にいきようと、それらを贈り物としてささげて、夢でヘロデのもとに帰るなとのお告げを受けて、別の道を通って、すなわち、新たな生き方、救い主メシアに会って、今までの全生涯を変えられて、自分の国に立ち去ったということになります。
マタイは、福音書の中でもユダヤ思想の選民意識の強い福音記者だと言われています。
しかし、マタイは、最後の方にある譬えでも、主イエスの右に集められる羊とは、いと小さき者に仕えたものたちであることを記しています。
このお正月、私たちは、キリスト教と他の宗教、仏教や神道などと交わることが多い時期です。ともすると、キリスト教の優位を持ちだして、他の宗教を軽んじがちになりがちですが、しかしマタイは、その福音書において、終わり近くの受難の時に異邦人の兵士が、主イエスを、この人こそまことの人だったというのみならず、今日の福音書のはじめから、
主イエスは、異邦人の救い主でもあることを示しています。
 私たちは聖書を手にして、聖霊に導かれながら、この一年を歩みたいものです。
私たちも、聖書に約束されているメシアをひれ伏し拝み、今一度ここから、今日から生涯を変えられて歩む者とされたいと思います。この一年の始め、今日は、この後、二人の若者の堅信式もありますが、このマギたちによって、御子が伏し拝まれ、彼らの生涯が新しく始まったことを思い、主イエスの星の導きに従って、私たちも、残された人生を、新たにみ子と共に歩みたいものです。アーメン。
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2014/01/05(日) 10:30:00| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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