津田沼教会 牧師のメッセージ
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「終りの時の生き方」(ルカ21:5-19)
ルカ21:5-19、2013・11・24、聖霊降臨後最終主日(典礼色―緑―)、イザヤ書52:1‐6節、コリントの信徒への手紙一15:54-58

ルカによる福音書21:5-19
 ある人たちが、神殿が見事な石と奉納物で飾られていることを話していると、イエスは言われた。「あなたがたはこれらの物に見とれているが、一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る。」
 そこで、彼らはイエスに尋ねた。「先生、では、そのことはいつ起こるのですか。また、そのことが起こるときには、どんな徴があるのですか。」イエスは言われた。「惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』とか、『時が近づいた』とか言うが、ついて行ってはならない。戦争とか暴動のことを聞いても、おびえてはならない。こういうことがまず起こるに決まっているが、世の終わりはすぐには来ないからである。」そして更に、言われた。「民は民に、国は国に敵対して立ち上がる。そして、大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい現象や著しい徴が天に現れる。しかし、これらのことがすべて起こる前に、人々はあなたがたに手を下して迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために王や総督の前に引っ張って行く。それはあなたがたにとって証しをする機会となる。だから、前もって弁明の準備をするまいと、心に決めなさい。どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を、わたしがあなたがたに授けるからである。あなたがたは親、兄弟、親族、友人にまで裏切られる。中には殺される者もいる。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、あなたがたの髪の毛一本も決してなくならない。忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。」



説教「終わりの時の生き方」(ルカ21:5-19)

今日は、1年の教会暦の最終の主日であります。終わりの時、終末の時、言い換えれば「主の日」の私たちの生き方を覚えるべき時であります。主イエスは、ある者たちが、エルサレム神殿の見事な石や、奉納されたささげ物について語っているときに、これらの石の上に1つも石も、崩されて残らない日々が来るであろうと言われました。
人々は、エルサレム神殿が崩壊する時が来るとすれば、それは、世の終わりの時であると思っていました。そして、そんな日は、まだまだ来ないと思っていました。それは、まだ修復中でしたし、紀元後70年についにローマ軍によって包囲され陥落したときも、その修復は続いていた、そんな壮大な、見事な神殿であったからです。
主イエスの時代、ユダヤ黙示思想が、ゆきわたっていましたが、それは、人の子が栄光のうちに、雲に乗ってやって来られるというもので、主イエスが説いたところの「人の子が、十字架の死を遂げる」というものではありませんでした。主イエスの答えに対して、彼らは質問します、それは、つい前に出て来る金持ちや敵対者たち、ユダヤ指導層をも含めた群衆であったかもしれませんが、それは、いつそのことが起き、そのときどんな徴があるのですかという言わば抽象的な、表面的なものにすぎませんでした。
しかし、彼らに対して、主が、これ以下は、特にルカの時代の弟子たちに向かって答えられたものであります。主は、まず、私の名を名乗って、私がそれ、メシアであるという者や、時が近づいたという者がやってくるが、あなた方は戸惑わされてはならない、彼らの後について行ってはならないと言われます。そして、あなた方は、戦争どもや暴動どもについて聞くときにおののかされるな。なぜなら、それらのことどもは成るに決まっているが、終わり、すなわち世の終わりはすぐには来ないからであると言っています。
そして、彼は彼らに語っておられました。民が民に向かって、国が国に向かって起き上がるであろう。大きな地震どもや、場所によっては、飢饉どもや疫病どもが、あるであろう。恐ろしい前兆どもや、天からは大きな徴があるであろう、と言われましたが、これらのすべてのことどもの前に、迫害があることを示されました。
彼らはあなた方に手を置き、迫害し、牢や会堂どもへと、あなた方を引き渡し、私の名のために、王や総督たちに向かって連れて行く。しかし、それはあなた方でもって証しへと導くであろう。それゆえ、あなた方の心において、防御することを前もって準備しないように、決めなさい。なぜなら、私が、あなた方のすべての敵対する者たちが抵抗も反論もできない口と知恵を与えるであろうからと言われるのであります。
そして、あなた方の両親によっても、兄弟たちによっても、身内によっても、また、友人たちによっても、あなた方は、裏切られる、すなわち、渡されるであろう。そして、あなた方は、私の名の故に、すべての者たちによって憎まれる者たちとなるであろう。そして、あなた方の髪の毛1本も、失われることはない。あなた方の忍耐によって、すなわち、神のもとにとどまることによって、また、この世にとどまることによって、あなた方の魂をかち取れとお命じになったのであります。私たちは、終末に向かって生きる時、今ここで、日常の一つ一つの行いや事がらにおいて、精一杯に関わりをもって生きる時、神と主イエスにすべてを託して生きる時、仕合せな道を歩むことができるのであります。終わりの時を生きるとは、神の保護に、全面的に身をゆだねて生きることであります。エルサレムの崩壊において、世の終わりが来ると当時のユダヤ人たちは考えていましたが、終末とは、主イエスによってもたらされた「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」という主イエスの招きに応えて生きる事です。
1年の教会暦、神の保護のもとに導かれた数々の恵みを思い起こしながら、主イエスを証しすることに必然的に伴う迫害をも改めて覚悟し、身を引き締めながら、来たるべき新しい時、アドベントの時を心静かに待ちましょう。アーメン。




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2013/11/24(日) 10:30:02| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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