津田沼教会 牧師のメッセージ
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「復活するにふさわしいとされた人々」(ルカ20:27-40)
ルカ20:27-40、2013・11・17、聖霊降臨後第26主日(典礼色―緑―)、マラキ書3:19-20、ユダの手紙17-25

ルカによる福音書20:27-40
 さて、復活があることを否定するサドカイ派の人々が何人か近寄って来て、イエスに尋ねた。「先生、モーセはわたしたちのために書いています。『ある人の兄が妻をめとり、子がなくて死んだ場合、その弟は兄嫁と結婚して、兄の跡継ぎをもうけねばならない』と。ところで、七人の兄弟がいました。長男が妻を迎えましたが、子がないまま死にました。次男、三男と次々にこの女を妻にしましたが、七人とも同じように子供を残さないで死にました。最後にその女も死にました。すると復活の時、その女はだれの妻になるのでしょうか。七人ともその女を妻にしたのです。」イエスは言われた。「この世の子らはめとったり嫁いだりするが、次の世に入って死者の中から復活するのにふさわしいとされた人々は、めとることも嫁ぐこともない。この人たちは、もはや死ぬことがない。天使に等しい者であり、復活にあずかる者として、神の子だからである。死者が復活することは、モーセも『柴』の個所で、主をアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神と呼んで、示している。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。すべての人は、神によって生きているからである。」そこで、律法学者の中には、「先生、立派なお答えです」と言う者もいた。彼らは、もはや何もあえて尋ねようとはしなかった。


説教「復活するにふさわしいとされた人々」(ルカ20:27-40)
 
今年は、教会暦のC年で、私たちは、ルカによる福音書と共に歩んで来ました。ルカは、特に9:51以下は、エルサレムに向かう旅で構成されており、気が付きますと、もう今日はエルサレムに入っており、その神殿での論争であります。
私たちも、あと、2回の教会暦の終わりに当たって、本日は、復活に関する論争であります。私たちは、死後、復活するのかどうか、疑問に思うことも、しばしばあります。しかし、今日の主イエスは、そのことについて、はっきりと語っておられます。主イエスがおっしゃったことですから、私たちは、信頼することができると思います。
今日の福音の出来事を思い返してみますと、こういうものでした。いろいろな論争相手が現れる中で、今日は、その時、サドカイ派の人々が近づいて来て、主イエスに質問するのでありますが、彼らは、復活はないと信じ、また、天使も、霊も、存在しないと主張する一派でして、特に重要とユダヤ人たちに考えられてきたモーセ五書を重んじる人々でした。
それに対して、ファリサイ派は、復活も、天使も、霊の存在も肯定している人々でした。サドカイ派のある者たちは、こう質問するのであります。ある人が妻をめとり、子をもうけずに、死にました。彼には、弟たちがいて、次の弟が、その女を妻にし、彼も子をもうけずに、死に、また同じようにして次々とその女を妻としたのですが、7人いた兄弟皆が、子をもうけないで死んでしまい、最後に、その女も死にました。それでは、この女は、復活の時、だれの妻になるのですかと質問したのであります。
重婚はモーセの律法で禁止されていたので、復活があるなら、この女は、7人を夫に持ち、それに反することになるというのであります。それに対して、並行個所では、主イエスは、あなた方は、聖書も知らず、思い違いもはなはだしいと言ってお答えになっていますが、ルカでも、主は、明確に言われます。
この世の子らは、めとったり、とついだりしているが、来たるべき世で、死人たちから復活するのにふさわしいとされた人々は、もはや死ぬことができない、彼らは、天使たちのようになり、復活にあずかる子らとして、神の子たちであるからだと答えられたのであります。
私たちは、この世では、結婚し、子孫を残すために、子をもうけますが、夫婦もこの世でいつかは別れねばならない時がきます。結婚生活は忍耐であると言われた方もいますが、生きている限り、神から与えられた助け手として、相手に限りなく近づき合い、あい助け合って生きる者と神はなさったのであります。
そして、主イエスは、さらに、サドカイ派が復活はないと論拠にしているモーセ五書の出エジプト記3章6節を引用なさったのであります。死人が、復活することについては、モーセも柴の個所で、神は、「私は、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」と告げられたと記しているというのであります。アブラハムは、考古学でも実在の人物だと証明されているとのことでありますが、旧約聖書によれば、彼はすべての諸国民の祝福の基となると神によって約束されている人物であります。モーセの時代には、彼らははるか昔に死んでいる人物たちでありますが、主なる神は、「私は、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」と現在形ではっきり示されているのであります。
主イエスは、それを引用して、神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である。なぜなら、すべての人は神によって生きるからであると言われました。人間は神に生きる者として造られているのであります。
土で造られた私たちは、地上からは、みな消えていなくなる存在ですが、神に対して、神に結ばれ、向き合う者として造られているのであります。復活を信じて、罪から悔い改め、アブラハム、イサク、ヤコブのように、神に向かい合って歩み、地上の生涯を神の祝福と恵みのうちに過ごしたいものであります。アーメン。

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2013/11/17(日) 10:30:03| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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