津田沼教会 牧師のメッセージ
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「王となって帰って来る主人」(ルカ19:11-27)
ルカ19:11-27、2013・11・10、聖霊降臨後第25主日(典礼色―緑―)、歴代誌上29:10-13、テサロニケの信徒への手紙二2:13-3:5

ルカによる福音書19:11-27
 人々がこれらのことに聞き入っているとき、イエスは更に一つのたとえを話された。エルサレムに近づいておられ、それに、人々が神の国はすぐにも現れるものと思っていたからである。イエスは言われた。「ある立派な家柄の人が、王の位を受けて帰るために、遠い国へ旅立つことになった。そこで彼は、十人の僕を呼んで十ムナの金を渡し、『わたしが帰って来るまで、これで商売をしなさい』と言った。しかし、国民は彼を憎んでいたので、後から使者を送り、『我々はこの人を王にいただきたくない』と言わせた。さて、彼は王の位を受けて帰って来ると、金を渡しておいた僕を呼んで来させ、どれだけ利益を上げたかを知ろうとした。最初の者が進み出て、『御主人様、あなたの一ムナで十ムナをもうけました』と言った。主人は言った。『良い僕だ。よくやった。お前はごく小さな事に忠実だったから、十の町の支配権を授けよう。』二番目の者が来て、『御主人様、あなたの一ムナで五ムナ稼ぎました』と言った。主人は、『お前は五つの町を治めよ』と言った。また、ほかの者が来て言った。『御主人様、これがあなたの一ムナです。布に包んでしまっておきました。あなたは預けないものも取り立て、蒔かないものも刈り取られる厳しい方なので、恐ろしかったのです。』主人は言った。『悪い僕だ。その言葉のゆえにお前を裁こう。わたしが預けなかったものも取り立て、蒔かなかったものも刈り取る厳しい人間だと知っていたのか。ではなぜ、わたしの金を銀行に預けなかったのか。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きでそれを受け取れたのに。』そして、そばに立っていた人々に言った。『その一ムナをこの男から取り上げて、十ムナ持っている者に与えよ。』僕たちが、『御主人様、あの人は既に十ムナ持っています』と言うと、主人は言った。『言っておくが、だれでも持っている人は、更に与えられるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられる。ところで、わたしが王となるのを望まなかったあの敵どもを、ここに引き出して、わたしの目の前で打ち殺せ。』」





説教「王となって帰って来る主人」(ルカ19:11-27)

 ルカによる福音書を中心に読んで来ました今年の教会暦C年も、残すところ、今日の記事を含めて3回となりました。ルカによる福音書はエルサレムの神殿での出来事に始まり、エルサレムの神殿で、復活して後、天に帰った主イエスを弟子たちがオリーブ山から戻って、ほめたたえているという記事で終わっています。
 そして、今日の記事は、そのエルサレムでの受難と復活に近いエリコ近辺での主が語った譬えであります。弟子たちとしては、この地上での神の国の実現が、まもなく、いや、今すぐにも、入城するエルサレムで現わされ、ローマ帝国から主イエスが、メシアとしてイスラエルを解放してくださる時が来たとも、期待していたようであります。
 しかし、主イエスは、事態は、そんなこととはまったく異なることを、この譬えを通して、お語りになられたのであります。
 ザアカイにエリコで語りかけられた後、人々が、彼に聞いていたとき、彼は、それに加えて、この譬えを語られたのであります。
 そこには、彼の弟子たち、群衆、また、敵対者たちも含まれていたかもしれません。今日の主イエスの譬えは、マタイ福音書のタラントンの譬えと似ている点もありますが、異なっている点も少なくなく、おそらく別ので伝承であったと考えられます。
 ある高貴な人が、王位を受けるために、遠い国に旅立った、と主イエスは初めます。もちろん、これは、御自身をたとえて言っておられるのであります。
 今日の譬えと同じような歴史的な事実も、歴史家ヨセフスによって、残されています。あのヘロデ大王の長男、アルケラオが、王位を受けるために、遠く、ローマに旅立った。ところが、その国民たちは、彼が自分たちを支配するのを望まず、自治権を主張して、使節団を、あとから送ったというのであります。結局アルケラオは、代官の地位を受けて、帰国し、敵対者たちを一掃しますが、やがて後に失脚したというのであります。この故事を、主イエスは、今日の譬えにお用いになったのかもしれない。
 さて、この高貴な生まれの人は、10人の僕を呼んで、一人に1ムナずつ、与えて、それで、商売をするように、取引をするように命じて、旅に出るのであります。マタイのタラントンの譬えと比較するとそんなに大金ではない。マタイでは3人の人に、5タラントン、2タラントン、1タラントンと預けるのでありますが、こちらでは、等しく1ムナずつ、10人に渡しています。これは、主イエスから、あるいは、神から、私たちが受けている恩恵、恵みを表わしているとも言えましょう。
 さて、その主人が王位を受けて帰って来ると、しもべたちが、どれだけ仕事をしたかをみようと思って呼び付けます。
 すると、第1の者は言います。御主人様、あなたの1ムナは、10ムナを作りだしましたと。すると、主人は、よくやった、よいしもべよ、あなたはごく小さなことに忠実であったから、10の町の支配権を与えようというのであります。
 次に、第2の僕も出て来て、言います。御主人様、あなたの1ムナは5ムナをもうけましたと。すると、主人は、よくやった、あなたは5つの町を支配するであろうと言います。
 ところが、3番目の僕は、出て来て言います。御主人様、あなたの1ムナは、ハンカチに包んで隠しておきました。なぜなら、あなたは、預けないところから、かき集め、蒔かないところからも、刈り取る厳しい方なので、恐ろしかったからですと。主人は、よくない僕だ。あなたの口によってあなたを裁こう、あなたは、私が預けない所からも取り立て、蒔かない所からも刈り取る厳しい者だと知っていたのか。それなら、銀行に預けておくべきであった。そうすれば、私が戻って来たときに、利子と共に、それを受け取れたのに。そう言って、主人は、そばにいる者たちに、この者の1ムナを10ムナ持っている者に与えよと言います。
 彼らは、御主人様、彼は、既に10ムナ持っていますと言うと、主人は、私は言っておくが、持っている者はさらに豊かに与えられるが、持っていない者は、持っている者まで、失うであろうと言うのであります。
 この僕は、主人に不忠実で、主人の帰って来るときまで、主人の命令に従わなかった者であります。主イエスの弟子たちは、主の再臨の時まで、与えられた恩恵に対して働くように主から委任されている者である。目覚めて、恵みに答えることが私たち一人一人に求められているのであります。
 さて、主人は、最後に、こう言います。しかし、私が王になることを望まなかったあの者どもをここに引き出し、私の見ている前で切り殺せと。
 主イエスのなされた譬えとはいうものの、主イエスご自身を譬えた主人の言葉としては、これも、激しいものであります。
 ルカの描く主イエスは、ユダヤ人たちに対して敵対的なイエスであります。主イエスが、公生涯をお始めになって、故郷のナザレで、説教を始められた時も、ナザレの人々は、結局、主イエスを拒んで、崖から落として殺そうとしました。
 ここでも、主イエスは、御自分が、王となって帰って来ることを望まなかったユダヤ人たちに対して、彼らを引き出して、自分の目の前で殺せと言われるのであります。
 主イエスを拒んだエルサレムは、紀元後70年に、ローマ軍によって石の上に一つの石も崩されずに残ったものはなくまるまでに、破壊されます。
 今日の譬えは、主イエスが、まさに、都エルサレムに入城なさろうとする直前に、弟子たちに向けて、あるいは、群衆に向けて、あるいはさらには、敵どもに向けても、今がどのようなときであり、何が起ころうとしているかを、語られたものであります。
 私たち、キリストの弟子としては、主イエスから、無償で一人一人に恵みが与えられ、主イエスは、私たちがそれを用いてみ言葉を宣べ伝え、主イエスから託されたみわざ、また、それぞれの仕事に従順に励み、仕えることが求められています。主イエスのこの世界にお出でになられたその使命を、覚って、主イエスのみ旨に従って、力強く働くことが求められているのであります。
 この1年の教会暦の終わり近くに、私たちは、自分の与えられた使命を再確認し、倦まずたゆまず、それに励むように、主イエスによって、今日の譬え話を通して促されています。私たちの与えられたこの地上での生涯には、やがて終わりの時が来ます。そのことを覚えながら、私たちはそれぞれの与えられた場所で、与えられた任務を精一杯こなしながら、目を覚まして歩んでいきたいものだと思います。アーメン。
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2013/11/10(日) 10:30:02| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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