津田沼教会 牧師のメッセージ
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「不正な管理人のふるまい」(ルカ16:1-13)
ルカ福音書16:1-13、2013・09・22、聖霊降臨後第18主日(典礼色―緑―)、コヘレトの言葉8:10-17、テモテへの手紙一2:1-7

ルカによる福音書16:1-13
 イエスは、弟子たちにも次のように言われた。「ある金持ちに一人の管理人がいた。この男が主人の財産を無駄遣いしていると、告げ口をする者があった。そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『お前について聞いていることがあるが、どうなのか。会計の報告を出しなさい。もう管理を任せておくわけにはいかない。』管理人は考えた。『どうしようか。主人はわたしから管理の仕事を取り上げようとしている。土を掘る力もないし、物乞いをするのも恥ずかしい。そうだ。こうしよう。管理の仕事をやめさせられても、自分を家に迎えてくれるような者たちを作ればいいのだ。』そこで、管理人は主人に借りのある者を一人一人呼んで、まず最初の人に、『わたしの主人にいくら借りがあるのか』と言った。『油百バトス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。急いで、腰を掛けて、五十バトスと書き直しなさい。』また別の人には、『あなたは、いくら借りがあるのか』と言った。『小麦百コロス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。八十コロスと書き直しなさい。』主人は、この不正な管理人の抜け目のないやり方をほめた。この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている。そこで、わたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。そうしておけば、金がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる。ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。だから、不正にまみれた富について忠実でなければ、だれがあなたがたに本当に価値あるものを任せるだろうか。また、他人のものについて忠実でなければ、だれがあなたがたに本当に価値あるものを任せるだろうか。また、他人のものについて忠実でなければ、だれがあなたがたのものを与えてくれるだろうか。どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」




説教「不正な管理人のふるまい」(ルカ16:1-13)

今日のルカ福音書16章1節から13節は、私たちの常識では分かりにくい譬えと主イエスのお言葉から成る個所であります。金持ちの擁していたこの管理人は、主人の財産の無駄遣いをし、主人に損害を与えているのであります。そして、この管理人を解職しようとします。
すると、この管理人は、借りのある者たちを次々に呼んで、まず、100バトスのオリーブ油の借りのあるものを50バトスと証文を書き代えらせ、次に、100コロスの小麦の借りのある者を、80コロスと書き代えさせています。そして、それを見た主人は、この不正な管理人が機敏に、自分の危機に対処するのを称賛するのであります。
この「主人」とは、キュリオスというギリシャ語で、「主」イエスがこの管理人をほめたとも訳せます。機敏に危機に対応することを、主イエスは、弟子たちに、私たちに欲されるのであります。
そして、この世の子らは、光の子ら、すなわち、主イエスの弟子たちよりも、この世代、仲間に対して、賢く、思慮分別においてまさってふるまっていると主は言われるのであります。
そして更に、不正の富を用いても、友達を作りなさいと、金が尽きたとき、家に受け入れてくれるようにと。また、彼らと共に、神と天使たちが、永遠の住まいに迎え入れてくれるように友を作りなさいと主は言われます。
これは、貧しい人に施しをすることとも、取れますが、自分の利益に動く私たちが、むしろ主イエスを友とするようにとも考えられるのです。
この世の子らに、負けない機敏さと思慮分別をもって、この世の不正にまみれた財貨、富、マモンをよりよく用いなさいとも言われています。
そして、16章10節から13節の言葉が、主イエスの言葉として付加されています。小事に忠実な者は、大事にも忠実であり、小事に不忠実なものは、大事にも不忠実である。あなた方が、不正な富において不忠実なら、だれが、あなた方に真実なものをまかせようか。他人のものに対して、不忠実なら、だれが、あなた方に、あなた方に属するもの、すなわち天的財を、与えるだろうかと言われます。そして、家のしもべたちは、だれも二人の主人に仕えることはできない。一人を憎み、一人を愛し、一人にしがみつき、一人を見下げるだろうからである。神に仕え、富、マモンに仕えることは、あなた方にはできないと言われます。
現実に生きている私たちは、この世の不正にまみれた富、財貨を用いて、生きていかざるを得ません。しかし、神に仕えるためにこそ、この世の富、マモンをも用いるのであります。
ルカのイエスは、財産、物質を重んじます。私たちは、物質、富を、イエスの友達となるために用いるのであります。この世の不正にまみれた富に、不忠実であるなら、まことのもの、福音の言葉や、私たちにゆだねられているもの、天的な財産を、誰も与え、任してはくれないだろうと言われます。
不正な管理人のふるまいは、私たちには納得できない生き方のように思います。彼の生き方は、悔い改めは見られない生き方としか思われません。
しかし、そのような生き方をも、主イエスは、愛のまなざしで見られています。そしてその危機の対処を、心から、ほめられるのであります。私たち、イエスの弟子たちも、この今日の不正な管理人に負けない者として、確かに私たちは、自分自身の利益を求める者ですが、しかし、そんな私たちをも、主イエスによって愛されている者として、機敏にふるまい、危機を乗り越え、思慮分別を持って、この世の富をも、用いて、天の永遠の住まいに、迎え入れられる弟子として、賢く歩んでいきましょう。主イエスは、この不正な管理人をほめられたように、私たちにも愛のまなざしを注いで、永遠の神に賢く仕えていく者となることを、お望みです。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。











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2013/09/22(日) 10:30:01| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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