津田沼教会 牧師のメッセージ
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「真の平和への道」(ルカ12:49-53)
ルカ福音書12:49-53、2013・08・18、聖霊降臨後第13主日(典礼色―緑―)、エレミヤ書23:23-29、ヘブライ人への手紙12:1-13

ルカによる福音書12:49-53
 「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。その火が既に燃えていたらと、どんなに願っていることか。しかし、わたしには受けねばならない洗礼がある。それが終わるまで、わたしはどんなに苦しむことだろう。あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ。今から後、一つの家に五人いるならば、三人は二人と、二人は三人と対立して分かれるからである。
父は子と、子は父と、
母は娘と、娘は母と、
しゅうとめは嫁と、嫁はしゅうとめと、
対立して分かれる。」




説教「真の平和への道」(ルカ12:49-53)

 私たちは、日曜日に、このところ、厳しい主イエスの言葉をルカ福音書から聞かされています。先週は、「ある愚かな金持ち」の譬えでありました。来週は、救いへの戸口は狭く、あらゆる神経を用いて、そこから、救いへと入るようにという奨めであります。
 そして、本日は、普段の、私たちがイメージする主イエスの言葉とは一見、思われないような厳しいみ言葉、お言葉であります。
 主イエスは、言われます。火をこの地に向かって投じるために、私は来たと。そして、それが、燃え上っていたらと、私はどんなにか、願っていることかと。火は、いろいろな働きをします。かびが生じたものを火を通して消毒します。旧約聖書のレビ記に重い皮膚病の患者の衣服や革製品にかびが生えている場合に火で焼き捨てるとあります。(13章)
 また、火は、災害や、神の裁きを示す場合もあります。創世記のソドム、ゴモラの堕落した町を主なる神が硫黄の火を降らせて滅ぼした事例などが思い起こされます(18章)。
 また、火は金属を精錬するために用いられます。本日の第一の朗読、エレミヤ書(23:23-29)では、主なる神は、わたしの言葉は火に似ていないか、岩を打ち砕く槌のようではないか、と言われています。しかし、さらには、主イエスが言われる火とは、聖霊だとも、言えなくはないでしょう。洗礼者ヨハネは、その方は聖霊と火で洗礼をお授けになると預言しました。いずれにしても、本日の記事もルカ福音書9章51節から、始まっている十字架の待つエルサレムへの旅の途上で語られる厳しく激しい言葉であります。
 さらに、主イエスは、私は、受けねばならない洗礼を持っている、しかし、それが達成されるまで、私はどんなにか悩まされることかと言われます。火に対して今度は、水であります。水は、詩編で出て来ます大水のように、災害、あるいは苦難を示します。主イエスは、エルサレムで十字架につき、血の洗礼を受けることを暗示しておられるのであります。
 主は、さらに、あなた方は、私がこの地において、平和を与えるために来たと思うのか、いや、そうではなく、かえって、分裂である、不一致、衝突であると言われるのであります。主イエスが生まれた時、天使たちは、この地において、み心に適う人に平和があるようにと、歌ったのではなかったでしょうか。主イエスは、平和の君と呼ばれると預言されていた(イザヤ9章5節)のではないでしょうか。
 主イエスによって、分裂、不和、衝突が、実際起きるのでしょうか。主イエスが生まれて、40日たち、初めて両親に連れられて、神殿に上って行ったとき、シメオンは、この子はイスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められていると預言しました。主イエスは、この言葉をよく理解されていたのであります。
 私が来たのは、言っておくが、平和を与えるためではない、かえって分裂だと、主イエスによって起きることになる対立を、主イエスは、あらかじめ、弟子たちに警告し、備えさせたのであります。
 主は言われます。なぜなら、今から後、一つの家において5人いれば、3人は2人の上に、2人は3人の上に対立して分かれるであろうからと。そして、父は息子の上に、息子は父の上に分裂されるであろう、母は、娘に向かって、娘は母に向かって、しゅうとめは、彼女のその嫁に向かって、嫁はそのしゅうとめに向かってと言われているのであります。
 これは、一家5人が考えられています。父、母、息子にその嫁と、まだ独身と思われます娘であります。男同士よりも女同士の方が対立が激しくなる。そして、殊に、しゅうともと嫁との関係は、最も難しい人間関係だと現代でも言われている通りであります。
 しかし、それ以上に、ルカは、そして、主イエスは、ミカ書7章の6節を引用しているのであります。そこには「息子は父を侮り、娘は母に、嫁はしゅうとめに立ち向かう」とあり、さらに、「人の敵はその家の者だ。」とまで、ミカは記しているのであります。
 主イエスは、ミカ書のこの預言を、御自分の到来によって起こることだと、今日断言なさっておられます。
 このお盆、皆さま、どのようにお過ごしでしたでしょうか。私も、8月10日の土曜日から、14日の水曜日まで松山の母の下に帰省してきました。10日は、久しぶりに高校の同窓会、みんな阿部首相と同じく59歳になっていきますが、80名ほどの同窓生が集まりました。同級生は何とか、顔と名前が一致しましたが、他のクラスのかなりは、顔も名前もなかなか思い出せません。
 そして、宇和島から山に入ったさびれた町に放置されている私たちが育った家の草刈りに行ってくれた福知山に住む兄の夫婦と甥の一人と、兄の車で松山の母のアパート、マンションに夜遅く帰って来ました。兄だけが一緒に残り、父の墓参りなどに行ったりしました。そして、日曜日は、あまり、気の進まない兄にも勧めて、母と我が家の3人と計5人で松山ルーテル教会に礼拝に行ってきました。
 日頃、兄には週報等を一生懸命送って、聖書やキリスト教のことを伝道していますが、なかなか思うようには行きません。しかし、尊敬する62歳になった兄は、日曜日の大河ドラマだけは、熱心に見ています。「八重の桜」は、幅広く明治維新の頃の時代背景が取り入れられており、兄はひどく気に入っているようです。
 しかし、兄にしても、妹たちにしても、また、形ばかりの洗礼を施した母にしても、罪を赦していただけるのは主イエスしかないということは、なかなか伝え難いのであります。しかし、今日の主イエスは、そのことを既に御存命の時から予告しておられるのであります。一つの家の中で、2人は3人に対立し、3人は2人に対立させられるであろうとの主のお言葉は、まぎれもない現実を預言したものであります。私たちは、そのことを前もって、警告を受け、驚かないように備えるために、主イエスは、今日の厳しいお言葉を述べられているのであります。
 そんな中でも希望を持ち続けて、主イエスを説き証ししていく苦労と共に喜びを、主イエスは約束して下さっているのであります。その先にこそ、「真の平和への道」がきっと待っているのであります。
 
人知では到底測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。


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2013/08/18(日) 10:30:01| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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