津田沼教会 牧師のメッセージ
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説教「教会が起こった日」(使徒言行録2:1-21)
ヨハネ福音書16:4b-11、2013・05・19、聖霊降臨祭(典礼色―赤―聖餐式)、創世記11:1-9、使徒言行録2:1-21

使徒言行録2:1-21
 五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。
 さて、エルサレムには、天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方に住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを
聞こうとは。」人々は皆驚き、とまどい、「いったい、これはどういうことなのか」と互いに言った。しかし、「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、あざける者もいた。

 すると、ペトロは十一人と共に立って、声を張り上げ、話し始めた。「ユダヤの方々、またエルサレムに住むすべての人たち、知っていただきたいことがあります。わたしの言葉に耳を傾けてください。今は朝の九時ですから、この人たちは、あなたがたが考えているように、酒に酔っているのではありません。そうではなく、これこそ預言者ヨエルを通して言われていたことなのです。
『神は言われる。
 終わりの時に、
 わたしの霊をすべての人に注ぐ。
 すると、あなたたちの息子と娘は預言し、
 若者は幻を見、老人は夢を見る。
 わたしの僕やはしためにも、
 そのときには、わたしの霊を注ぐ。
すると、彼らは預言する。
 上では、天に不思議な業を、
 下では、地に徴を示そう。
 血と火と立ちこめる煙が、それだ。
 主の偉大な輝かしい日が来る前に、
 太陽は暗くなり、
 月は血のように赤くなる。
 主の名を呼び求める者は皆、救われる。』」



説教「教会の起こった日」(使徒言行録2:1-21)

本日は、ペンテコステを祝う礼拝の日です。これは、過越しの祭りから、七週の祭りとして、49日が満たされたその安息日の翌日、すなわち、キリスト者たちにとっての主の日、日曜日に聖霊が、彼らの上にくだったことを祝う聖霊降臨祭のことで、ペンテコステとは、50日目を意味する言葉です。この日に、教会が起こった、教会が誕生した日として、キリスト教でも、復活祭と降誕日と共に、三大祭りの日として、その日以来次第に祝われてきた特別の祝日です。主イエスが昇天する前に、弟子たちに約束されたものを待ちなさいと、言われていた聖霊が、ついに、弟子たちの上にくだったのであります。
それは、マルコの縁のある大きな家の二階座敷で起こったことであったかもしれません。12使徒や、母マリアなどが、一緒に祈りながら、一つ所にいた、120名もの弟子たちが居合わせる場所であったかもしれません。ペンテコステとは、七週の祭りとして、収穫感謝の祭りであったものが、他のユダヤ教の三大祭り、過越しの祭りや、仮庵の祭り(仮小屋・スコトの祭り)が、後に、みな、出エジプトを記念する祭りとして定着していたのであります。その50日に及ぶ日々が満たされた時、突然、一緒にいた彼らの家を、激しい風のような物音が、びゅうと響き渡ったのであります。そして、炎のような赤い舌の形をした聖霊が、弟子たち一人一人の上にとどまったのであります。それで、本日の聖卓の布の色も、このように真っ赤な赤が、聖霊を表わすものとして、用いられているのであります。
そして、このときの物音に、驚いて、七週の祭り、あるいは、五旬祭と呼ばれるユダヤ教の一大祝日にエルサレムへと駐在していた天の下のあらゆる国から、敬虔なユダヤ人や、ユダヤ教への改宗者たちが、集まってきたのであります。そして、驚いたことには、主イエスの弟子たちが、地中海を中心として中近東のいろいろな国から来ていた離散していたユダヤ人たちや、ユダヤ教への改宗者たちの生まれ育った母国の言語で、神の大いなるみ業を預言していたのであります。
集まった者たちは、たまげて、これは、ガリラヤから来た無学な者たちではないかと、ただただ困惑していたのであります。そして、エルサレムを中心として、東西南北、また、ローマから来て滞在していた者たちや、クレタ島の者たちや、アラビアの者たちまで、あらゆる言語の人たちが、この出来事に、驚き、これは一体何なのかと不思議がっていたのであります。しかし、中には、彼らは、新しい甘いぶどう酒に満たされているのに過ぎないとあざ笑う者たちもいました。そのとき、あのペトロが、11人と共に立って、大胆に神の言葉のスピーチをし、宣言を始めます。皆さんに知っていただきたいことがあります。どうか、私の言葉に耳を傾けてほしい。さて、今は、朝の9時だから、この者たちが酒に満たされているのではありません。今日起こっているこの出来事は、預言者ヨエルを通して預言されていたことなのです。
すなわち、終わりの日に、と神は言われる。すなわち、私から、すべての人々に霊をくだそう。そうすると、あなた方の息子、娘は預言するであろう。若者たちは幻を見、老人たちは夢を夢見るであろう。また、あなた方の僕も、しもめも、預言するであろう。それらの日々に、上では天に徴が、下では地に前兆が現れるであろう。すなわち、太陽は闇へと変わるであろう。月は、血のように赤くなるだろう。地では、血と火と煙の蒸気を私は与えよう。かの大いなる、輝かしい主の日がやってくる前に。そして、主の名を呼ぶすべての者は、救われるであろう、とペトロは、ヨエル書3章の1節から5節を引用して、この日に、その預言が、成就したことを大胆に、集まって来た人々の前で宣言するのであります。ヨエル書では、主の日は大いなる恐るべき日であると、ありますが、使徒言行録の著者ルカは、主の日を大いなる輝かしい日と表現を変えているのであります。
こうして、12弟子たちは、もはや、逃げまどう臆病な弟子たちから、大胆に、全人類への主イエスの名による救いを宣べ伝える者に変えられているのであります。そして、この日から、教会が起こされ、天の下のあらゆる国民のもとへと、救いを伝えに出て行く弟子たちへと、押し出されて行くのであります。それは、当時の彼らにとって、地の果てと考えられたローマ帝国の都ローマにまで宣教する教会が誕生したのであります。
私たちは、この日の出来事を、2000年前の、今では古くなった記念碑的出来事として考えるべきではありません。私たちは、今日も、この主なる神から霊が、全人類へと降り注がれていることを、信じて疑いません。主イエスの教会の宣教は、救済史の終わりまで続くのであります。そして、終わりの日には、老若男女すべての人が、神の大いなる、そして、輝かしい主の日が来るまで、主の名を呼び求めて救いに与ると聖書は約束しているのであります。教会はそのために、今も世界中に存在し、宣教していくのであります。
私たちは、仏教や神道や、あるいは、イスラム教、ユダヤ教等の人たちにも、尊敬と学び合いの交わりを求めながらも、主イエス・キリストの十字架と復活と昇天を通して、全人類が救いに与っていることを、この日のペトロたちと同様に勇敢に証しし、それにふさわし生き方をしたいものであります。私たちは、罪の誘惑に負けやすい者でありまして、しばしば、父なる神とみ子、そして、聖霊の意にそぐわない罪を犯してしまいがちな者でありますが、日々、み言葉によって、励まされ、また、同信の兄弟姉妹との交わりを通して、強められ、日々、新たな人間に再創造されながら、キリストのからだとしての教会につながって、生涯を終りの日まで歩み通していきたいものであります。今日はキリスト教の三大祝日の一つとして、この後、キリストの肉と血に与る聖餐を喜んで受けましょう。
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2013/05/19(日) 10:30:00| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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