津田沼教会 牧師のメッセージ
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「死から永遠の命へ」(ヨハネ10:22-30)
ヨハネ10:22-30、2013・04・21、復活後第2主日(典礼色―白―)、使徒言行録13:39、ヨハネの黙示録7:9-17

ヨハネによる福音書10:22-30
 そのころ、エルサレムで神殿奉献記念祭が行われた。冬であった。イエスは、神殿の境内でソロモンの回廊を歩いておられた。すると、ユダヤ人たちがイエスを取り囲んで言った。「いつまで、わたしたちに気をもませるのか。もしメシアなら、はっきりそう言いなさい。」イエスは答えられた。「わたしは言ったが、あなたたちは信じない。わたしが父の名によって行う業が、わたしについて証しをしている。しかし、あなたたちは信じない。わたしの羊ではないからである。わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない。わたしの父がわたしにくださったものは、すべてのものより偉大であり、だれも父の手から奪うことはできない。わたしと父とは一つである。

説教「死から永遠の命へ」(ヨハネ10:22-30)
復活節に、なぜ、本日の個所が読まれるのでしょうか。これは、福音書記者ヨハネの時代のユダヤ人の指導者たちとの教会共同体との間の対立を表わしているのであります。ソロモンの回廊で、教会の者たちが、ユダヤ教の指導者たちと対決していたのであります。
それは、神殿再奉献祭という12月の半ばから2月の半ばにわたるユダ・マカバイが勝ち取った神殿の再奉献を記念し、祝う祭りで、神殿崩壊の後にもなお、記念されていた祭りでありました。そのソロモンの回廊で、主イエスが、ユダヤ人の指導者たちと対立したことを、重ね合わせているのであります。そのユダヤ人たちは、我々を宙に浮かばせておくのはやめてくれ、あなたが、もしメシアなら、はっきりとそういってほしいと論争を吹きかけてくるのであります。
主イエスは、私はずっと、言ってきた、それなのに、あなた方は信じないといいます。そして、父なる神の名で、私がしている業どもが、私について、証しているが、あなた方は信じない。あなたがたは、これらの私の羊どもではないからだと言われます。私の羊どもは、私の声を聞き分け、認識し、私に従う。そして、私は彼らに永遠の命を与えるのであり、彼らは決して永遠に滅びない。そして、誰も私の手からそれらを奪わないであろうと言われるのであります。そして、父が与えてくださったものは、すべてのものよりも偉大であり、だれも、御父の手から奪うことはできない。私と父、私たちは一つであるといわれるのであります。復活した主イエスは、三位一体の神であられ、父と一つであられるのであります。そして、羊飼いみ子の羊である私たちは、だれよりも大きな、偉大なもの、大事なものであると、主イエスは言われます。
復活の主に従うことによって、永遠の滅びから、免れ、死から永遠の命に移されているのであります。まことの羊飼い、主イエスに従って、その主のみ声を見分けながら、また、喜びの主の復活に与りながら、滅びの業を打ち捨てて、悔い改め、歩んでまいりましょう。 
羊は迷いやすい動物でありますが、自分たちの安全を、羊飼いに預けて、その後をついて行くのであります。私が、聖地旅行に行ったときも、少年羊飼いによって、数多くの羊たちが、子羊も混じっていたでありましょう、草のある山肌を導かれながら、それが、道跡になって、はっきりと残っていました。羊たちは、安心して、羊飼いの少年に、群れとなって従って行ったことが分かりました。
私たち、キリストに救われた者も、まことの大牧者イエスに従って、死の存在から放たれ、永遠の命に与る道を歩み求めてまいりましょう。

人知では到底測り知ることのできない神の平安が、キリスト・イエスにあってあなた方を守るように。
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2013/04/21(日) 10:30:01| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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