津田沼教会 牧師のメッセージ
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「平和があなた方にあるように」(ルカ24:36-43)
ルカ24:36-43、2013・04・14、復活後第2主日(典礼色―白―)、使徒言行録9:1-20、ヨハネの黙示録5:11-14

ルカによる福音書24:36-43
 こういうことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。彼らは恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った。そこで、イエスは言われた。「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある。」こう言って、イエスは手と足をお見せになった。彼らが喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物があるか」と言われた。そこで、焼いた魚を一切れ差し出すと、イエスはそれを取って、彼らの前で食べられた。



説教「平和があなた方にあるように」(ルカ24:36-43)

私たちは、本日、ルカ24:36-43を、復活後第2主日の福音個所として与えられています。イースターから、ルカ24:1節からの連続の3箇所が選ばれているのであります。
今日のところは、先週の福音であった、シモンに現われたという前回のエマオ途上とエマオでの顕現、エルサレムに戻ってみると、他の弟子たちが復活の主がシモンに現われたと言っていますので、復活の主の3回目の顕現ということになります。
核となる弟子たちに、主が、彼らがこういうことを話しているときに、弟子たちの真ん中に立ち、平和があなた方にあるようにと、挨拶するのであります。
平和とは、ヘブライ語ではシャローム、ギリシャ語ではエイレーネといいますが、ここでは単なるありふれたこんばんわというような挨拶ではなく、深い痛みを持ち、不安と恐れと後悔の念などに満たされていた弟子たちに、まことの平和、健康、福祉といった深い意味の言葉が、復活の主によって、先生、イエス様を守れず、裏切ってしまった弟子たちに、慰めと希望を与える言葉をまず、投げかけられるのであります。
弟子たちは、心が騒ぎ、うろたえ、どきもを引き抜かれて、恐れおののくのであります。今日の記事は、先週のように劇的な、サスペンスに富んだ物語ではありません。地味な、信じ切れないでいる、沈黙の弟子たちが記されています。彼らは、亡霊、幻影、幽霊を見ているのではないかと恐れるのであります。しかし、主は、私に触れなさい、見なさい、亡霊、プネウマという、通常「霊」と訳される言葉でありますが、肉体を持った主イエスだとは、最初思えないで、信じることができず、疑い深い弟子たちの姿が記されているのであります。
今日の場面で弟子たちは一言も、しゃべっていません。霊は足や手、体や骨はないが、私にはある。私である、恐れることはないと、弟子たちを励ますのであります。喜びの余り、信じられないで、不思議がっていると、主は、ここに何か食べ物はあるかと訊かれ、焼き魚の一切れを差し出すと、主はみんなの前でむしゃむしゃと、焼き魚を食べるのであります。ここから、主はこの後、全世界への復活の勝利の福音を弟子たちにのべつたえるべく、宣教命令、使命の委託を、再び、弟子たちに託するのであります。そして、本日の福音、また聖書を通して、2000年近くを隔てた私たちにも、復活の主は「平和があなた方にあるように」と津田沼教会の私たちの真ん中に立って、勇気づけ、宣教への委託を今なお、与えて下さっているのであります。

人知では到底測り知ることのできない平安が、キリスト・イエスにあってあなた方の心と思いとを守るように。

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2013/04/14(日) 10:30:02| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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