津田沼教会 牧師のメッセージ
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「神に帰る」(ルカ15:11-32)
ルカ15:11-32、2013・03・10、四旬節第4主日(典礼色―紫―)、イザヤ書12:1-6、コリントの信徒への手紙一5:1-8

ルカによる福音書15:11-32
 また、イエスは言われた。「ある人に息子が二人いた。弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前を下さい』と言った。それで、父親は財産を二人に分けてやった。何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄遣いしてしまった。何もかも使い果たした時、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。そこで、彼は我に返って言った。『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にして下さい」と。』そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』しかし、父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。それから、肥えた子牛を連れて来てほふりなさい。食べて祝おう。この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』そして、祝宴を始めた。
ところで、兄の方は畑にいたが、家の近くに来ると、音楽や踊りのざわめきが聞こえてきた。そこで、僕の一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねた。僕は言った。『弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたというので、お父上が肥えた子牛を穂降られたのです。』兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた。しかし、兄は父親に言った。『このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛をほふっておやりになる。』すると、父親は言った。『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』」



説教「神に帰る」(ルカ15:11-32)
四旬節第4主日を迎えました。私たちへの慰め、励ましとして、本日はルカ15:11-32が与えられています。さて、レンブラントの絵画に、「放蕩息子の帰郷」という有名な絵があります。それは、父の下に帰ってきた弟息子と、それを迎え入れる父と、それを横から冷淡な、あるいは無関心な目でみつめる兄息子が他の2、3の人物と共に描かれています。
父は盲目のような目で、両手を差し伸べ、年老いた目で見ています。私たちは、弟息子に大いに共鳴します。それは異邦人であった私たちが誠の神に立ち返った姿を現しています。これらの人物の絵に、ヘンリ・ナウエンは、大きく動かされて「放蕩息子の帰郷―父の家に立ち返る物語」と題する本を書きました。
彼も指摘しているように、私たちは、弟息子でもあり、兄息子でもあり、更には、驚くべきことですが、二人を迎え入れる父でもあるのではないでしょうか。あるいはあるべきではないでしょうか。
神学生の頃、「傷ついた癒し人」というヘンリー・ナウエンの著書がある種のブームになっていました。今から25年ほども前のことです。その著者が、この同じオランダ生まれの画家の「放蕩息子の帰郷」と題する絵のポスターに引かれ、この絵の本物を見るためにロシアに旅行し、この絵との対話が始まったのです。
主イエスがなさった譬え話としても、最も有名な、そして、美しい譬え話の一つがこの「放蕩息子の帰郷」でしょう。ヘンリー・ナウエンは、この絵を見て、更にその後の人生を変えられたのであります。最後は、カナダのラルシュという障害者たちとの共同体で晩年を過ごしたようであります。
息子は、父に対して、私が受け継ぐことになっている相続財産を分けて下さいとまず、頼みます。兄に対して三分の一の割合であったでしょうか。父はその弟息子の要望に答えて、その相続分を分けてやりました。ほどなくして、この弟息子は受け継いだ相続財産を金に換え、遠くの国へ旅立ちました。そして、自堕落な生活して、金をまき散らすような生活にうつつを抜かしていました。金も底をつき始めたころ、その地方に大きな飢饉が襲い、彼は食べるにも事欠くようになりました。ある町の名士のところに身を寄せると、その名士は彼を農場へ送って豚の世話をさせました。ユダヤの人々にとって豚の世話をするということは、何よりも呪われた、忌々しい運命を意味していました。弟息子は、せめて、豚の食べるいなご豆でも食べて、食を満たしたいと思いましたが、誰も彼にその食を与えようとはしませんでした。その時、弟息子は、我に返って、こう自分に言いました。私は飢えて死のうとしている。しかし、私の父の家では雇い人たちが有り余るほどのパンを与えられて生活している。私は今すぐ帰って、父にこう言おう。私は、天に対しても、あなたの前でも、罪を犯しました。もうあなたの息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人のように、私を扱って下さいと。
そして、立ち上がって、故郷に向かい始めたのです。そして、まだ父の家からは遠く離れていたのに、父は彼を見出し、断腸の思いに駆られて、走り寄り、首を抱き、接吻します。弟息子は、お父さん、私は天に対しても、あなたに対しても、罪を犯しました、もう、あなたの息子と呼ばれる資格はありませんと答えました。しかし、父は、しもべを呼んで、この子に一番上等な服を着させ、手に指輪をはめてやり、靴を履かせ、肥えた子牛を連れて来て、屠らせ、宴会をして楽しもうというのです。
レンブラントの絵では、頭は殆ど坊主刈りで、裸足さながらの弟息子は父に寄りかかり、謝ろうとでもしているようです。それは、レンブラント自身の人生の浮き沈みを表わしている姿でしょう。そして、ヘンリー・ナウエンもまた、そこに、自分の現実をも重ね合わせて見たのです。私たちは、もともとの異邦人であり、あるいは、神から離れた人間として、この弟息子に自分を重ね合わせるしかない存在なのではないでしょうか。
その時、兄息子は畑にいて野良仕事を済まし、帰ってきます。家が近づくに連れ、音楽やダンスのざわめきが聞こえ、兄息子は、僕を呼び寄せて、いったい何事なのかと訊き出そうとします。弟さんが御無事で帰って来たというので、子牛を屠らせ、お父様が宴会をお始めになっているのですと言うと、兄息子は、腹を立て、家の中へ入ろうとはしません。父親は、出て来て、彼を宥め、中へ入って宴会に加わるようにと説き伏せようとします。
しかし、兄は、父に向かって、あなたのあの息子は、あなたの身上を遊女たちと食いつぶして戻って来ると、あなたは子牛を屠っておやりになる。私は、この通り、あなたの命令に背いたこともなく過ごしてきましたが、友達と宴会を開くために子山羊の一匹でも下さったことはないではありませんかと答えるのです。
父親は、あなたのあの兄弟は死んでいたのに生き返った、失われていたのに、見出された、だから、喜び祝うのは当然ではないかとなだめようとするのです。
ヘンリー・ナウエンは、この兄息子、無関心な冷たい目で見る、父と同じく赤いマントで身を装った人物として描かれた中にも、自分を重ね合わせて見るようになります。
落ちぶれて、人生に失敗した弟を冷めた目でみつめる兄、それは、自分ではないだろうかと。自分の信仰生活を誇り、他者のそれより優っているとの傲慢や、嫉み、優越感の中にいる自分を見出したのです。更に、また、驚くべきことには、ただひたすら、弟息子に手を置き、殆ど盲目のような傷ましい父親のその両手を見て、片方は父の慈愛に満ちた力強い手、しかし、他方は、擦り切れて痛々しい母親のような手をしていることに気付き、これは、人間である私たちのあるべき姿、罪人の立ち返りを、心から喜び、同情する、物惜しみしない、あるべき私たちの姿でもあると考えるようになるのです。「放蕩息子の帰郷」父の家に立ち帰る物語という一枚の絵画との出会いと対話、黙想から、ヘンリー・ナウエンは、自分のただすべき道を、その人生の最晩年に見出していったのです。私たちも又四旬節のこの時、真の悔い改めとそれへの共感・喜びへと招かれています。神に立ち帰るということが、何よりも神の、そして、み子イエスの喜びであり、それは、罪人にも、ファリサイ派などの自分を義とする人々にも同じように差し出されている招きなのです。受難節から、イースターへと十字架の死から復活へと進まれる主イエスの道を仰ぎ見ましょう。
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2013/03/10(日) 10:30:02| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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