津田沼教会 牧師のメッセージ
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「兄弟を赦しなさい」(マタイ18:21~35)
マタイ18:21-35、聖霊降臨後第20主日(緑)、2005・10・02
創世記50:15-21、ローマの信徒への手紙14:1-18

マタイによる福音書18:21-35
 「そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。そこで、天の国は次のようにたとえられる。ある王が、家来たちに貸した金の決済をしようとした。決済し始めたところ、一万タラントン借金している家来が、王の前に連れて来られた。しかし、返済できなかったので、主君はこの家来に、自分も妻も子も、また持ち物も全部売って返済するように命じた。家来はひれ伏し、『どうか待ってください。きっと全部お返しします』としきりに願った。その家来の主君は憐れに思って、彼を赦し、その借金を帳消しにしてやった。ところが、この家来は外に出て、自分に百デナリオンの借金をしている仲間に出会うと、捕まえて首を絞め、『借金を返せ』と言った。仲間はひれ伏して、『どうか待ってくれ。返すから』としきりに頼んだ。しかし、承知せず、その仲間を引っぱって行き、借金を返すまでと牢に入れた。仲間たちは、事の次第を見て非常に心を痛め、主君の前に出て事件を残らず告げた。そこで、主君はその家来を呼びつけて言った。『不届きな家来だ。お前が頼んだから、借金を全部帳消しにしてやったのだ。わたしがお前を憐れんでやったように、お前も自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったか。』そして、主君は怒って、借金をすっかり返済するまでと、家来を牢役人に引き渡した。あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう。」

説教「兄弟を赦しなさい」(マタイ18:21~35)

聖霊降臨後第20主日を迎えました。わたしたちは、このところ数週間にわたって、マタイ18章を続けて読んできました。それは、マタイが牧会的配慮のもとに、主イエスの言葉をまとめたものと言えましょう。マタイは、四つの福音書の中でも、特に、教会にいるわたしたちに対して、どのように教会生活を歩んだらいいのか、そういうことを、口をすっぱくして語っている聖書であります。ここのところ、18章で、主は、兄弟をつまづかせてはならない、あなたの手足、眼が罪を犯すより、それをなくしてでも命に入るほうが良いこと、小さい者を軽んじてはいけない、迷い出た1匹の羊を神は無事な99匹の羊をあとに残してでも、出て行って取り戻そうとされていることなどを示され、先週は、あなたに対して罪を犯した兄弟がいるとしても、その兄弟には少なくとも3回は、忠告して、教会に取り戻される機会が与えられねばならないこと、そのために、わたしたちが、互いに尽力しなければならないことが命じられました。本日のみ言葉は、それに続くものであります。「そのとき」、ペトロが主に質問したのであります。「主よ、私に対して、兄弟が罪を犯す場合、何度まで赦せばいいのでしょうか、7度までですか」。主は彼に答えて言われたのであります。「わたしは、7度までとは這わない、7を70倍するまでである」と。旧約に創世記に「カインのための復讐が七倍なら、レメクのためには77倍」とあります。旧約の時代には復讐は激しく行われ、またそれが認められたことがあったのですが、主は、7を70倍、すなわち490倍するまで、兄弟を赦すようにと、憎悪にかえて赦しを限りなく主は私たちにお求めになられます。先週の兄弟をいさめ、忠告することと、今週の限りなく赦せというみ言葉は、一見矛盾するようでありますが、両者は、レビ記に「同胞を率直に戒めなさい。そうすれば、彼の罪をおうことはない」とあり、引き続いて「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。」(19:17~18)とあるように、愛するということと、兄弟の罪を戒めることとは、共に神によってわたしたちに求められていることなのであります。
さて、主は、15章23節から35節まで、仲間を赦さなかったある主君の家来についての譬えを語られます。ある王が、その家来たちと、計算書を作って清算しようとするのであります。そのとき、1万タラントンの借金を王に対して負った家来が連れてこられます。そして、自分も家族も財産も全部売って、それを戻すようにと命じられます。彼は土下座し、ひれ伏しつついいます。「主よ、私の上に忍耐してください、全部戻しますから」。しかし、彼がそれをできるわけがありません。1万とは当時数えられる限りの最高の数を意味し、タラントンも金額として考えうる最高の額でした。主君は、憐れに思い、彼を赦し借金を免除してやったのです。ところが、彼は出て行き、100デナリオン、今の100万円ほど、自分に借金のある仲間にばったりあうと、捕まえて首を絞め、「借りを返せ」と詰め寄りました。仲間は、「ひれ伏して、待ってくれ、きっと返すから」と言うのに聞かず、彼を借金を払うまでと牢獄に投げ込んだのであります。この一部始終をみていた仲間たちは、ひどく心をいため、主君のもとにいって一切を明らかにしたのであります。主君は、怒り、この家来を呼び出して、「お前も、仲間に同じように慈悲深くしてやるべきではなかったか」と言って、拷問をするものへと彼を渡したのであります。わたしたちは、罪深いものであります。しかし、神が赦してくださっています。東京女子大学の学長をされ、成田空港の訴訟の仲介役を務められた故隅谷三喜男先生は、わたしたち(日本の?)クリスチャンは、日曜日だけの信者である。牧師もそうで、日曜日と他の日と二階建てに住んでいてべつべつの生活をしていると批判されているのを伺ったことがあります。しかし、そういう生活ではなくて、心から兄弟を赦し、教会で、また、家庭で、お互いに赦しあう生活に是非入りたいものであります。本日は、幸いにして、聖餐式があります。隣に並ぶ人の罪のためにも祈ってあげる、そういう群れとしてお互いに立ち、神の前に、主のみ言葉に堅く立つ信仰を、今日から1週間、再び求めていきましょう。人知ではとうていはかりしることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン。
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2005/10/02(日) 10:30:01| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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