津田沼教会 牧師のメッセージ
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「すべてを献げたやもめ」(マルコ12:41-44)
マルコ12:41-44、2012・11・18、聖霊降臨後第25主日(典礼色―緑―)、列王記上17:8-16、ヘブライ人への手紙9:24-28

マルコによる福音書12:41-44
 イエスは賽銭箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。大勢の金持ちがたくさん入れていた。ところが、一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランスを入れた。イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。」




説教「すべてを献げたやもめ」(マルコ12:41-44)

今年の教会暦も来週の聖霊降臨後最終主日で終わりとなります。この時期に本日与えられているのは、マルコ12:41-44であります。このやもめは、列王記上に出てくるやもめを思い起こさせます。
主イエスは、この貧しいやもめが、持っているものをすべて、生活費、ビオスという言葉ですが、これには、生活、生命という意味もあり、彼女は、自分の生活全体を、神殿の宝物殿とも解される言葉ですが、その幾つも置いてあるラッパ状の形をした献金箱に投げ出したのであります。この後、どうなったかは、記されていません。この後、主イエスも十字架上にあげられ、生命を私たちのためにささげてくださるのであります。その意味で、このやもめは、主イエスをも暗示しています。
私たちも、神から与っている生命をすべて、神さまのために、ささげる生涯を送りたいものであります。
 この個所を読みます時、教会での献金のことを考えずにはおれません。維持献金が献げられないから、教会生活からやむをえず、退いてしまわれている教会員がおられます。私たちはそのような兄弟姉妹のためにも祈らねばなりません。
 そして、本日の記事において、主イエスが宣言されたように、自分の生活費を差し出した、額としては小であっても、真心のこもった献金をする者を、主は、一番多く入れたのだと言われて今も、私たちは真剣に受け止め、一緒に教会生活が守られるように、支え合いながら、津田沼教会につながる方が一人でも多くなり、支え合えるように、励みたいものであります。アーメン。

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2012/11/18(日) 10:30:00| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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