津田沼教会 牧師のメッセージ
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「主の星に導かれて」(マタイ2:1-12)
マタイ2:1-12、2005・01・02、顕現主日
イザヤ書60:1-6、エフェソの信徒への手紙3:1-12、マタイ福音書2:1-12

マタイ福音書2:1-12
 イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。
『ユダの地、ベツレヘムよ、
お前はユダの指導者たちの中で
決していちばん小さいものではない。
お前から指導者が現れ、
わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」
 そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰っていった。

説教「主の星に導かれて」(マタイ2:1-12)
 本日は顕現主日であります。1月6日が顕現日でありまして、1月2日から8日の間の主日が顕現主日であり、今年は1月2日の本日が顕現主日であります。12月24日のイブ礼拝のときから祝いましたクリスマスは、1月6日の顕現日の前日まで暦の上では祝ってよいようであります。そして、この顕現主日には、毎年、先ほどお読みしましたマタイによる福音書2章1節から12節が読まれます。それは、クリスマスに生まれたみ子イエスを最初に礼拝をささげたのは、ユダヤ人たちではなく、遠く東の方からやって来た異邦人であったことを覚えるものであります。
 本日の福音書の箇所について、しばらくご一緒に考えたいと思います。マタイ福音書は、本日の箇所で、ユダヤのベツレヘムで主イエスがお生まれになったのは、王ヘロデの時代であったと書き始めます。その時の詳しい状況については、マタイは何も記していません。
 ある注解書は、ルカにあるようにユダのベツレヘムで生まれた後、いったん、ナザレに帰り、再び、しばらくたってからベツレヘムに戻ってきて、そこに本日の出来事が起こったのではないかと考えているものもありますが、マタイはそのようなことには、関心がないかのようであります。主イエスがそのようにして、ヘロデ王の御世にお生まれになったとき、東方から、占星術の学者たちがエルサレムに到着して尋ねるのであります。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおられますか。わたしたちはその方の星を東で見たので、その方を拝みにやって来たのです。」これは、その方の星が昇るのを見たのでやって来たのですとも、読むことができます。洋の東西を問わず、偉大な人物や救世主と仰がれる人物の誕生に際しては、不思議な星が輝いたり、星同士が交合したり、天体に不思議な現象が現れたと言い伝えられています。旧約聖書の出エジプトを行ったモーセの誕生に際しても、異常な天体現象が現れたとも伝えられています。そしてそれを知ったファラオは、主イエスのときと同じような幼児虐殺を企てたとも伝えられています。ケプラーは、この天体の異常現象を紀元前7年のことではないかと計算しています。昨年末には、金星と水星が夜明け前に美しく輝いて見えました。東のほうから、主の星に導かれて、ユダヤ人の王、救世主メシアを拝みに来た占星術の学者たちは、マギという言葉が使われています。後には、マジシャン、魔法使いや占い師などの意味にも使われるようになりましたが、彼らが祭司階級のものであったのか、後の伝説のように王であったのか、現代の天文学者兼占星術の学者であったのかはよくわかりませんが、メシア待望の強かったユダヤ人たちのいたバビロニアかあるいはアラビアのあたりから来たのかもしれません。
 さて、この者たちが、到着した時、ヘロデ大王や全エルサレムの住民の反応はどうであったでしょうか。彼らは歓迎すべきはずの救い主誕生の知らせに、そろって「不安を覚えた」のであります。これは、うろたえ、混乱したという非常に強い意味の言葉であります。そこで、ヘロデは、民の祭司長や律法学者たちを呼び集め、メシアがどこで生まれているのかを知ろうとしていました。70人議会を構成する主だった者である彼らは、聖書を引用して言います。「それは、ユダのベツレヘムです。預言者がこう書いています。『ユダのベツレヘムよ、お前は、ユダの指導者たちの中で決して小さなものではない。お前の中から、指導者が現れ、私の民イスラエルを牧するであろう』と。」これは、ミカ書5章1,2節とサムエル記下5章の2節とをつないだものであります。本日はたまたま顕現主日でマタイ福音書が与えられていますが、今年の主たる福音書はマタイ福音書であります。マタイ福音書は、旧約聖書が、主イエス・キリストを通して、成就したことを強調している福音書であります。今年はマタイ福音書を中心としながら、旧約聖書にも慣れ親しむことができると期待しています。
 さて、この預言の言葉は、ダビデの生まれた町から、そしてその家系から、メシアが現れることになっているとの当時のユダヤ人たちのメシアの見方に忠実に従っているものであります。この預言の言葉を伝えたユダヤの学者たちは、しかし、決して自らその生まれたメシアを拝みにいこうとはしなかったのであります。そして今度は、ヘロデはひそかに占星術の学者たちを呼んで、主の星が昇った時期を正しく突き止めようと尋ねていました。そして彼らを送り出して言うのであります。「お前たちは出て行ってその方のことを詳しく調べてくれ。そして見出したなら、わたしにも伝えてくれ、私も拝みにいきたいから」と。そして彼らが出て行くと、その昇るのを彼らが見た星が現れ、彼らを導きました。そして、その子のいる家の真上で止まりました。彼らはそれを見て非常に大きな喜びを喜んだと、マタイは記しています。彼らが、その家の中に入ると、その子は母マリアと共におられました。それで彼らはひれ伏して拝み、宝箱あるいは、懐から、贈り物、すなわち黄金、乳香、没薬を贈ったのであります。貴重な贈り物を贈るのは、一般的に当時の中東では彼らの忠誠と服従を表すもので、それらの贈り物は、特にアラビアなどで取れる貴重なものでありましたが、後の教父やルターは、黄金は、主イエスが王であることを表し、乳香は、主が神であることを表し、没薬は、主イエスの受難と埋葬を表していると解釈しました。それもまた、間違いではなかろうと思います。
こうして彼らは、み子を礼拝した後、夢でヘロデのもとに帰るなとのお告げを受けたので別の道を通って自分たちの国に帰ったのであります。このみ子誕生の時の出来事から2000年以上もたちました。今の世界も、もし、当時のようにみ子が生まれたなら、世界の指導者、権力者は主を必ずしも歓迎はしないのではないでしょうか。しかし、主は、そのように罪にまみれたこの世界に、ついには、十字架におつきになるためにお生まれになったのであります。それでは、本日の記事を知らされているわたしたちは、どのようにして、この主をお迎えすればよいのでしょうか。異邦人であった占星術の学者たちのように、この方に礼拝をささげ、服従と忠誠を尽くして生活していくことが、わたしたちがささげうる何よりの主への贈り物ではないでしょうか。そして、わたしたちの生涯もまた、このマギたちのように、主の星によって、またみ言葉によってしっかりと導かれる一生でありたいものであります。一言お祈りします。
天の父なる神さま。新しい一年が始まりました。いろいろな困難なことやうろたえるようなつらい目に遭うこともあるかもしれません。しかし、本日の占星術の学者たちが主の星に導かれ、喜びに溢れて礼拝して帰って行ったように、どうぞ、わたしたちの歩みをもあなたが整えてください。そして、あなたの礼拝に預かることを何よりも宝とする一年を送らせてください。アーメン。




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2005/01/02(日) 10:30:00| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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