津田沼教会 牧師のメッセージ
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「恵みの机に集いて」(マルコ7:24-30)
マルコ7:24-30、2012・09・09、聖霊降臨後第15主日(典礼色―緑―)、イザヤ書35:1-3、ヤコブの手紙1:2-18

マルコによる福音書7:24-30
 イエスはそこを立ち去って、ティルスの地方に行かれた。ある家に入り、だれにも知られたくないと思っておられたが、人々に気づかれてしまった。汚れた霊に取りつかれた幼い娘を持つ女が、すぐにイエスのことを聞きつけ、来てその足もとにひれ伏した。女はギリシア人でシリア・フェニキアの生まれであったが、娘から悪霊を追い出してくださいと頼んだ。イエスは言われた。「まず、子供たちに十分食べさせなければならない。子供たちのパンを取って、小犬にやってはいけない。」ところが、女は答えて言った。「主よ、しかし、食卓の下の小犬も、子供のパン屑はいただきます。」そこで、イエスは言われた。「それほど言うなら、よろしい。家に帰りなさい。悪霊はあなたの娘からもう出てしまった。」女が家に帰ってみると、その子は床の上に寝ており、悪霊は出てしまっていた。




説教「恵みの机に集いて」(マルコ7:24-30)

先週は、ガリラヤのゲネサレト湖畔で、エルサレムからの律法学者たちや、ファリサイ派どもと、食事のこと等で論争をし、彼らは、昔の人の言い伝えに縛られ、主イエスの福音と対立するという記事、マルコ7:1-15が福音として与えられていました。
主イエスは、本日の記事において、「そこから」、ある家から、あるいはむしろ、そのゲネサレト湖畔から、立ち上がり、ティロスの地方の境界線の辺りまで、やって来て、ある家に入り、だれからも、知られまいと思っておられましたが、彼が来たといううわさは知れ渡り、隠れていることができませんでした。彼は、ここに来て、さらに、シドンを回り、デカポリスをめぐって、ガリラヤ湖の南側までやっていくのであります。
この地、ティロスとの境界線あたりまで、来たのは、何の目的であったのか、書かれていませんが、ヘロデ・アンティパスの追っ手を逃れての逃避行でもなく、異邦人伝道のための宣教活動のためでもなく、むしろ、主ご自身のプライベートな時間を持ちたかったからでありましょう。
これから先のことを考え、一人で、じっくり思い巡らすことを欲されたのでありましょう。さて、早速、ある女の人が、主イエスが来られたことを耳にして、すぐ、この家にやって来たのであります。彼女の小娘は、汚れた霊に取り付かれ、母親は、何としても、主イエスに癒していただきたかったのであります。そして、なりふり構わず、主の足もとにひれ伏したのでありました。
この女性はギリシャ人で、国籍は、シリア・フェニキアであったといいます。今、シリアは内戦が激しく続いていますが、シリアは紀元前1000年も前から高度な文化が発展していた場所であります。しかし、この女性、この異邦人、異教徒は主の下に、すべてをさらけ出して、主イエスに、彼が悪霊、悪鬼を、娘から追い払っていただくようにと懇願したのであります。
主は、「まず、子供たちに満腹させることをあなたは、認めねばならない。子供たちのパンをとって、子犬に投げてやるのはよろしくない」と、断言されたのであります。もちろんこの子供たちとは、神の選ばれた民、イスラエル人たちを指し、小犬たちとは、異邦人たちを指していることは、この女性にもすぐ分かったことでしょう。主イエスは、異邦人たちのことを「小犬たち」と呼んで、通りをうろつき回る野犬どもとは異なる家にいるペットとしての「小犬たち」と呼んでおられます。
さて、ところが、その女の人は、その主の言葉に応じて、主に語るのであります。「主よ(あるいは先生よ)。そして、机の下の子犬たちは、子供たちのパンくずからは食べるのです」と、機知と主への信仰に基づく言葉を即座に主に言い返すのであります。すると、主は、直訳すると、「その言葉のゆえにあなたは行きなさい、あなたのその娘から悪鬼は、出て行ってしまっている」と約束なさったのであります。これは、遠く離れていても奇跡を起こすことができる主の超自然的な力によることであります。離れた場所にいる娘をも、直に触ったり、起き上がらせたりすることなしにも、主は癒しの奇跡を起こすこともできるのであります。そして、その母親は、家に帰ってみると、娘は床に伏しており、悪鬼は去っているのを見出したのであります。その小娘は、悪霊が起こさせた最後の発作を経た後、体を消耗し尽くして、床に伏して眠っていたのであります。
この異教徒であります母親は、主の約束を信じました。そして、この異邦人は、私たち、ユダヤ人以外への宣教を目指していた主イエスのみ心に適う信仰を持ち、主イエスのなさった約束を信じ、娘の癒しに与ったのであります。
私たちも、この女性のように、どんなことがあっても、主イエスにすがりついていく信仰を与えられたいと思います。マルチン・ルターも言っていますように、信仰から離れることが、悪霊が私たちに願っている第一のこと、最高の願いであります。
私たちは、古代の人々のように、悪霊の存在を敏感に感じませんが、聖書が証しするように、昔も今も、悪霊の力は強力に働いています。私たちは、み言葉によりすがり、毎週、たとえ、聖餐式はなくても、十字架に死に、三日目に復活された主イエスのもとに、聖霊によって集められている、聖徒であります。日曜日の礼拝を中心として、1週間、1週間を、主イエスのなさったみ業、語られたみ言葉を頼りに、あらゆる疑いに打ち勝って、強い信仰を与えられていきたいと思います。

人知では、とうてい、測り知ることのできない神の平安が、キリスト・イエスにあってあなた方の心と思いとを守るように。
 
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2012/09/09(日) 10:30:00| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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