津田沼教会 牧師のメッセージ
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「五つのパンと二匹の魚から」(マルコ6:30-44)宇野正徳牧師
マルコ6:30-44、2012・08・19、聖霊降臨後第12主日(典礼色―緑―)、エレミヤ書23:11-22、エフェソの信徒への手紙2:11-22

マルコによる福音書6:30-44
 さて、使徒たちはイエスのところに集まって来て、自分たちが行ったことや教えたことを残らず報告した。イエスは、「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」と言われた。出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。そこで、一同は舟に乗って、自分たちだけで人里離れた所へ行った。ところが、多くの人々は彼らが出かけて行くのを見て、それと気づき、すべての町からそこへ一斉に駆けつけ、彼らより先に着いた。
 イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。そのうち、時もだいぶたったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。「ここは人里離れた所で、時間もだいぶたちました。人々を解散させてください。そうすれば、自分で周りの里や村へ、何か食べる物を買いに行くでしょう。これに対してイエスは、「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」とお答えになった。弟子たちは、「わたしたちが二百デナリオンものパンを買って来て、みんなに食べさせるのですか」と言った。イエスは言われた。パンは幾つあるのか。見て来なさい。」弟子たちは確かめて来て、言った。「五つあります。それに魚が二匹です。」そこで、イエスは弟子たちに、皆を組に分けて、青草の上に座らせるようにとお命じになった。人々は、百人、五十人ずつまとまって腰を下ろした。イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて、弟子たちに渡して配らせ、二匹の魚も皆に分配させた。すべての人が食べて満腹した。そして、パンの屑と残りの魚を集めると、十二の籠にいっぱいになった。パンを食べた人は男が五千人であった。



説教「五つのパンと二匹の魚から」(マルコ6:30~44)宇野正徳牧師

1. はじめに
今日の福音書には、イエスが、「五つのパンと二匹の魚」を5000人以上の人々に分け与え、「すべての人が食べて満腹した」という記事が載っています。どうしてそのようなことが起こったのか、わたしたちの理解を超えていますが、理解を超えているだけに、この出来事がわたしたちに問いかけていることは何かをご一緒に考えてみたいと思います。
まず、この出来事を目にしたとき、「マナの記事」(出エジプト記16章参照)を思い出しました。
イスラエルが隷属していたエジプトから解放され、新天地に向かっているとき、イスラエル人は食べ物や飲み水に事欠くようになり、その飢え渇きに人々は耐えられなくなり、モーセに迫ります。「われわれをいつまでこのままにしておくのか。このようなことになるならエジプトで死んだ方がましだった」と。その訴えにモーセはどうすることもできずに苦悩します。苦悩するモーセに神は応えます。「わたしは、イスラエル人のために天からパンを降らせる。民は出て行って、毎日、必要な分だけ集める。彼らがわたしの指示する通りにするかどうか試す」と。神は、民の窮乏を救うと約束されたのです。
夕方になると、うずらが飛んできて宿営を覆い、朝には宿営の周りに露が降りました。その露が渇くとそこに薄くてやわらかいパンのようなもの(マナ)が地表を覆ったのです。モーセは「これこそ主があなたたちに食物として与えたパンである」と言い、人々にそのパンを食することができたのです。
その時、不思議なことに、「多く集めた者も余ることなく、少なく集めた者も足りないことはなく、それぞれが必要な分を集めた」とあり、誰もが公平にパンを食べることが出来たのです。ともすると人間が窮乏しているときは、理性が働かず欲望に負けて、バランスが崩れ、食糧を独り占めし、隠匿する者も出てくるのですが、この時は、そういうことは起こらなかったのです。「多く集めた者も余ることなく、少なく集めた者も足りないことはない。それぞれが必要な分を集めた」通りです。
「貧しきを憂えず、等しからざるを憂える」との言葉があります。人は貧しいことには我慢できるが、不平等な扱い、差別的な扱いには我慢ができないということ、人は誰しも不平等、不公平な社会は望みません。バランスのとれた公平な社会を望むものです。

わたしの小さな体験ですが、今から67年前、小学生の時に学童疎開(集団疎開)の経験をしました。戦況が日に日に悪化し、空襲も連日のようにあり、わたしが住んでいた東京もますます危険な状況になったのです。昭和20年3月10日、東京は大空襲を受け、本所・深川方面は大量の爆弾、焼夷弾がおとされて大炎上し、多数の犠牲者(約10万人)を出しました。わたしが住む下町もやがてはそうした攻撃を受けるだろうとの観測で、小学生以下の子どもたちは危険を避けるために疎開することになったのです。行った先は、埼玉県と群馬県の県境にある小さな村でした。
小学3年になったわたしたちは、親元を離れ疎開地での共同生活を送るようになったのです。疎開先でもご多聞にもれずに食糧難で三度三度の食事も決して十分でなく、お芋やカボチャなどが混ざったご飯やおかゆをすすって食べましたが、食べ盛りのわたしたちには、十分でなく、いつもお腹をすかせていました。しかし、誰もそのことで泣き事を言う者はいませんでした。少ない食べ物であっても皆が同じ物を食べているという一体感、連帯感があったからだと思います。もしそこに不公平なことがあれば(たとえば、腕力の強い者が弱い者を押さえつけ、物資を横取りするというようなこと)、そういうことはなかったのです。

2.5000人を前にして
 改めて今日の福音書を振り返ってみたいと思います。
 今日の福音書は、弟子たちが福音宣教の働きのためにガリラヤ地方に散って活動をし、その働きを終えてイエスのもとに帰ってきてその働きの一部始終を報告したことから始まっています。
 弟子たちは、はじめて経験する宣教活動に大きな喜びと使命を感じたに違いありません。「出入りする人たちが大勢であったので食事をする暇もなかった」とあるように大成功だったのです。イエスはその報告を聞いた後に、宣教の疲れをいやすために弟子たちに休むように命じ、彼らは人里離れた所へ向かったのです。日本でしたら、さしずめひなびた温泉地とでも言いましょうか。
 ところが弟子たちが避暑地に向かった時、群衆が弟子たちの行く行き先を先回りしそこで彼らを待ち受けていたのです。どうして群衆が弟子たちの行く先を知ったのか。多分、狭いガリラヤ地方ですから避暑と言えば、誰もが行く所を知っていたのでしょう。群衆は、それを想定し、先回りして弟子たちを待ったのです。
 しかし、すでに休みのモード(リラックスタイム)に入っていた弟子たちは、追ってきた群衆に、これ以上、自分たちを煩わせることは止めてくれと思ったに違いないのです。誰でも休みを妨害されることは気分的には面白くないからです。
 その時、イエスは集まっている人たちを見て、人々をそのままそこに放ってはおくわけにはいかないと憐れまれたのです。「イエスは大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を見て深く憐れみ、いろいろと教えられた」(34節)とあります。この迷える人たちをどのようにして落ち着かせるか。イエスはまず説教を通して神の恵みを語ったのです。「心の貧しい人は幸いである・・・悲しんでいる人たちは幸いである・・」と。
そうこうするうちに日が暮れてきました。イエスの様子を傍らで見ていた弟子たちは、イエスが時を忘れてあまりに熱心にみ言葉を解き明かすために、暗くなる前に群衆を早くに解散させるようにと勧めました。「ここは人里離れたところでもあり、もう時間もたちました。人々を解散させてください」(6:35)と。
しかし、イエスは、そのまま話を続け、弟子たちには、「あなたがたが、彼らに食べるものを与えなさい」と逆に弟子たちに指示したのです。弟子たちは、浮かぬ顔です。先生は、なぜ、わたしたちに彼らのために何か食べるものを用意しなさいと言うのか、わたしたちは、休み中ですよ。
そこで弟子たちはイエスに、こんな言い訳をしました。
「ここは人里離れた所で、時間もだいぶ経ちました」。
「わたしたちが二百デナリオンものパンを買ってきて、みなに食べさせるのですか」。
「めいめいすこしずつ食べるためにも二百デナリオンのパンでは足りないでしょう」(ヨハネ6:6)
「ここは人里離れた所で、時間も経っているし、パンはもはや手に入らない」。食べ物の用意は、もはや自分たちの手ではできないとつぶやいたのです。
そのつぶやきを聞いてイエスは、彼らに簡単なことを申し付けました。「今、ここにパンはいくつあるか、それを探してきなさい」と。弟子たちは不承不承の思いで探しに行きました。
弟子たちが探し回った結果、「五つのパンと二匹の魚」を見つけ出したのです。しかし、内心、これだけのものが何の役に立つのか、大の大人が手分けして探し出したものが、この程度のもの。自慢できる報告ではありませんでした。ヨハネ福音書には「こんなものが何の役に立つのだろうか」(ヨハネ6:9)とはっきり書いてあります。「五つのパンと二匹の魚」が、数千人の人たちの空腹を満たすとは誰も考えられないことです。
しかし、イエスは、弟子たちが「こんなものが何の役に立つか」と言った「五つのパンと二匹の魚」が、数千人の人たちの空腹を満たすとは誰も考えられないことです。
しかし、イエスは、弟子たちが「こんなものが何の役に立つか」と言った「五つのパンと二匹の魚」を取り上げ、天を仰いで讃美の祈りをささげそれらを祝福し、ここに集まる人たちに、いのちのパン、生けるパンとして配ったのです。その結果、「すべての人が食べて満腹した」のです。何と言うことでしょうか。奇跡が起こったのです。
弟子たちはこの事実を見て、どう思ったでしょうか。何と馬鹿なことを言っていただろうか。イエスさまへの信頼をまったく欠いていたことを恥じ入ったのです。
教会でも私たちはよく自分の力量、教会の力量からしても、それらが宣教のために何の役に立つだろうかと思うことがあります。あまりに小さく、非力だからです。しかし、それが「役に立つか」どうかは、わたしたちが決めることではなく、神さまが決めてくださることです。

イエスが「五つのパンと二匹の魚」を取り上げ、天を仰いで讃美の祈りをささげ祝福されたこと、これは教会でもよく見られる祝福聖別の祈りの原型です。
建ったばかりの教会の献堂式:礼拝堂の聖具、聖書、十字架、聖卓、聖餐用具、説教台のすべてを祝福聖別する。新任牧師の按手式、牧師就任式、教会役員の就任式、奉仕者の就任式に見る祝福聖別式。すべてを神の御手に預け、祝福を受け、神のご用のために役立てるように祈るのです。イエスが「五つのパンと二匹の魚」を祝福したことに通じます。

2. イエスの視点
5000人の人々に向き合う姿勢が、イエスと弟子たちとが異なります。
イエスは救いを求めてやって来る人々に目を向けています。「イエスは大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を見て深く憐れみ、いろいろと教えられた」(34節)とあるようにです。人々が何を求めているのか、何を望んでいるのか、人生のさまざまな状況に直面しながら生きる人々に目を注いでいます。
 それに対して弟子たちは、救いを求めてくる人々に目を向けるのではなく、自分たちの都合とか、事情とか、周囲の状況、条件に照らして奉仕の可否を決めます。大切なことは、人と向き合うことです。

 昨年の春、東日本地方を襲った大震災は、多くの人の命、愛する人の命や住む家、生活の座を奪いました。その震災は日本人のみならずこころをいため世界中の人々の心を痛め、悲しみを与えました。どうしてそのようなことが起こったのか、いまだにその苦悩はいえていません。そのことを通して人生に生きる意味とは何かを突き付けられた思いがいたします。そのようなとき、人生に生きる意味や希望を与えるものは何かというとき・・ヴィクートル・フランクルの著書「夜と霧」が見直されています。
   フランクルは、オーストリアの精神科医でしたが、ユダヤ人であるが故にナチスドイツの迫害に遭い、アウシュヴィッツ収容所をはじめいくつかの強制収容所での過酷な収容生活を送り、九死に一生を得て生還したのですが、その時、すでに愛する妻も両親も強制収容所で亡くなっていました。そうした苦悩や苦痛を背負いつつ自らの経験と体験を基に書いたのが「夜と霧」です。
 そこにこんな一節があります。
 『どんな時も、人生には、意味がある。
  なすべきこと、満たすべき意味が与えられている。
  この人生のどこかに、あなたを必要とする「何か」がある。
  あなたを必要とする「誰か」がいる。
   そしてその「何か」や「誰か」は、あなたに発見され実現されるのを「待って」いる。
わたしたちは、つねにこの「何か」、「誰か」によって必要とされ「待たれている」存在なのだ。』
実は、これはイエスさまが人々に向き合う姿勢でもあります。
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2012/08/19(日) 10:30:00| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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