津田沼教会 牧師のメッセージ
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「心を一つにして」マタイ(18:15-20)
マタイ18:15-20、聖霊降臨後第19主日(緑)、2005・09・25
エゼキエル33:7-9、ローマ12:19-13:10

マタイによる福音書18:15~20
 「兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで忠告しなさい。言うことを聞き入れたら、兄弟を得たことになる。聞き入れなければ、ほかに一人か二人、一緒に連れて行きなさい。すべてのことが、二人または三人の証人の口によって確定されるようになるためである。それでも聞き入れなければ、教会に申し出なさい。教会の言うことも聞き入れないなら、その人を異邦人か徴税人と同様に見なしなさい。
 はっきり言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる。また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」


説教「心を一つにして」(マタイ18:15-20)
 
今週の福音の箇所、マタイ18:15-20は、先週の「迷える羊」の譬えにそのままつながっている部分であります。すなわち、迷える1匹の羊を探しに、羊飼い、すなわち、神は、また、神から遣わされました本日のこのみ言葉を語っている主イエスは、99匹の無事な羊を丘、すなわち安全な教会に残して、探しに行き、見つけたら、安全であった99匹以上に、その1匹のために喜ばれるのであります。
 「あなたに罪を犯した兄弟」とは、迷った羊だというふうに考えられるのであります。そしてそのような「小さい者の一人」でも、つまずくこと、罪に陥り、神から、信仰から離れていくことは、天におられる父なる神のご意志ではないのであります。
 主は、18勝の15節から35節までにわたって、兄弟が自分の犯した罪を悟り、また、わたしたちとしては兄弟を赦すべきことを、後半の喩えをもまじえながら、お語りになります。
 さて、「ある兄弟が、あなたに対して罪を犯したなら、まずその兄弟とふたりだけで、忠告しなさい」と、主はまず語り始められます。教会の中でも、兄弟姉妹どうしが、互いに罪を犯すということは、人間同士ですから、残念ながら、起こりうる事柄であります。教会は、ルターも言いますように、ある面では、「罪びとの集まり」であります。実際には本日ここに主が勧められているような、手順で、あなたへとあるいは私へと罪を犯した兄弟を悔い改めに導き、その兄弟を再び、得る、勝ち取るということは、非常に難しいことであります。具体的にはいろいろな場合が起こりうるでありましょう。しかし、主はいずれにしても、私たちの同じ群れの1匹の羊が道に迷ったことの例として、本日の場合をあげているのであります。
 そして、最初のこの手順でもし彼が、あなたの言うことに聞き従ったなら、あなたはその兄弟を得たことになる。教会の一員として、取り戻したことになるといわれます。しうかし、続いて、もし、聞き入れなかったなら、ひとり、あるいは、二人を伴って行きなさいといわれます。それは、旧約のレビ記などにも出てきますように、2、または3人の証人によって、そのものたちの口によって、彼らの語る証言、言葉によってすべてのことが確定されるためであるといわれます。さらになお彼が、彼らにも聞き従わなかったなら、最後は、教会に言いなさい。そして、教会のいうことをも彼が聞き過ごすなら、そのときには、彼を異邦人や徴税人として扱いなさい。それ以上は、交わりを失っても、あなたが彼の罪を負うことはなくなる、といわれます。そしてよくいっておく、あなた方が地上でしばることどもは、天上でもしばられてあるだろうし、あなたがたが、地上で解くことは、天上でも解かれてあるだろうといわれます。
そして主の御言葉はさらに続きます。「あなたがたによくいっておく。あなたがたがなんであれ、地上で心を一つにして、すべての問題について、要求するなら、天の父のもとから、それらのことは成るであろうといわれ、なぜならば、わたしの名へと、ふたり、または三人で集まるところには、私もまた、彼らの中においているであろう」、と約束されています。「心を一つにして」とは、シンフォニーという言葉から来ています。わたしたちは、罪人であり、復活の主が共にいてくださらねば、教会で「心を一つにして」、一つの音を奏でることは不可能であります。教会のすべての兄弟姉妹、新来者、求道者が、ひとりももれることがないように、ともどもに、祈りつつお互いに心を砕いていきたいものであります。祈ります。
 天の父なる神さま。私たち人間の外から、あなたのもとから、独り子であるキリストがこられて、私たちの罪を担ってくださり、十字架の死とご復活を通して、いつでも、また、どんなに小さい教会にあってもあなたとみ子が私たちと共にいてくださるようになりました。私たちの津田沼教会の群れである兄弟姉妹の一人をも失うことがないように、私たちを罪から遠ざけ、また、お互いにそれぞれの罪を光に照らし、取り除く働きをも担わせてください。キリストによって、アーメン。
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2005/09/25(日) 10:30:00| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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