津田沼教会 牧師のメッセージ
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「サタンを追い出しに来られた主イエス」(マルコ3:20-30)
マルコ3:20-30、2012・07・08、聖霊降臨後第6主日(典礼色―緑―)、創世記3:8-15、コリントの信徒への手紙二5:11-15

マルコによる福音書3:20-30
 イエスが家に帰られると、群衆がまた集まって来て、一同は食事をする暇もないほどであった。身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来た。「あの男は気が変になっている」と言われていたからである。エルサレムから下って来た律法学者たちも、「あの男はベルゼブルに取りつかれている」と言い、また、「悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」と言っていた。そこで、イエスは彼らを呼び寄せて、たとえを用いて語られた。「どうして、サタンがサタンを追い出せよう。国が内輪で争えば、その国は成り立たない。家が内輪で争えば、その家は成り立たない。同じように、サタンが内輪もめして争えば、立ち行かず、滅びてしまう。また、まず強い人を縛り上げなければ、だれも、その人の家に押し入って、家財道具を奪い取ることはできない。まず縛ってから、その家を略奪するものだ。はっきり言っておく。人の子らが犯す罪やどんな冒瀆の言葉も、すべて赦される。しかし、聖霊を冒涜する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う。」イエスがこう言われたのは、「彼は汚れた霊に取りつかれている」と人々が言っていたからである。



説教「サタンを追い出しに来られた主イエス」(マルコ3:20-30)
 
私たちは、ガリラヤ宣教における主のみ言葉、あるいは、そのなさったみ業について、このところ、毎週、マルコ福音書から、聞いています。今朝は、先ほどお読みしましたマルコ3:20-30から、ご一緒に考えてみたいと思います。
 本日の部分は、まず、主は家にやって来られた。そして、多くの群衆も一緒にやって来た、それで、彼らは、パンを食べることもできないほどであった、と始まります。そして、「その彼からの者たち」、ここでは身内の者たちと訳されていますが、彼らは聞いたのち、彼を捕まえに出てきたというのであります。
 この最初の部分は、あとの3:30以下に続き、そこでは、イエスの母や兄弟たちがイエスの会いに来たことが、分かります。サンドイッチ形式と呼ばれるマルコのお得意の手法で、イエスの家族のふるまいが、記され、その中間に、ベルゼブル論争と言われる部分が挟まっているのであります。
 3:21では、身内の者たちが、彼は正気でなくなっていると彼らは語っていたからであると記されています。主イエス・キリストは、母や兄弟たちからも、気が変になっていると誤解されたのであります。マルコの筆は、非常に大胆なので、他の共観福音書は遠慮してか、この出来事を記していません。4つの福音書の中で、最も早い時期に書かれたマルコ福音書は、主イエスは神の子ではあるが、同時にいかにも、人間らしい主イエスについて、起こったことを、隠すこともなく、私たちに伝えてくれているのであります。
 私は、20歳過ぎから、キリスト教を求めていましたけれども、その頃のこと、正確には忘れましたが、あるとき、叔母の葬儀があり、焼香をするようにと、言われて戸惑っていたことがあります。仏教を信じていました母も、告別式の司式をする和尚さんを捕まえて、息子を説得してくださいと棺おけを前にして、右往左往していたことを、思い出します。
 その後、大分経って、38歳でようやく牧師になり、病弱になっていた両親を、二度目の結婚しての赴任地、水俣教会に呼びまして、小教理の問答の学びも殆どしないで、洗礼を授けたのであります。
主イエスさえ、家族によって気が変になっていると受け取られた出来事は、大なり小なり、教会員の皆さんも、経験されたことがあるのではないでしょうか。
 さて、エルサレムから下って来た律法学者たちは、主イエスがなさっている目覚しい悪霊追い出しなども見て、あれは、ベルゼブルを持っていて、悪霊、すなわちダイモニオンの長において、悪霊を追い出しているのだと、語っていました。ベルゼブルというのは、よく分からないのですが、パレスチナの神、蝿のバアル、主、あるいは、住居の主といったもので、それが、イエスに取り付いていて、悪霊の長が悪霊を追い出しているのだと言うのであります。
 主は、それに対して、彼らを呼び寄せて、譬えにおいて語っておられたのであります。サタンがサタンを追い出すことが、どうしてできようかと言うのであります。
王国が、王国に対して、分かれていては、その王国は立つことができないし、家が家に対して分かれていては、その家は立つことができないと、言われるのであります。この主のみ言葉は、かつて、アメリカで南北戦争のときに、リンカーンが、国が国に対して争っていては、その国は成り立たないと引用して、早く南北が統一することを訴えたのでした。
 私たちの家庭も、分かれていれば、立つことができません。
 主イエスは、そして、さらに、強い者がいる家には、その者を縛ってからでないと、入っても、その財産を略奪することはできない。縛ってから、その後、彼はその財産を略奪できるだろうと言われました。
 この家にいる強い者とは、サタンでありましょう。そのサタンを縛り、その家の財産、それは、悪霊に取り付かれていた人々のことを指すとも言えましょう。主イエスは、サタン、あるいは、ベルゼブルよりも、はるかに強い方として神の力を受けてお出でになられたのであります。
 主は、最後に言われます。人の子らのどんな罪も、また、冒涜する言葉も赦されよう。しかし、聖霊を、すなわち神の霊を冒涜する者は、永遠に赦しを持たず、永遠にその罪の責めを負うと。すなわち、彼ら、エルサレムから下って来た律法学者たちは、彼は汚れた霊を持っていると語っていたからであると、本日の聖書には記されているのであります。
 サタンを追い出すために、主イエスは父の神のもとから送られてきた方であります。私たちも、聖霊に守られて、常に、主イエスと神から送られる霊である聖霊を汚すことなく、主イエスを通して、サタンの誘惑に打ち勝って歩みたいものです。
 私たちは、しばしば、困惑し、そのときには主の霊である聖霊のことを、忘れがちでありますけれども、主が悪霊を追い出し、それを滅ぼすために、お出でになられたことを、忘れることなく、日常の生活の中で、聖霊によって導きを受け、み心を行う主イエスの弟子として、毎日の生活を送っていきましょう。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなた方の心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。
 
 

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2012/07/08(日) 10:30:00| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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