津田沼教会 牧師のメッセージ
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「畏れに満ちた復活」(マルコ16:1-8)
マルコ16:1-8、2012・04・08、復活祭(典礼色―白―聖餐式)イザヤ書25:6-9、コロンとの信徒への手紙一15:21-28

マルコによる福音書16:1-8
 安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。そして、週の始めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。彼女たちは、「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていた。ところが、目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである。墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた。若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。



説教「畏れに満ちた復活」(マルコ16:1-8)

皆さん、主のご復活、イースター、おめでとうございます。桜の花も満開となる新しい季節に入っているこの日、皆さんと共に、主の復活の証人とされていることを、心から喜びたいと思います。
今日、与えられました福音は、マルコによる福音書16:1-8です。主の復活は、弟子たちに現わされました。敵対していた律法学者や祭司たちに、あるいは、ローマ兵などに復活の姿を現されたことは決してないのです。
本日の個所もそうです。安息日の終わったとき、すなわち、土曜日の日没となったとき、マグダラのマリア、ヤコブの母マリアとサロメは、主イエスの遺体に塗るための香料を買い求めました。そして、週の初めの日、すなわち、今で言えば日曜日の朝、非常に早く、太陽が昇ったとき、彼女たちは、墓へと急ぎました。その途中、だれがあの墓の入口をふさいでいる石を転がしてくれるだろうかと彼女たちは互いに話し合っていました。ところが、目を上げてみると、既に、石は転がしてあったのです。マルコは、その石は非常に大きかったからであると記しています。復活の主が動かしたのか、神が転がしたのでありましょう。
彼女たちが墓の中に入りますと、右手に、白くまばゆい長い衣を着た若者が座っていました。彼女たちは恐れました。すると、彼は、実は天使ですが、「恐れさせられるな。あなた方は、あの十字架にかけられたナザレ人、イエスを探しているのだろうが、あの方は起き上がらされたのだ。見よ、ここが、人々が彼を置いた場所である」と言い、「あなた方は、彼の弟子たちとあのペトロのところに行ってこう言いなさい。かつて、主イエスが言われたとおり、イエスは、彼らよりもに、ガリラヤに行かれている。そこで、あなた方は彼にまみゆるであろうと。」
彼女たちは墓から出て逃げ去りました。身震いと正気を失ったことが、彼女たちを捉えていたからだとあります。
そして、彼女たちは誰にも、何も言わなかった。なぜなら、彼女たちは畏れさせられていたからである。
マルコ福音書オリジナルの結末はこの言葉で終わっているのです。彼女たちはまだ、主の復活について悟らず、死人の領域の中に、主イエスを探していたのです。しかし、主イエスは父なる神によって死人の中から起き上がらされ、新しい命を受けて、弟子たちとの、絶えることのない交わりに、今や、新たに生かされているのです。私たちのすべての罪を担い、アダムとエバの堕罪のあと、絶たれていた神と人間との間の罪による破れを、蛇の中に宿ったサタンを、アダムとエバの子孫、末であるマリアから生まれた神の独り子イエスが、蛇の脳天を打ち砕き、ご自分は十字架の死によって、かかとを蛇に砕かれながらも、私たち人類のために、サタンを打ち砕き、神との関係が、アダムとエバの堕罪以降、破れていたのを、十字架の死と復活によって、取り繕い、回復してくださったのです。
今「ふしぎなキリスト教」という橋爪代三郎さんと大澤真幸さんの対談を本にしたものが、反響を呼んでいます。キリスト教とユダヤ教とイスラム教の三大唯一神、1神教と仏教や神道の違いを説いています。ヨーロッパの文化の中にキリスト教が大きな影響を与えたことが、議論されています。私たちは、聖書を与えられて、それを基に信仰生活を送っている者です。私たちが、出会った主イエスと父なる神と、聖霊なる神を、改めて、信じる者とされ、神、また、その独り子イエスとの親しい交わりを、この復活祭の日から改めて与えられながら、歩んでまいりましょう。復活が畏れと尊敬の念に満たされて信じられるように祈りつつ、新しい生を喜びながら歩んで行きましょう。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。



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2012/04/08(日) 10:30:00| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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