津田沼教会 牧師のメッセージ
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「小さい者をつまずかせない」(マタイ18:1~14)
マタイ18:1-14、2005・09・18、聖霊降臨後第18主日(緑)
エレミヤ書15:15-21、ローマの信徒への手紙12:1-8

マタイによる福音書18:1~14

 そのとき、弟子たちがイエスのところに来て、「いったいだれが、天の国でいちばん偉いのでしょうか」と言った。そこで、イエスは、一人の子供を呼び寄せ、彼らの中に立たせて、言われた。「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。わたしの名のためにこのような一人の子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。」

 「しかし、わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は、大きな石臼を首に懸けられて、深い海に沈められる方がましである。世は人をつまずかせるから不幸だ。つまずきは避けられない。だが、つまずきをもたらす者は不幸である。もし片方の手か足があなたをつまずかせるなら、それを切って捨ててしまいなさい。両手両足がそろったまま永遠の火に投げ込まれるよりは、片手片足になっても命にあずかる方がよい。もし片方の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい。両方の目がそろったまま火の地獄に投げ込まれるよりは、一つの目になっても命にあずかる方がよい。」

 「これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい。言っておくが、彼らの天使たちは天でいつもわたしの天の父の御顔を仰いでいるのである。あなたがたはどう思うか。ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか。はっきり言っておくが、もし、それを見つけたら、迷わずにいた九十九匹より、その一匹のことを喜ぶだろう。そのように、これらの小さい者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない。」


説教「小さい者をつまずかせない」(マタイ18:1~14)

 聖霊降臨後第18主日となりました。本日のマタイ18:1-14は、新共同訳聖書が示しているように、三つの部分からなっています。最初は、子供について語られます。二つ目と三つ目の段落は、「小さな者」についてであります。
 先週の福音からも、また、今日の語られた言葉の前には、ペトロが、弟子の代表として名が上げられていますので、12弟子のうちでは、ペトロが一番偉いのであろうかと、彼らは考えたかもしれません。その質問に答えるかたちで、本日の主の言葉が記されているのであります。
 主イエスは、一人の子供を、彼らの真ん中に立たせて言われました。ペトロは後の伝道旅行で、パウロも記していますように、妻を伴っていることがはっきりしていますから、 ひょっとしたら、ペトロの子供であったかもしれません。「この子供のように、自分を低くする者が、天の国では一番大きい、偉いのである」と言われます。子供は、自分の限界と無力を知っています。彼らは、原罪をもって生まれてきますので、罪がないということではありませんが、自分が親や大人たちの助けなしには生きられないことを知っています。天の国においては、そのように、自分を内的に低くするものが、一番偉いのであります。主は、このような子供たちを受け入れる人は、わたしを受け入れるのであるといわれます。そしてそれは、このあと、取り上げられる「小さな者」すなわち、主イエスを、また、その父なる神を信じようとしている、主イエスの「小さな弟子たち」の現実を思い起こさせる存在でもあります。
 続いて、主は、第二段落で言います。これらの私を信じる小さい者たちのひとりをつまずかせる者は、のどの周りに大きな石臼をかけて、広い海の底に沈められるほうがましであると。
 わたしたちは、聖霊によって導かれ、ついには洗礼を受けて、主の弟子となったものであります。そして、皆さんも、どのような方も初めは「小さな」信じる者たちでしかありませんでした。本日のみ言葉は、教会の指導者たちに限らず、すべてのキリストの弟子、信者に与えられています。そして主は、あなたの片方の手、片足、あるいは、片方の眼が、罪を犯すなら、切捨て、抉り出したほうが、全身、五体をそろえて、地獄の火に投げ入れられるよりは、不自由な体となってもそれで、命へと入るほうがよいといわれます。私たちは、罪を犯す存在ですが、主は、それによって、自分自身を失い、さらにそれが、小さい者をつまずかせることになることに注意を促しておられます。このつまずきとは、神から小さい者、弱くもろい、信仰にはいって、いまだ揺れ易いままの状態の信者たちを、父なる神と主イエスへの正しい信仰からそらせ、不信仰という罪に陥らせることであります。
 さて、最後に、主は、これらの小さい者たちを、天でその父を見上げている天使たちがいるのだから、つまずかせてはいけないといわれます。すべての信者に、どのように小さい信者たちにも、守護天使がいると、主イエスは教えておられます。そして、主はご自身が自分の十字架を背負って死なれ、今も弱い小さな弟子たちを探し出そうとしておられます。迷いやすい羊である私たちを、そしてとくに小さな弟子たちを守っておられます。その主にならって、私たちも、信仰に入って長くない兄弟たち、あるいは弱さをもっている信者たちを、憐れみ深い父なる神、そして主イエスのように、保護し、共々に育てていく責任があります。わたしたちもまた、今も弱い者同士でありますが、教会につながって強め合って生きたいものであります。そのためには、主のみ言葉に常によりすがって、底から離れずに歩んでいく必要があります。こうすべきであるというのではなく、今やっていることを地道に続けていくことが大切であります。アーメン。
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2005/09/18(日) 10:30:00| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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