津田沼教会 牧師のメッセージ
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「イエスと命名される」(ルカ2:21-24)
ルカによる福音書2:21-24、2012・01・01、主の命名日(典礼色―白―聖餐式)、民数記6:22-27、ペトロの手紙二1:1-11

ルカによる福音書2:21-24
 八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である。

 さて、モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。また、主の律法に言われているとおりに、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。



説教「イエスと命名される」(ルカ2:21-24)
皆さん、新年おめでとうございます。本日は、主の命名日の礼拝であります。今回は、ちょうど1週間前の12月25日が降誕祭にあたり、それから8日目の割礼の日、そして、主がイエスと名付けられる命名日にあたっています。イエスとは、旧約聖書ではヨシュアであり、「ヤハウェは救い」あるいは「ヤハウェの救い」という意味であります。
 ルカ2:21は、彼に割礼をするべき8日どもが、満たされたとき、彼の名は、イエスと呼ばれた、名づけられた、その名は、胎において彼が妊娠させられる前に天使によって告げられた名である、と記しています。私たちは、本日、一年の初めを、主の命名日によって始めることができる幸いを味わっています。すんなりと、1月1日がクリスマスから8日目に当たる今年は、よりいっそう主の祝福を覚えることができるように、思います。
 私たちは、今では、主イエスのみ名によってと、しばしば、口にし、祈りもしばしばそのように、祈っていますが、これは、大変なことであります。
 私たちの主の名、イエスから、すべてが、新しく変わっていくのであります。ルカ2:21は、ルカ福音書記者にとって、すべてを語るその原点であります。天使によってあらかじめ、主がマリアの胎に宿る前から、示されていた名なのであります。
 その後の2:22-24は、律法に従って、ヨセフとマリアが、彼らの清めの期間のあと、すなわち、マリアの7日の汚れからの清めと33日の期間のあと、エルサレムに主に対して、イエスを聖別するために、ベツレヘムから連れて上って行くのであります。
 この子は、初子として、初めての胎を開いた男の子として、主に献身させられることになるのであります。
 それは、出エジプトのとき、主なる神がエジプトにおける人と動物とのすべての初子の命を奪ったことから、主なる神が、イスラエルに対して定めた律法であります。
 ヨセフとマリアは、比較的貧しい家庭として、律法に定められている通り、山鳩ひとつがいと家鳩のひな二羽をささげるのであります。
 主イエスは、こうして、生まれた時から、神のために、一生をささげるお方として、出発なさるのであります。
 こうして、主の命名日の出来事は、一切を新しくなさる主イエスにふさわしい出来事となっていくのであります。「ヤハウェは救い」というイエスのみ名の命名は、今年一年を始める私たちにとっても、すべての始まりであります。
 律法に従って、八日目に、割礼を施され、血をながされて、主イエスは、十字架での血を流される時までの生涯を始められたのであります。天使によって告げられた「ヤハウェは救い」というヨシュア、イエスのみ名によって、すべてを新しくされて、今年の一年を、ご一緒に、歩み始めたいと思います。そして、私たちの生涯も、主イエスがエルサレムで主に奉献されたように、主にすべてをささげて歩む一年でありたいと思います。困難も待ち受けていることでしょう。しかし、主イエスのみ名によって、困難も切り開いていくことが、約束されているのではないでしょうか。皆さんの上に主の平安がありますように。
                                   アーメン。
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2012/01/01(日) 10:30:00| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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