津田沼教会 牧師のメッセージ
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「この世に来られたまことの光」(ヨハネ1:1-14)
ヨハネによる福音書1:1-14、2011・12・25、降誕祭(典礼色―白―)、イザヤ書52:7-10、ヘブライ人への手紙1:1-9

ヨハネによる福音書1:1-14
 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。
 神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。彼は光ではなく、光について証しをするために来た。その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。
 言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。




説教「この世に来られたまことの光」(ヨハネ1:1-14)

 皆さん、主のご降誕日おめでとうございます。昨夜は、イブ礼拝で、主イエスお誕生の最初のクリスマスの出来事について耳を傾けましたが、今朝は、ヨハネ1:1-14が福音として与えられています。
 創世記は、初めに、神は、天と地とをお造りになったとしるして、いますが、ヨハネ福音書は、初めに言葉があった。言葉は神と共にあったと始まっています。子なる主イエスは、この世の創世のときから、神と人格的に向かいあって、おられた方であります。そして、すべての被造物は、人間を含めて、主イエスによっても創造されたのであります。けれども、創世記に出て来ますように、人間は、神によって、土から造られたのであり、ふさわしい伴侶として、人間アダムのあばら骨から、エバが造られたのでありますが、神によって禁じられていたエデンの園の中央にあった善悪を知るの木から、サタン、蛇によっ て誘惑されて、エバがそれを食べ、そして、アダムにも食べさせて、死すべき者になってしまったのであります。
 それからの人類の歴史が旧約聖書に書かれているのであります。しかし、時が満ちるに及んで、主イエスがお生まれになり、彼は、光であり、命であるお方でありました。
 洗礼者ヨハネが主イエスが公生涯に現れます以前に登場しますが、彼は、光そのものではなく、光について証しをする者にすぎなかったと聖書は明言するのであります。
 しかし、聖書は、この世を支配していた闇は、来られた光に打ち勝つことは出来なかった、あるいは、光を、理解することはできなかったと記しているのであります。
 光である方は、私たち、みじめな人類の間に、宿られ、住まわれました。そして、恵みは、この方において満ち溢れていたというのであります。
 降誕祭とは、主イエスが闇に打ち勝たれる光として、この世にお出でになったできごとであります。私たちは、このお方のお言葉とみわざによってのみ、光ある人生を送ることができるように、回復されたのであります。
 洗礼者ヨハネは、光を映す存在として、しばらく、この世で輝いたのでありますが、光そのものではなく、自分の後に来られるまことの光である主イエスを預言したのであります。旧約のイザヤやすべての預言者たちも、メシア・キリストなる主イエスがお出でになることを預言したものであると新約聖書の記者たちは一致しているのであります。そのように、私たちは、主イエスを、他の人において、代えることのできない、光そのもの、創造主、命そのものであるお方として、迎える、それが、降誕祭の意味であります。
 人類史上、偉大な人物は無数に現れましたが、主イエスは、それらの主として、比較することのできない、闇ぬいおいて輝き、闇を滅ぼす唯一の神そのものであります。言葉が世に来た時、世は彼を理解せず、自分の民のところに来たのに主は、排斥されました。
 それは、今でも同じではないでしょうか。私たちは、しかし、飼い葉桶に生まれ、カルバリの十字架の上で息絶え、三日後に復活し、天の父なる神のもとに帰還され、今も、聖霊を送り、み言葉、聖書を通して働きかけておられる、このお言葉そのものである方を受け入れて、悔い改め、新しい一年を来たる一年も、精一杯の歩みをしたいものであります。
アーメン。











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2011/12/25(日) 10:30:00| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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