津田沼教会 牧師のメッセージ
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「神さまのご好意」(ルカ2:1-20)
ルカ2:1-20、2011・12・24、降誕祭前夜(典礼色―白―)、イザヤ9:1-6、テトスへの手紙2:11-14

ルカによる福音書2:1-2
 そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。

 その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。「畏れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
「いと高きところには栄光、神にあれ、
 地には平和、御心に適う人にあれ。」
 天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。 



説教「神さまのご好意」(ルカ2:1-20)
クリスマス、おめでとうございます。今年は、私たちにとりまして、例年にもまして多難な年でありました。3月11日(金)に日本を襲った東日本大震災はいうまでもありません。最近においては、北朝鮮の金正日総書記の死去が伝えられまして、今後どうなるのか不安であります。このように、非常に困惑させられる状況の中で、今年もクリスマスを祝うクリスマスイブの礼拝を私たちは、守っているのであります。クリスマスと言えば、皆さん、どんな思い出をお持ちでしょうか。サンタクロースが、25日の朝には、素敵なプレゼントを残して行ってくれることを、思い浮かべる人も多いでしょう。私にとってのクリスマスの思い出は、父が山間労務者で、家にいないことが多かったためでしょうか、母と小さな町のお店屋さんに行って、クリスマスケーキを、寒い中、買ってきて、それを5人の兄弟で分けて食べる習慣だったことが、なぜか、分かりませんでしたけれども、何となく嬉しさを感じさせる思い出となっています。
それでは、最初のクリスマスがどうであったのか、ルカ福音書2:1-20を思い起こしながら、振り返ってみましょう。これは、イエスの誕生そのものについて、聖書が詳述して語っている唯一の記事であります。2:1-5節が、ローマ帝国下での人口調査について、語り、2:6-7節が、主イエスの誕生そのものを記し、2:8-20節が羊飼いたちにその知らせ、啓示が与えられたことを述べています。その順序で、おおよそのことを思い起こしてみましょう。それらの日々に成ったことには、皇帝アウグスツウスから、その全住民に、租税徴収のために、登録をするようにと、命令が出て行った。これは、クリニウスがシリアの総督であったときの最初の住民登録であると、ルカは、書き始めます。当時のユダヤの王はヘロデ大王であり、その関係もあり、歴史的には、不確かな記述でありますが、主イエスが生まれた紀元前4年よりも前から、クリニウスによって、そのような人口調査が行われていた可能性は十分あると言われています。
それで、すべての人たちは、おのおの自分の町へと進んでいたのであり、ヨセフも、ダビデの家と家系の者だったので、ガリラヤのナザレから、ユダヤのベツレヘム、パンの町という意味の町に、上った。婚約中のマリアを連れて、登録をするためでしたが、彼女は妊娠しているのでありました。ろばにでも乗せて、上って来たのでしょうか。ユダヤの国は、今の四国ほどの大きさだと聞いていますが、ナザレからベツレヘムまでは徒歩で3、4日はかかったとのことです。
ところが、マリアが、そこにいる間に、彼女が子供を産む日々が満ちて、男の子、初めての子を産み、彼女は布切れで産着としてくるみ、飼い葉桶に寝かせたのであります。聖書は、彼らには、宿屋で場所がなかったからであると伝えています。馬小屋あるいは牛舎は、簡易な宿泊場所として、即席に用意されたものであったでしょう。主イエスは、カルバリの丘で十字架に付けられましたが、生まれた時から、低い身分で、粗末な場所で産声をあげたのであります。
さて、同じ地区、羊飼いの野では、羊飼いたちが、その群れに向かって、夜の見張りの番を野宿しながら、守っていました。すると、主のみ使いがそばに立ち、主の栄光が彼らを照らしました。彼らは、大きな恐れを恐れさせられたと聖書は記しています。私たちは、津田沼のような都会に住んでいて、この時の羊飼いたちが味わったような大きな恐れを感じさせられることが、殆どなくなっているのではないでしょうか。造り主なる神への恐れを失っては、神とまともに出会うことは不可能でしょう。
天使は、「恐れるな、なぜならば、私は良い知らせを伝えるからであり、それは、今日、ダビデの町で、救い主がお生まれになった、その方こそ、メシア・キリスト、主である。これが、あなた方へのしるしである、すなわち、あなた方は飼い葉桶に産着でくるまれた赤子を見るであろう」と語りかけたのであります。そして、突然、彼と共におびただしい天の軍団、天使たちが、起こり、神をほめたたえながら、こう語って歌うのです。
「栄光が、いと高きところにおいて、神に。地上では、平和が、神さまのご好意を受ける人間どもにおいて」と。罪深い人間と聖なる神は、疎遠になっていましたが、この日、神がご好意によって人間たちにおいて、平和を、救いの手を差し伸べてくれたのであります。それは、ローマによる支配の平和、外面的ではかない平和ではなく、私たちに真の平安、喜びを神がもたらされる平和です。
 天使たちが天へと去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムまで行こうではないか、そして、それらの語られた出来事を見ようではないか」と急いで出て行って、そのマリアやそのヨセフや、その飼い葉桶における赤子を探し当てたのであります。それを見て、彼らが、自分たちに語られた出来事、あるいは、言葉を知らせると、そこにいた者は皆、ただただ驚いたのですが、マリアは、それらの語られたことどもを、あれこれと熟考しながら、心に蓄えていたのでした。羊飼いたちは、彼らにしゃべられたとおりに、聞いた、また、見たすべてのことどものうえに、神に対して栄光を帰し、ほめたたえながら、引き返したと、本日の記事は終わっているのであります。
 神さまは、その独り子を、このようにつつましく、粗末な馬小屋で生まれさせ、また、その出来事を、見捨てられた民でもあった、戸外で寝ずの番をしていた羊飼いたちに、最初に知らせました。今日、私たちは、困窮している日本の中で、また、世界の中で、2000年前の最初のクリスマスを覚えて、大きな喜びを与えられています。どのような困窮の中においても、主のご降誕の喜びは、神のご好意の人間どもに、自分の功績によって生きるのではなく、神の喜びである罪深いと痛感させられている私たちに与えられているのです。
 新しい年、2012年も、この飼い葉桶に、布切れを産着としてくるまれた赤子の主イエスが、十字架に向かいつつ、歩まれ、私たちの罪、神との破れを繕ってくださるみ子イエスに全幅の信頼を寄せて歩んでいきましょう。アーメン。
 



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2011/12/24(土) 19:00:00| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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