津田沼教会 牧師のメッセージ
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「イエスをだれと言うか」(マタイ16:13~20)
マタイ16:13-20、2005・09・11、聖霊降臨後第17主日、
出エジプト6:2-8、ローマ12:1-8

マタイ福音書16:13~20
 イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。すると、イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」それから、イエスは、御自分がメシアであることをだれにも話さないように、弟子たちに命じられた。

説教「イエスをだれだと言うか」(マタイ16:13-20)

聖霊降臨後第17主日を迎えました。本日は、マタイの16:13-20が福音として与えられています。これは、フィリポ・カイザリア地方にやってきたときに、主イエスが弟子たちと交わしたやり取りから生まれたものであります。
主は、異教の地、フィリポ・カイザリア、すなわちパンの神という豊穣の神の崇拝が盛んであった地に来て、弟子たちに聞きます。「人々は何者だと人の子のことを言っているか」。弟子たちは答えました、「ある者たちは、洗礼者ヨハネだと、別の者たちは、エリヤだと、また別の者たちはエレミヤだと、あるいは預言者のひとりだと言っています」と。いずれも、偉大な預言者であります。人々は、主イエスを、そのような預言者のひとりとして一般に世に主がお現れになったその当時には考えていたのであります。
そのような一般の人々の考えに対して、主は再び聞きます。「ではあなたがたは、わたしをだれと言うのか?」このとき、ペテロが、「あなたこそ、メシア、生ける神の子です」と答えるのであります。しかしこの直後にも、ペトロは主のやがて来るご受難の運命を聞かされたとき、そんなことがあってはなりませんと答え、それに対して主によって、「サタンよ、引き下がれ、あなたは神のことを思わず、人のことを考えている」とまで叱責されるのでありますが、ここでは、主によって、非常にほめられているのであります。
「そのことをあなたに言わしたのは、肉と血すなわち、限りあるものである人間がそうさせた、そうすることができたのではなく、天におられる父があなたにそのことを啓示されたからである」と。そして主は言われます。バルヨナ・シモン、私はあなたをペトロ(岩)と呼ぶ。そしてその岩の上に私の教会を建てよう。陰府(よみ)の門どもも、それに打ち克つことはできない」、と。この時、ペトロは、ちょうど、アブラムがアブラハムとなり、神の約束によって、世界のすべての民の祝福の源になったように、新しい民、新しいイスラエルという共同体、ダビデ王の末裔から起こると考えられていた新しいメシアによって、選ばれて、この共同体、すなわち興されて行く教会のために大きな使命を、主イエスによって与えられたのであります。死の力も、これに勝利することはできないと主は約束されたのであります。そして、「あなたが地上で縛ることは天においても縛られてあるだろう、あなたが地上でとくことは、天でも解かれるであろう」と、主によって言われ、「あなたに天の国の鍵を授けよう」と約束されたのであります。
わたしたちは、日本の社会で、このとき以来ペトロに約束された使命を、小さいながらも受け継ぐものであります。教会は、終末のときまで、生と死を超えて、罪を赦し、あるいは逆に罪をとどめたりすることなど「縛り、かつ、解く権能」を与えられているのであります。
 私たちの生きている現代の世界も、当時のフィリポ・カイザリアに似て、多くの神々や無神論、あるいは人間の理性でどうにでもなるといった人間中心の生き方が世界中に広がっている世界・社会であります。しかし、わたしたちは、神の側から遣わされた主イエスこそ、旧約聖書においてダビデ以降待たれてきた、王的メシアであり、私たちの罪のために十字架におつきになる生ける神の子であると、少数者ながらもすべての人々に証する生活を求められているのであります。それに反する多くの闇が、今なお私たちの生活の周りを覆っています。しかし、主イエスこそ、人となった神であります。それ以外には私たちの罪を解決する道は与えられていないのであります。多くの誘惑や困難にいつ負かされるとも限らない弱い私たちであります。しかし、日ごとに悔い改め、み言葉に立ち返り「主イエス、あなたこそ、メシア、油注がれた待たれた方、救い主です」とペトロと共に答えるしっかりした信仰に私たちも生かされたいものであります。
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安があなたがたの心と思いとをキリスト・イエスにあって守るように。アーメン。
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2005/09/11(日) 10:30:00| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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