津田沼教会 牧師のメッセージ
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「いと小さき者に仕える」(マタイ25:31-46)
マタイ25:31-46、2011・11・20、聖霊降臨後最終主日(典礼色―緑―)、エゼキエル書34:11-16、23-24、テサロニケの信徒への手紙一5:1-11

マタイによる福音書25:31-46
 「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く。そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』
 それから、王は左側にいる人たちにも言う。『呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせず、のどが渇いていたときに飲ませず、旅をしていた時に宿を貸さず、裸のときに着せず、病気のとき、牢にいたときに、訪ねてくれなかったからだ。』すると、彼らも答える。『主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えたり、渇いたり、旅をしたり、裸であったり、病気であったり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか。』そこで、王は答える。『はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。』こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかるのである。」



説教「いと小さき者に仕える」(マタイ25:31-46)

本日で教会暦の最終主日を迎えます。先週は、25章1節から13節の「10人のおとめの譬え」でありましたが、本日は同じ25章の31節から46節の主がご受難に遭う前に、弟子たちに語られた譬えといいましょうか、世界審判についての説教であります。今、この時は、終末を覚える時が与えられているのであります。私たちの身の回りの出来事としましても、喪中に付き、新年のご挨拶は控えさせていただきますというハガキが届く季節となりました。一昨日のことでありますが、私も驚かされるハガキを受け取ったのであります。 
それは、高校の2年、3年を担任してもらった恩師が今年の3月に亡くなられていたという奥様からのハガキでありました。まだ67歳という、私と11歳しか違わない先生が逝去されていたのであります。2、3年前になりますか、関東在住の同窓会にも上京来ていただき、そのついでに、津田沼教会の礼拝にも出席してもらった先生でした。
人間の寿命というものは、神さまによって決められているものなのでしょう。私たちは、常に死と生と裏腹に、隣り合わせに生きているものだとつくづく思わされます。さて、本日の福音は、主が、ご自分の再臨について語られているみ言葉であります。人の子が栄光において、みつかいたちと共に来るとき、彼は王座に座る。そして、羊飼いが羊と山羊を分けるように、すべての民をその右と左に分けると言われるのであります。世界中のすべての民族、人々が、左右に分けられるのであります。そして、王は、右手の者たちに、世界の創設のときから、備えられていたみ国を、祝福された者たちよ、受けなさいと言うのであります。
なぜならば、あなた方は、私が、飢えたとき食べさせ、渇いていたときに飲ませ、裸であったときに着せ、よそ者であったときに、集まってくれ、牢に入れられていたときにやって来てくれ、病気のときに見舞ってくれたからだというのです。右側の者たちは、キリストにした事に気づかないのであります。主よ、いつ、あなたが飢え、渇き、裸であり、よそ者であり、牢に入れられ、病気のときに、そんなことをしましたかと言うのです。
それに対して王は、これらのいと小さき兄弟の一人にしてくれたのは私にしてくれたことなのだと言うのです。そして、左側の者たちに王は言います。のろわれた者たち、悪魔とその使いたちに用意されている永遠の火へと入れ。
あなた方は、私が、飢え渇いていたときに、裸であり、牢に入れられ、病気であったときに世話してくれなかったからだと言うと、彼らは、いつ、私たちは、あなたが、そんなときに世話しなかったでしょうと問います。王は、これらのいと小さき者たちにしてくれなかったのは、私にしてくれなかったのであると言われるのであります。
私たちは、日ごとの、日常の生活の中でやったことで、終わりの日に人の子、キリストの右に付くか、左に付くかが決まると言われます。
毎日のささやかな生活の中で、み言葉を聞いて行う者にならせていただきたいものであります。この1週間も、なすべきことを先延ばしにして、み前に罪を犯してきましたが、健康を与えられ、規則正しい生活をして、本日の右側の人々の場所に置いていただけるものとなりたいと思います。若くして亡くなった恩師の分まで、精一杯の生涯を送りたいと一念発起したいと思っているところであります。
人知では到底測り知ることのできない神の平安が、キリスト・イエスにあって、あなたがたを守るように。アーメン。
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2011/11/20(日) 10:30:00| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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