津田沼教会 牧師のメッセージ
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「主イエスの約束」(ヨハネ16:25-33)
ヨハネ16:25-33、2011・11・06、全聖徒主日(典礼色―白―)、ヨハ書2:1-10、コリントの信徒への手紙一15:50-58

ヨハネによる福音書16:25-33
 「わたしはこれらのことを、たとえを用いて話してきた。もはやたとえによらず、はっきり父について知らせる時が来る。その日には、あなたがたはわたしの名によって願うことになる。わたしがあなたがたのために父に願ってあげる、とは言わない。父御自身が、あなたがたを愛しておられるのである。あなたがたが、わたしを愛し、わたしが神のもとから出て来たことを信じたからである。わたしは父のもとから出て、世に来たが、今、世を去って、父のもとに行く。」弟子たちは言った。「今は、はっきりとお話しになり、少しもたとえを用いられません。あなたが何でもご存知で、だれもお尋ねする必要のないことが、今、分かりました。これによって、あなたが神のもとから来られたと、わたしたちは信じます。」イエスはお答えになった。「今ようやく、信じるようになったのか。だが、あなたがたが散らされて自分の家に帰ってしまい、わたしをひとりきりにする時が来る。いや、既に来ている。しかし、わたしはひとりではない。父が、共にいてくださるからだ。これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」




説教「主イエスの約束」(ヨハネ16:25-33)

 本日は11月1日に近い日曜日として、全聖徒主日として守られます。カトリック教会では諸聖人の日、死者の日がそれぞれ続けて別の日に、11月1日、11月2日と記念されますが、私たち、プロテスタント教会、ルーテル教会では、全聖徒の日として、11月1日にまとめて、記念されます。
ところで、「聖徒」とは、必ずしもいわゆる聖人を意味しません。自分の弱さを知り、自分が罪深いことを知らされて、信仰のみ、恵みのみ、聖書のみによって救われることを、悟って、人生の歩みを、救い主イエスにゆだねたすべての人が聖徒であります。
 本日は、この教会につながる多くの方の遺影が飾られています。中には、主イエスを自分の唯一の救い主と告白するまでには至らなかった信徒の方の親や、伴侶や兄弟姉妹もおられます。また、信仰を持ち、洗礼にも与っても、最後まで順調に信仰生活を送ることができなかった方もおられることでしょう。「人は生きてきたように、死んでいくものである」とアメリカの有名な死生学者、シュナイドマン博士は言っていますが、神は憐れみ深い方であるので、私たちは、ここに飾られている遺影の先輩方は、等しく、神の国に入れられていると信じるものであります。
 この天国に先に行かれた方々を記念すると共に、私たちは、自分の残された人生を、それが、限りあるものであることを、覚え、生と死について、本日は、しばらくご一緒に考えてみたいと思います。
 本日与えられている福音は、ヨハネ福音書16:25-33であります。これは、14章から16章にかけての、あるいは、13章から17章にかけての主イエスが弟子たちと地上で別れることになる十字架の死の前に、主が弟子たちに語りかけられた、最後の告別説教、告別講話とも言うべき部分であります。ヨハネによる福音書は、紀元後90年から紀元後100年頃に書かれたと考えられています。ですから、他のより早く書かれた、マタイ、マルコ、ルカの福音書、共観福音書よりも、数十年後に書かれたものであり、それらとは、別の視点から、本日の主イエスの言葉、あるいは、弟子たちの言葉が記されているのであります。
 主は、言われました、「私は、これらのことを、たとえ、直訳すると『暗い言葉』で表明してきた。しかし、はっきりと、すなわち、『率直に』、『公然と』表明する時が来る、否、その時が来ている」と。
これは、同じ「たとえ」でも、共観福音書の譬え、パラボレーとは違う言葉が用いられています。主イエスのこれまで語られてきた言葉は、主イエスの十字架と高挙の後に、復活と聖霊がくだって、理解できた言葉でありました。
 しかし、告別説教の最後で、主は、本日の言葉を残されているのであります。「あなた方は、その日には、父に対して、私に要求することはないであろう。なぜなら、あなた方は、私を愛し、私が父から出てきたことを信じゆだねたからである。あなた方は、私の名において、父に要求しなさい。父なる神は、私が父から出てきたことを、あなた方が信じゆだねたので、あなた方を愛しているからである」と言われるのであります。
 弟子たちは、主に「あなたは、もはや、暗い言葉は何ら語られず、率直に語られます。それで、私たちは、あなたは何でもご存知で、だれもあなたに質問する必要がないことを知っています」と答えます。主イエスは超自然的な知識を持っておられる方であることを弟子たちは知ったのであります。
 主イエスは、「時が来る、否、既に来ている。あなた方が、追い散らされて、おのおの自分の家に帰り、私を後に残す時が来る。そしてしかも、私は独りではない。父なる神が私と共にいてくださる。私が、こう言うのは、あなた方が、私において平和を持つためである。この世界では、あなたがたは艱難を持つ。しかし、あなた方は元気を出しなさい。私は、既に、この世界に打ち勝っている」と最後に言われているのであります。
 この世界を、この世の君、サタンが覆っているのであります。しかし、既に、主はここで、私は、この世界に打ち勝っていると言われるのであります。主イエスの十字架と高挙によって、主は、神の栄光を表わしました。ヨハネ福音書記者にとって、十字架は、敗北ではなく、神の栄光を表わすものであったのです。
 他の福音書では、十字架の主は「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか」と敗北に見えるような言葉を主は口にされますが、ヨハネ福音書では、十字架は、勝利であり、復活、高挙、聖霊とともに、神の栄光を表わすものなのであります。
 私たちは、この世での艱難を経験した信仰の先達たちとともに本日礼拝を守っています。
私たちは、聖徒たちと同様に、この世では、試練、悩みに弱り果て、力尽きる体験をします。しかし、私たちの出会うすべての苦難を、主が先に味わって下さり、勝利して下さいました。本日私たちは、この後、聖餐式を持ちますが、これは、先に天国へ帰られた方々とともにする祝宴の先取りであります。私たちは、しばしば、倒れ、敗北するように思われる体験をしますが、主イエスはそれらを、先にすべて経験してくださいました。それを信じて、先に天に帰られたすべての聖徒たちを、思い起こしながら、私たちの新たな歩みをここから、始めていきましょう。

 人知では到底測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとをキリスト・イエスにあって守るように。



ご案内
① 11月20日(日)午前10時半~11時45分、主日礼拝において、子供祝福式
保護者の同伴を歓迎します。7歳、5歳、3歳に限りません。
② 12月10日(土)午後3時開演~4時、奥貫亜矢子、メゾソプラノ、クリスマスコンサート
一般券1000円、学生券500円(小・中・高校生)、*幼児は無料です。
③ 12月17日(土)午後3時~5時、教会学校クリスマス会
保護者同伴を歓迎します!クリスマス会の中で礼拝があります。献金をお持たせ下さい。
④ 12月18日(日)午後2時開演、オカリナコンサート、オカリナ 原嶋かおり ピアノ 渡辺めぐみ 入場無料ですが、自由献金をお願いします。
⑤ 12月24日(土)午後7時~8時、クリスマスイブ燭火礼拝
  ろうそくの光でクリスマスを!
⑥ 12月25日(日)午前10時半~12時、クリスマス主日礼拝
礼拝後、楽しい祝会があります。

教会学校のご案内
  教会学校は一年中、日曜日52回、午前9時半から10時15分まで開かれています。
礼拝の中で献金があります。献金は教会学校の運営のため、また、神の国建設のために用いられます。いくらかでもお持たせください。保護者の同伴も歓迎します。


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2011/11/06(日) 10:30:01| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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