津田沼教会 牧師のメッセージ
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「主イエスの公活動の第一歩」(ヨハネ2:13-22)
ヨハネ2:13-22、2011・10・30、宗教改革主日(典礼色―赤―)、列王記下22:8-20、ガラテヤの信徒への手紙5」1-16

ヨハネによる福音書2:13-22
 ユダヤ人の過越祭が近づいたので、イエスはエルサレムへ上って行かれた。そして、神殿の境内で牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちを御覧になった。イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、鳩を売る者たちに言われた。「このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」弟子たちは、「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」と書いてあるのを思い出した。ユダヤ人たちはイエスに、「あなたは、こんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちに見せるつもりか」と言った。イエスは答えて言われた。「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」それでユダヤ人たちは、「この神殿は建てるのに四十六年もかかったのに、あなたは三日で建て直すのか」と言った。イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである。イエスが死者の中から復活されたとき、弟子たちは、イエスがこう言われたのを思い出し、聖書とイエスの語られた言葉とを信じた。



説教「主イエスの公活動の第一歩」(ヨハネ2:13-22)

本日は、宗教改革主日で、ヨハネ福音書2章の13節から22節までが与えられています。美しい物語であるカナの婚宴のあとの出来事で、主イエスは、過ぎ越し祭にエルサレムへと上っていかれました。
主は、牛や羊や鳩を犠牲として売っている人や、腰掛けている両替人たちを見出します。そして、ロープで鞭を作り、牛や羊を追い出し、売っていた人々を追い出し、そして、両替人の机から、小銭を撒き散らして、鳩を売る者たちに言われます。「私の父の家をマーケットの家にしてはならない」と。
旧約聖書のみ言葉でも何回か「私の家は祈りの家でなければならない」と出てきます。弟子たちは、これを見て「あなたへの熱心が私を食い尽くすであろう」という詩編の言葉を思い起こしていました。
一方、ユダヤ人たちは、これらのことをするからには、どんなしるしをあなたは見せるのかと問います。主は、この神殿を壊してみよ、私は三日間でそれを起こすであろうと言われました。
ユダヤ人たちは、答えて、この神殿は46年もかかって建てられたのに、あなたは三日で起こすのかと反問するのであります。それは、主イエスのからだという神殿を指して主は言われていたのであります。主が十字架の栄光にあげられ、三日後に復活することを指していたのであります。
弟子たちは、その言葉を主が復活された後、思い起こして、聖書と主イエスの言葉を信じたというのであります。主イエスがお出でになられたことを通して、霊と真理をもって、まことの礼拝をするときが来ると主は言われていましたが、公活動を始めるに当たっての第一歩として、主はこのように、エルサレム神殿を清められたのであります。
ユダヤ人たちには、このことは理解できず、十字架に主がかかった時にも、神殿を三日で建て直すという者よ、十字架からおりてこいとユダヤ人たちはあざ笑ったのでありますが、主は十字架の死と三日後の、ご自分のからだをもっての復活によって、救いは成就されるのであります。共観福音書においてと異なって、ヨハネによる福音書では、公活動の第一歩として、エルサレム神殿の清めが記されているのであります。
さて、本日は、宗教改革主日であります。マルチン・ルターは、1517年10月31日に、全聖徒の日の前日に、ヴィッテンベルクの城教会に95か条の提題を貼り付けました。そこには、免罪符、贖宥券とも言いますが、それによって、先祖が救われたりすることはないとして、当時のローマ・カトリック教会に対して、真っ向から戦うことになります。
ルターは、修行僧として、あらゆる修道に努めましたが、救いが見出されず、神は恐ろしい裁きの神であり、自分の力で救われることはできないでいました。それが、聖書を深く洞察する中で、ローマ1:17の「正しい者は信仰によって生きる」というみ言葉にぶつかり、信仰のみによって救われる、恵みのみによって救われる、聖書のみによって救われるということを発見したのであります。
私たちの教会は、その伝統に従って、世界中に宣教をしています。私たちは、およそ500年前のそのルターの信仰に立って宣教している教会の群れであります。私たちは、その信仰なしには生きていけないことを、自覚させられています。
生涯を、罪人にして同時に義人として、しかも、目を覚まして生活するように教えられているプロテスタントの、否、カトリックも含めての教会の群れであります。日々、悔い改めの連続ですが、洗礼と聖餐に与り、力強く歩んでいきましょう。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなた方の思いと心とを、キリスト・イエスによって守るように。





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2011/10/30(日) 10:30:01| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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