津田沼教会 牧師のメッセージ
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「大きな信仰」(マタイ15:21-28)
マタイ15:21-28、2011・09・04、イザヤ書56:1-8、ローマの信徒への手紙11:25-36、聖霊降臨後第12主日(典礼色―緑―聖餐式)

マタイによる福音書15:21-28
 イエスはそこをたち、ティルスとシドンの地方に行かれた。すると、この地に生まれたカナンの女が出て来て、「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。娘が悪霊にひどく苦しめられています」と叫んだ。しかし、イエスは何もお答えにならなかった。そこで、弟子たちが近寄って来て願った。「この女を追い払ってください。叫びながらついて来ますので。」イエスは、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」とお答えになった。しかし、女は来て、イエスの前にひれ伏し、「主よ、どうかお助けください」と言った。イエスが、「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」とお答えになると、女は言った。「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」そこで、イエスはお答えになった。「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」そのとき、娘の病気はいやされた。




説教「大きな信仰」(マタイ15:21-28)
 
先週は、マタイ14:22-33、イエスの水上歩行、また、ペトロの水上歩行の記事が福音として与えられていました。ペトロが、風を見て、恐ろしくなり、沈みかけた時、主は「信仰のほとんどない者よ、何へとあなたは疑ったのか」と戒められました。
次週は、マタイ16:13-20で、ペトロの信仰告白の出来事が、福音として与えられています。ペトロは、主イエスを、あなたは、メシア、生ける神の子ですと、自分の救い主であること、主であることを信仰告白するのであります。
 その間にあって、本日はマタイ15:21-28が与えられています。この部分も、マルコ7:24-30が下敷きとなって、構成されたものであります。この部分を、マルコと対比しながら、もう一度、思い起こしてみましょう。そして、彼、主イエスはそこから出て、ティロスとシドンの地域へと、退かれたと始まっています。ティロスとシドンは、地中海に面したフェニキアの町で、しばしば共に出て来ます。ゲネサレトの地から、50キロないし80キロほど北北西に位置します。
 そして、すると、見よ、カナンの女が、その地方から出て来て、こう言いながら、大声をあげていたのであります。「主よ、ダビデの子よ、私を憐れんで下さい。私の娘が、ひどく、悪霊にとりつかれています」と。娘は今で言う心の病であったのかもしれません。さて、しかし、主は、言葉をお答えにならなかったのであります。主イエスは、いつもの憐れみ深い様子とはひどく異なるのであります。
 で、彼の弟子たちが、近づいて後、彼にこう言って懇願していたのであります。「彼女を去らせてください、なぜならば、私たちの後に、大声をあげていますから。」
 マタイは、ひょっとしたら、このティロスとシドン辺りで、この福音書を書いたのかもしれません。そして、その当時、マタイの教会は、ユダヤ人キリスト者と、異邦人キリスト者から、成っていました。不平を言うこの弟子たちは、ユダヤ人キリスト者を表わし、カナンの女は、異邦人キリスト者を表わしていたとも考えることができるでしょう。
 主イエスは、ようやく答えて言われました。「私は、イスラエルの家の失われた羊どもへと以外には、遣わされなかった」と。主は、先にも、「サマリア人の町へと行くな。イスラエルの家の失われた羊どもへと行きなさい」(10:6)と言われていました。イスラエルの民は、さ迷える羊として、主イエスの時代、失われていたのであります。
 で、女は、「主よ、私を助けてください」とひれ伏したまま、彼に語るのであります。主は、答えて言われます。「子供たちのパンを取って、小犬に投げてやるのは、有用ではない」と。ここでの子供たちは、イスラエルの民であり、小犬たちは、異邦人たちであり、救いに与るのには、順位があるのであります。
 で、彼女はこう言ったのであります。「はい、主よ、そして、なぜならば、小犬たちも、彼らの主人の食卓から落ちるパン屑を食べるのです」と。カナンの女は、主イエスをイスラエルのメシアとして信じる信仰を持ったわけではないでしょう。彼女は、異邦人として、自分は即座の助けへの権利を持たず、イスラエル人たちの次の場所を取る準備があることを、謙虚に認める忍耐強い信仰を持ち、それが、主イエスへの彼女の要求を勝ち取ることへと導いたのであります。
その時、主は、答えて、彼女に言われます。「おお、あなたの信仰は大きいなあ。あなたの願う通りにあなたに成るように。」その時から、彼女の娘は癒されたのであります。
 本日の福音も、信仰をテーマに扱っています。女は、イスラエルが、先であり、自分は順位が次であることを、主とのやり取りの中で認め、受けとめたのであります。そして、その謙遜な忍耐強い信仰を、主は見て、彼女の要求を満たされるのであります。
 そして、私たち、現在の日本のキリスト者たちもまた、この女の信仰に立つ者なのであります。謙遜な忍耐強い信仰を、主は「あなたの信仰は大きいなあ。あなたの願う通りに、あなたに成るように」と今もなお、主は、私たちをほめ、励まし、力づけてくださるのであります。
 ユダヤ人たちから、見れば、不浄であった異邦人も、この信仰によって、主イエスのパンに与ることができるのであります。そして、神のご好意は、ユダヤ人から始めて、すべての異邦人に及ぶのであります。
本日は聖餐式があります。罪の赦しのために、主イエス・キリストの与えて下さった体とその尊い血に、共に、身を低くして与り、新しい生涯へとここから、歩んでいきたいものです。
祈ります。
天の父なる神さま。本日は、カナンの女の謙遜で忍耐強い信仰を垣間見ることができました。私たちもまた、何の功もなく、あなたへの信仰に迎え入れられましたことを感謝します。どうか、私たちが、この信仰から離れず、信仰にまだ入っていない人たちをも、導くことができますように。現実には、信仰から離れやすい弱き器ですが、共にみ前に集まり、聖餐に与って、永遠の命に生きる者として下さい。キリストのみ名によって。アーメン。

平和と信仰を伴う愛が、父である神と主イエス・キリストから、兄弟たちにあるように。








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2011/09/04(日) 10:30:00| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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