津田沼教会 牧師のメッセージ
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「主イエスの招き」(マタイ11:25-30)
マタイ11:25-30、2011・07・24、イザヤ書40:26-31、ローマの信徒への手紙7:1525、聖霊降臨後第6主日(典礼色―緑―)

マタイによる福音書11:25-30
 そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。そうです、父よ、これは御心に適うことでした。すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません。疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしのくびきを負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」






説教「主イエスの招き」(マタイ11:25-30)

本日、聖霊降臨後第6主日に与えられました福音は、マタイ11:25-30であります。毎週私たちは、福音を聞き、福音から慰めを与えられることは、大きな喜びであります。旧約聖書や使徒書も一緒に読まれますけれども、これらは、ご自分で聖書を通読して読んでいかれることを、お勧めします。ある方は、毎日3時間くらい、聖書に没頭していると言われましたが、何とか工夫してそのような週間を身につけたいものであります。
さて、主は、ある時、悔い改めなかったガリラヤの町々を非難されますけれども、この時(カイロス)に、声を上げ、応えて、言われるのであります。天の主である父よ、あなたをほめたたえます、あるいは、告白しますとも訳せます。これらのことどもを、知恵あるものや、知的なものに隠して、幼児たちのようなものに、啓示なさいましたと。不思議なことですが、幼児たちも、主イエスについてよく話せば、天の父の啓示を悟ることができるのであります。それは、教会付属の幼稚園があるような場所で、働くと実感することができます。私も、小さな、20人ほどから始まって30人位にまで保持できるようになった水俣教会付属の学校法人の幼稚園に関わりまして、つくづくとそう思わされたことでした。
ここでは、幼児とは、主イエスの小さな弟子たちをも意味しているでありましょう。主は、更に、答えて、言われます。息子、子を知る者は、父以外になく、父を知る者は、息子と、息子が啓示を受けるのを望むものだけであると。キリストのみが、父を知り、啓示をあらわすことができるのであります。主は、そうです、このようにして、ご好意はあなたの前に成りましたと感謝の祈りをささげておられるのであります。
そして、マタイにしかない11:28-30が加えられています。これは、シラ書などの旧約知恵文学に出てくる思想であります。すべての者、疲れている者や重荷を負っている者たちは、私に向かってくるが良い。そうすれば、私があなた方を休ませてあげよう。そして、言われます。私のくびきを持ち上げ、共に負いなさい。そして、私から学びなさい。私は、柔和で低い者だからである。そうすれば、あなた方の魂でもって、休みを見出すであろうと言われるのです。なぜなら、私のくびきは負いやすく、軽いからであると、主は言われます。
私たちの信仰は長い時間、いろいろな試練や、病気と闘ったり、信仰の初歩の段階から始まって、少しずつ、主によって、学ばされていきます。ノンクリスチャンであった私は、始めは、主イエスが分からなかった。主イエスでなくても、真理を求めていけば自由が与えられていくと信じていました。それが、病や試練を経て、主イエス以外に自分に休み、安らぎを与えてくださる方は他にだれもいないことを、知らされていったのであります。そして、牧師を目指し、神学校に行き、教会とは、キリストの体であることを知らされ、入学試験当時は、教会とは愛の組織であると思いますなどと答弁していましたが、聖書は、長い神学校生活を通して、教会で読まれる書物であることを知らされていったのであります。
まだ、分からないことが一杯ありますが、信仰の長い旅の後に、さらに、主イエスというお方が私にとって、真のくびきであり、主と共に、車を引く務めを、果たして行かなければならないことを知るでしょう。そのためには、教会に来ることが大切であります。そして、人々をも、それぞれの負わされている課題を共に担ってくださる主イエスの招きへと導いていかなければなりません。与えられている人たちとの出会いを通して、すべて、疲れている人、重荷を負っている者として、本日の主イエスのみ言葉へと証しを立てていくようになりたいものであります。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなた方の心と思いとをキリスト・イエスにあって守るように。









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2011/07/24(日) 10:30:00| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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