津田沼教会 牧師のメッセージ
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「共に生きる」(マタイ25:40)市川一宏学長
マタイ25:40、2011・07・10、聖霊降臨後第4主日(典礼色―緑―)

マタイ25:40
 「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」
 

説教「共に生きる」(マタイ25:40)市川一宏先生(ルーテル学院大学長)

 本日、津田沼教会にお招き頂き、講壇奉仕をする光栄を心より感謝いたします。また、先週は賀来先生がお話しなさったとのこと。賀来先生のお話を、様々な方からお聞きして、そのことを後悔しました。なぜなら、先生とは私にとって、数段上の方。及ぶはずがない。でも、気をとりなおして、精一杯お話をさせて頂きたいと思います。

 6月6日、私たち家族は母を天に送りました。
 母の人生は、激動の時を生き抜いた人生であったと思います。母は、瀬戸市で有力なタイル工場の娘として生まれ、何不自由のない生活をしていました。また新宿区四谷に山広タイル店を創業し、母の経営手腕と祖父母の財力により、何十人もの従業員が働く大きな店となりました。お手伝いさんも複数おり、子どもたちの面倒を見てくれていました。
 しかし、経済の変動は容赦なく経営に影響を与え、昭和40年代初頭に連鎖倒産をし、再建した丸三タイルは、約20年を経た後、再度倒産し、資産をすべて失いました。その後、伊豆北側のホテルで、父は夜警の仕事を、母はまかないの仕事をこなし、2人しては働きました。今までの生活は一変しましたが、それは、二人の新しい人生への出発であったと思っています。目に見える贅沢な生活ではなく、ささやかながら、心の絆を大切にして二人で助け合う、心温まる生活を再建したと思っています。
 しかし、1998年に父は脳の病気にかかり、1999年12月、脳梗塞により、意識を失いました。手術をしなければ、数日でなくなるが、手術をすれば20%生存が可能となる。しかし、重大な障害は残ると思うがとの問いかけに、母は迷わず手術を選択しました。そして、1999年12月31日、父と母は、修繕寺にある順天堂大学付属病院で、ICUにおいて、東京から来られた大宮牧師により洗礼を受け、神を知る者となりました。すべてが、備えられた道であったと思います。
 
 今日、レンブラントが描いた絵を表紙にした、『放蕩息子の帰郷』というヘンリ・ナウエンの著書を片岡伸光牧師が翻訳した本を持参しました。
 片岡先生のことを調べてみると、ルーテル学院に身近な方だと知りました。キリスト者学生の交わりを目的とするキリスト者学生会の主事であった時に、神戸ルーテル神学校で学ばれました。また信徒の方の家を使い、西日本福音ルーテル伊丹教会の礎を築かれました。その後、シンガポール日本語キリスト教会(SJCF)の牧師に転任なされました。

 片岡先生が訳された本の中で、ナウエンは、明快に、そして自分に照らし合わせて丁寧に、放蕩息子の譬えを説いています。
 確かに、放蕩息子の行いは、きわめて傲慢な、そして身勝手なものでした。父の財産を、当然のように父が生きている時に分けてもらい、それも父から独立したいがために、できるだけ離れた場で、自由を謳歌したのです。贅沢な品々を買い、名誉や地位もお金で手に入れ、そして誰からも注目されようとして、ひたすらお金をばらまいたと思います。
 とくにナウエンは、放蕩息子の行いを、現代社会にあてはめます。「あなたは、わたしを愛していますか?本当にわたしを愛していますか?」と問い続けるかぎり、自らをこの世の捕らわれの身にする。なぜならこの世界は、「もし・・・なら」という条件をつけるから。
 「もちろん愛しますよ」もし、あなたが美しい姿なら、お金持ちなら、良い支援者がいるなら、名誉があるなら等々、際限がありません。
 しかし、それらの条件をすべて満足させることはできないのです。この世の条件付きの愛に、本当の自分を探し求めているかぎり、この世に「捕らえられた」ままだとナウエンは言います(ナウエン『放蕩息子の帰郷』p.57)

 当然、そのようなお金には限界があります。放蕩息子は、自分の財産を使い果たし、貧困のどん底に落とされました。それだけでなく、さらに災害が追い打ちをかけたのでした。パレスチナの至るところに生育しており、実は豚の飼料、また貧しい人の食物であるいなご豆を食べて空腹をまぎらわしました。放蕩息子は、希望と絶望の対角線に置かれたのでした。

 ナウエンはさらに放蕩息子の姿を浮かび上がらせます。神が住んでおられるところから遠く逃げれば逃げるほど、「あなたを愛している」と呼びかける声は聞こえなくなり、ますますこの世俗の世界に翻弄され、そのパワーゲームに巻き込まれてしまう。そうなると、自分のための安全な家があることに確信を持てなくなる。そして、自分が回りの犠牲にさせられたように感じ、他人の行動や言葉が信頼できなくなる。自分が抱く不信感の正しさを裏づけようと、責任転嫁をし始める。(p.63・64)と、ナウエンは鋭く指摘します。そして、自分自身が放蕩息子であることを、自覚するのです。

 しかし、放蕩息子は、「我にかえって」、本当に大切なものが、心の拠り所が、自分の身近にあったことに気づくのです。まぶしい光の中にあると、人は、その光に目を奪われます。しかし、苦しみの中にあって、初めて気づく。ぼろぼろになり、ただひたすら父にしがみつく。レンブラントの絵を見ると、困難な旅をして父のもとにたどり着いた放蕩息子の靴には、底はなく、素足が見えている。着ている物はぼろぼろです。

 その息子を父は受け止めてくれる。放蕩息子が富を手にしていた時にはわからない本当のものを見つけた時、自身が本当の輝きを放つのです。辛い時に本当のものが見え、明日が開かれてくる。まさにこれは逆転の発想です。

 この本に関わる3人に共通点があります。
 著者のナウエンは、カトリック司祭として、また神学者としての日々の葛藤の中で、放蕩息子の確信にたどり着きました。またレンブラントは、対照的な2つの絵を描いています。「一つは、売春宿にいる血気盛んな自分を描いたときの豪華な衣服を着た自画像。もう一つは、放蕩息子の帰郷に描かれた、やつれた体を覆うボロボロの上着と、長旅で擦り切れ、使い物にならなくなったサンダルを身に着けているだけ」の放蕩息子になぞられた自分と。
 そして翻訳者の片岡先生は、ガンを患い、闘病生活をおくるその病床で、この本を翻訳されたのでした。病気が悪化し、時間と戦いながら、『放蕩息子の帰郷』の翻訳を続けられていたのです。まさに、「支え続けてくださる方」を皆さんにお伝えするために。

 私は、放蕩息子の譬えの奥にある御言葉は、「はっきり言っておく。私の兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、私にしてくれたのである」(マタイ25章40節)という私たちへのメッセージであると思います。このことは、午後の講演において、より具体的にお話をします。

 今日、最初に母のことをお話しました。見える富を失った後の母の生き方は、衰えの中にあっても、人のために生きた人生であったと思います。人生の山の頂きに向かって、歩む姿に、神の愛の光が見える気がしています。母の生き方から、「過去の事実は変わらなくとも、過去の意味が変わっていく感動を、神はたえず私たちに与えてくださっている」と思うのです。

放蕩息子は私です。だからこそ、支え続けてくださる方がおられることに、心から感謝し、明日に向かって歩んでいくことができる。そして、支え続けてくださる方の愛を知っているからこそ、それぞれの方の人生に、私たちが一緒に歩んでいくことができる。それが「共に生きる」ということだと、私は思っています。

 これからも、神の最も小さい者の一人と歩んでいくルーテル学院大学でありつづけていきたいと思います。アーメン。
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2011/07/10(日) 10:30:00| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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