津田沼教会 牧師のメッセージ
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「憐れみを望む神」(マタイ9:9-13)
マタイ9:9-13、ホセア書5:15-6:6、ローマの信徒への手紙5:6-11、2011・06・26、聖霊降臨後第2主日(典礼色―緑―)

マタイによる福音書9:9-13
 イエスはそこをたち、通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。イエスがその家で食事をしておられたときのことである。徴税人や罪人たちも大勢やって来て、イエスや弟子たちと同席していた。ファリサイ派の人々はこれを見て、弟子たちに、「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」






説教「憐れみを望む神」(マタイ9:9-13)

 本日から、聖壇やストールの色も、緑色となり、主イエスのお言葉と、み業が、教会暦の後半の時期として、今年は、マタイによる福音書を主たる福音として、与えられていきます。
偶然でしょうが、聖霊降臨後第2主日の福音は、マタイという徴税人を主イエスが弟子にするという出来事と主イエスのお言葉が選ばれています。マタイが、どういう弟子となったかは定かではありませんが、他の福音書が、レビと呼んでいるところを、マタイ福音書記者はマタイという人とわざわざ書き加えています。
徴税人として、マタイは、家計的には、豊かな人であったでしょう。しかし、徴税人は、不正直な場合もよくあり、あるいは、異邦人たちと接触し、特に律法の規則を守れない者として、ことにファリサイ派からは、疎んじられていたのであります。
主イエスは、ある場所、カファルナウムの町を出て、集税所がある町の郊外へと立ち去られる時に、このマタイを目にとめ、私に従って来なさいと呼びかけられるのであります。 
すると、集税所に座って仕事をしていたであろうマタイは、彼について行くのであります。すなわち、弟子として選ばれたのであります。
そして、第2場面で、起こったことには、「その家で」、多分マタイの家で、主イエスは食事のために身を横たえていたのであります。そして、大勢の徴税人や罪人たち、アム・ハー・アレツ、すなわち「地の民」として、さげすまれていた者たちも、主イエスや弟子たちと共に、身を横たえていたのであります。
これを見た、ファリサイ派たちは、主の弟子たちに、あなた方の先生はなぜ、罪人たちと共に親しい食卓の交わりをするのかといぶかったのであります。
これを耳にした、主イエスは言われます。力を持っている者たちには医者はいらない、そうではなくて、悪く持っている者、病人たちが、医者を必要とするのであると答えられました。罪人と呼ばれていた人々は病人であると主イエスによって指摘されるのであります。
そして、主は言われます。あなた方は出て行って、次の聖書の言葉を学びなさい。すなわち、「私が望むのは、憐れみ、あるいは、愛であって、いけにえではない」とあることをと。そして、私が来たのは、正しい者たちを呼ぶためではなく、罪人たちを呼ぶためである、と答えられたのであります。
ファリサイ派たちは、自分たちの作った多くの規則を守られないでいるマタイのような徴税人や罪人たちを、さげすみ、非難していました。神は、いけにえよりも、慈しみ、慈悲を望むと、ホセア書6:6にあります。それを体現して知らすために、主イエスはお出でになられたのであります。
マタイは、主イエスに弟子となるべく呼ばれ、招かれたことを終生忘れることはなかったでありましょう。
浄土真宗の祖、親鸞聖人のなくなった後、異説を唱える者たちが、少なくないのを嘆いて、唯円が書いた書物に嘆異抄があります。その中の有名な言葉に「善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」という言葉があります。
どんな悪人も、どんな悪行をも悔い改めて、念仏、南無阿弥陀仏を唱えれば、浄土に生まれることができるというのであります。
主イエスも、いけにえをささげるよりも、神の望まれるのは、憐れみ、愛であると、と引用され、正しい人を招くのが、自分の使命ではなく、罪人を招くためにこそ、自分は来たのであると、権威をもって答えられました。
私たちは、才能や知恵のあるなしに関わらず、信じて主イエスについて行く者は、全て永遠の命へと招かれており、そしてまた、私たちは彼の弟子となるように呼びかけられた者であります。
1週間の間にも色々なことが起こり、私たちは言葉と思いと行いによって罪を犯しますが主によって罪赦されていることを、思い起こし、感謝しながら、新しい1週間への歩みをこの時から、始めて行きましょう。

 わたしたちの内に働く御力によって、わたしたちが求めたり、思ったりするすべてを、はるかに超えてかなえることのおできになる方に、教会により、また、キリスト・イエスによって、栄光が世々限りなくありますように。アーメン。
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2011/06/26(日) 10:30:00| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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