津田沼教会 牧師のメッセージ
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「神の力を受けて」(使徒言行録2:1~21)
ヨハネ7:37-39、ヨエル書3:1-5、使徒言行録2:1-21、2011・06・12、聖霊降臨祭(典礼色―赤―聖餐式)

使徒言行録2:1-21
 五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。
 さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」人々は皆驚き、とまどい、「いったい、これはどういうことなのか」と互いに言った。しかし、「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、あざける者もいた。

 すると、ペトロは十一人と共に立って、声を張り上げ、話し始めた。「ユダヤの方々、またエルサレムに住むすべての人たち、知っていただきたいことがあります。わたしの言葉に耳を傾けてください。今は朝の九時ですから、この人たちは、あなたがたが考えているように、酒に酔っているのではありません。そうではなく、これこそ預言者ヨエルを通して言われていたことなのです。
 『神は言われる。
  終わりの時に、
  わたしの霊をすべての人に注ぐ。
  すると、あなたたちの息子と娘は預言し、
  若者は幻を見、老人は夢を見る。
  わたしの僕やはしためにも、
  そのときには、わたしの霊を注ぐ。
  すると、彼らは預言する。
  上では、天に不思議な業を、
  下では、地に徴を示そう。
  血と火と立ちこめる煙が、それだ。
  主の偉大な輝かしい日が来る前に、
  太陽は暗くなり、
  月は血のように赤くなる。
  主の名を呼び求める者は皆、救われる。』」




説教「神の力を受けて」(使徒言行録2:1-21)

本日は、聖霊降臨祭、ペンテコステの日曜日であります。私たちは、今年は4月24日(日)に復活祭を祝い、先週は、昇天主日を祝いました。そして、本日は、復活日から、50日め、すなわち、ペンテコステの日曜日を祝っています。
本日は、福音書からではなく、使徒言行録2:1-21から、学びたいと思います。また、本日は、昨年からのことでありますが、召天者記念礼拝としても、礼拝を守っています。 
私たちの教会の先に召された先達のお一人お一人のことを覚えると共に、東日本大震災で、亡くなられた方たち、また、その遺族の方々のことも覚えながら、聖霊降臨の日のことをご一緒に考えましょう。今日の使徒言行録の記事は、毎年、聖霊降臨祭に読まれるお馴染みの出来事であります。
五旬祭の日が成ったときに、弟子たちは、一同で、同じ場所に共にいました。この家に、使徒たちと、主の母マリアたちがいたのか、あるいは、もっと多くの120人ほどが集まっていたのか定かではありませんが、その家全体に、激しい風が吹いて来て、大きな音をたて、五旬祭のために、当時の地中海を中心とする世界のあらゆる国々から、三大祭りのためにエルサレムに滞在していた信心深いユダヤ人たちやユダヤ教に改宗した人々がいましたが、その物音に、驚いて、集まって来たのであります。
そして、天から、炎のような舌の形をしたものが、弟子たちの一人一人の頭の上の方にくだっていたのであります。風、炎、舌のようなくだってきたものは、聖霊を表わしています。
創世記の初めに、主なる神は、天と地とをお造りになったことが出て来ますが、その神は、塵から、自分の形に似せて人を造り、その鼻に息を吹き込むと、それは生きた人間になったと記されていますが、息というのは、風をも意味し、霊をも意味する言葉であります。それと同じように、本日、父なる神と子なる主イエスは、天から聖霊をくだらせて、弟子たちを新しい人間に造り変えたのであります。
そして、彼らは、無学なガリラヤ人たちでありましたが、世界中からエルサレムに滞在していたユダヤ人たちに、その生まれ故郷の言葉で、神の大いなる業を預言していたのであります。そして、この日から、教会が誕生したのであります。民衆の大勢は、驚き、主イエスの弟子たちが、神のみ業を語っているのに、困惑し、これはどうしたことだ、彼らが、私たちの自分たちの国の言語で、はっきりと預言するとはと驚いていたのであります。 
しかし、別の者たちは、彼らは、新しい甘いぶどう酒に酔っ払っているのにすぎないと嘲笑っている者もいました。私たちの時代においても、聖書をときあかすとき、信じる者と、嘲笑う者とに分かれるのであります。そのとき、あの主イエスが捕らえられたときに、その人のことは私は知らないと否定して、逃げまどったペトロが、11人と共に立ち上がって言うのであります。
私の語る言葉に耳を傾けてください。今は朝の9時ですから、彼らは酔っ払っているのではありません。今や、預言者ヨエルが預言した言葉が、ヨエル書3:1-5の言葉が実現したのですと、物おじしないで、はっきりと、ペトロは引用して語るのです。神は語られる。終わりの日々に、私は、私の霊から、すべての人に霊を、すなわち、聖霊を注ぐ。すると、あなた方の息子や娘は預言し、若者は、幻を見、老人は夢を見、あなたがたの男奴隷も女奴隷も、預言する。そのとき上には天に異変が起こり、太陽は闇となり、月は血のように赤くなる。下では、地上に、異変があり、血と火と煙の蒸気などの徴を、私は与えよう。かの偉大な、輝かしい主の日が来る前にと。そして、主の名を叫ぶすべての人は救われるであろう、とペトロはヨエル書の預言が実現したことを、大胆に、説教するのであります。
私たちは、本日、教会が生まれた日のことを覚えていますが、この教会につながる先に召されたお一人お一人のことを覚え、また、大震災で亡くなられた人々のことも覚えながら、本日のペトロのように、大胆に主の日、終末の時がはじまったことを、宣べ伝えながら、神の力を受けて、与えられている命を、主の救いを宣べ伝えつつ、新しい日々を歩んでいこうではありませんか。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン。




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2011/06/12(日) 10:30:00| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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